最高裁判所第二小法廷 裁判官 様
裁判官のみなさま
私は、小・中・高校・大学とすべて大阪の公立学校で学び、その後大阪府立高校で38年間勤めました。
教員として、学校で「君が代」を歌うことに一貫して反対して来ましたが、その原点には、軍国少女だったという母の存在があります。戦時、母は戦地にいる兄に「どうかお国のために立派に死んでください」と手紙を書いたそうです。そして、それは教育のせいだと話してくれました。
2008年大阪に橋下府政が誕生しました。その年の10月のニュースで忘れられないことがあります。家庭の苦しい状況や思いを訴える高校生に対し、橋下知事が「日本は自己責任が原則、それが嫌なら、あなたが政治家になって国を変えるか、日本から出て行くしかない」と言い放ったことです。
教員としてこれまでの経験から、私は大阪の教育の問題で深刻なことは、子どもの貧困であると承知していましたので、それを棚上げして、すべて個人の責任とする橋下知事に対して大きな反発を覚えました。
当時、橋下知事(当時)は公務員、なかでも教員に対する罵詈雑言をメディア上で繰り返していました。とりわけ「君が代」不起立の教員に対するツイッターでの罵倒は凄まじいものでした。以下にいくつか転載します。
実のところ、教員になるまでは、私は、とりたてて「日の丸」や「君が代」の問題に関心はありませんでした。しかし、教員になってから、特に在日韓国・朝鮮人生徒とのかかわりにおいて、教育の場で国家のシンボルとして「日の丸」や「君が代」を強制してはいけないと考えるようになり、卒業式や入学式の式次第に「君が代」が入ってからは、どうしても起立することはできませんでした。
不安と怒りと行き場のない焦燥感のなかで、この先大阪の教育はどうなってしまうのだろうと危惧しました。橋下知事(当時)は予告した通り、維新の会から「大阪府の施設における国旗の掲揚及び教職員による国歌の斉唱に関する条例」(以下、「君が代」条例という)案を大阪府議会に提案しました。2011年6月3日、私は大阪府議会の傍聴へ行きました。数の力によって全国で初めてと言われている「君が代」条例が制定されることは明らかでしたが、自身の目で確認したかったからです。教員として30年近く、多くの生徒、保護者、同僚と、悩み続けてきた、学校の「君が代」が、こんなにあっけなく一瞬のうちに条例で義務付けられたことに唖然としました。一種の虚無感さえ感じました。しかし、その後も橋下知事の弾圧は収まりませんでした。
「君が代」条例のもと、大阪では、「全員起立斉唱」の体裁を作るために、教育委員会から管理職に徹底したマニュアルが指示されました。「式場外」と「式場内」に役割分担を二分化し職務命令まで出すようにしたのは、私のように「君が代」は立つわけにはいかないと主張している教員を排除するためであることは誰の目にも明らかでした。
そして、橋下知事は、報道陣に対し「(「君が代」不起立の教員は)絶対に辞めさせる、意地でも辞めさせる」と主張し、そのための条例を制定することを宣言しました。
私の母はそれらのニュースに怯え、「クビになったら生活が成り立たない。こうなったら立つしかない」と私に説教までする始末でした。
条例下で職務命令が出た最初の卒業式は、母のたっての願いで法事に参列する母に付き添うため年次休暇を取りました。大阪では何十人もの教員が「君が代」不起立により処分されました。
そして、2012年の入学式、担任ではありませんでしたが、私にとっては定年までの1年間最後にかかわることになる新入生です。その中には、中学からの申し送りで、「君が代」は歌えないというクリスチャンの新入生もいました。私は人権教育推進委員長として中学を訪問し聞き取り調査を行いました。逃げるわけにはいかない、条例が施行され、職務命令が出て、そしてそれに反すれば処分されることがわかっていても、入学式に参列しなければならないと考え、何度も校長に「式場内」勤務を願い出ました。しかし、校長は頑として「『君が代』で起立できないと言っているあなたを式場内にするわけにはいかない」と繰り返すばかりした。
条例ができ、職務命令が出て処分されるとわかっていても、私は入学式に参列なければならないと思いました。それが教員としての私にできることだと考えたからです。
そして、いよいよ定年間際の私にとっては最後の卒業式、正直なところを言えば、出なければならないというより出たいという思いでした。3年間かかわった生徒の卒業式に、なぜ「君が代」に立てないというだけで出てはいけないのか、どうしても納得できませんでした。いろいろ悩みはしましたが、最後に出した結論は、教員としてこれまでやって来たことの延長にあるのは、やはり卒業式に出ることだと考えました。それで、条例施行前と同じように、役割を済ませて卒業式に参列する、つまり、正門警備の仕事が終わった後、卒業式に参列しようと決めました。今までずっとそうして来ましたから、それが教員としての私の務めだと思いました。
ところが、管理職は、入学式と同じように役割を済ませてから私が参列してもすわる席がないように職員席をすべて座席指定にしていました。そこまでして「君が代」に不起立の教員を排除しようとする何か大きな力を恐ろしいと思いながら、私は諦めませんでした。諦めれば、これまで私が生徒に言ってきた人権を守ることの意味がたてまえになってしまうーそんな思いでした。私は、式に参列するために、体育館の入り口にあった丸椅子をもって式場に行きました。椅子がなくずっと立ったままでは、「君が代」斉唱時に不起立であることとは比べものにならないぐらい違和感を与えてしまうと考えたからです。
卒業式の間、さまざまなことが去来しました。卒業生代表の「『なぎさ』で学んだことで、無駄なことは何ひとつなかった」という言葉を聞いた時は、私は、その生徒とのかかわりも含めて、参列してよかったと心から思いました。
ところが、ショックだったのは、懲戒処分の言い渡しの時でした。減給処分を受けたこともショックでしたが、それ以上にショックだったのは、減給処分の辞令交付が終わった後、「まだあります」と言われ、警告書と書かれた書面が渡されたことでした。最初、意味がわかりませんでした。警告書には3項ありました。順に読んでいくと、「1,入学式国歌斉唱時不起立で戒告処分を受けた。2,卒業式国歌斉唱時不起立で減給処分を受けた。」とあり、3項目には、「今後同一職務命令に違反する行為を繰り返した場合は免職することがあることを警告する」と書かれていました。これはとんでもないことになった、と思いました。
橋下知事が公言した通り、大阪では「君が代」不起立を3度すればクビになる宣告書を受けたも同然なわけですから。同時に怒りもありました。こんな憲法違反は許されるはずがないと。
最後の1年間、私が最も最も力を入れたのは憲法教育でした。小学生の時、初めて憲法を学びましたが、その時の感激は今でも覚えています。教科は「国語」ですので、憲法を直接教えることはありませんでしたが、人権教育をはじめいろんな機会で取り上げました。
さて、戒告処分に先立って減給処分取消を大阪地裁に提訴したのは、あまりにも酷いと思ったからです。憲法に則り司法は行政の過ちを糺してくれると信じたからです。ところが、一審である大阪地裁判決は事実認定からして信じられない過ちを犯していました。いやたんなる誤りではなく虚偽認定と言ってもいいぐらいのものでした。出てもいない人事委員会裁決を、処分容認の裁決が出たとしたのは、きっと裁判官に予断と思い込みがあったに相違ありません。司法がこれほどいいかげんなものであるとは思ってもみませんでした。
そして、何より情けなかったことは、「原告の行動は、卒業式に参列することに意義があるとか、卒業式の主役である生徒あるいはその保護者のことを第一に考えたものであるとは認めがたい。」と一方的に決めつけられていた点です。
あの時、私は、たとえ処分されることがわかっていても卒業式には出なければならない、そうしなければ私がこれまで人権教育において生徒たちに語ってきたことは全部嘘になるーそう思いました。そのことに偽りは一切ありません。
判決は、結論のみならず、そのプロセスとして示されていることにもまったく納得できず、即日控訴しました。
控訴審では、早稲田大学の西原博史さんの鑑定意見書を提出しました。結審の際には、控訴人代理人が、裁判官に対して、西原意見書についての判断、つまり、「君が代」条例ならびに、「君が代」に不起立の教員を免職にできると規定した大阪府職員条例の違憲性についての判断を要請しました。それに対し、裁判長が「わかりました」と返答されるのを聞き、私は、控訴審では審議が尽くされると信じました。
ところが、高裁判決でも、「君が代」条例ならびに職員基本条例の違憲性は判断されませんでした。確かに地裁における事実認定の誤りは正されました。特に、私が卒業式に参列した動機について、「…この事実によれば、控訴人が本件卒業式への参列を希望した理由としては、自らの関わりのあった7期生の卒業を祝福したいとの思いがあったと推認することができる」と、地裁判決の過ちを訂正されました。
しかし、控訴人として最も求めていた、そして、裁判長自らも首肯したところの西原博史鑑定意見書の判断については、「西原意見書のうち、…当裁判所が認定、判断したものに反する部分はにわかに採用できない」と、理由も根拠も一切示すことなく切り捨てられたことには、地裁同様、司法に裏切られたような気持ちがしました。
西原鑑定意見書にそった控訴人側の主張は、あくまで、「君が代」条例に基づく「君が代」起立斉唱命令は、憲法19条の直接的侵害であるという点です。それに対し、従来の間接的制約の論理で応答されていることは、意図的に論理をずらしたとしか思えません。
どうか、お願いいたします。最高裁判所におかれましては、「君が代」条例が、憲法19条に直接的侵害にあたるかどうかをご審議いただき、判断の理由・根拠とともにお示しいただきますよう切にお願いいたします。
最後に、控訴審判決では、【当裁判所の基本的な考え方】、【思想・良心の自由の侵害】、【控訴人が式場に入った動機】、【懲戒処分に当たっての考慮事項】の4項目にわたって「本件不起立行為は『意図的かつ積極的に行われたものと認められる。』」と、繰り返し認定され、そして最後には、「意図的かつ積極的に職務命令を繰り返したと認められる控訴人については、規律及び秩序維持の必要が高いと評価するのが相当である」と判断されています。ここに表れている判断の根拠は「累積加重」というただ一点のみです、なんら卒業式も学校の秩序も乱れていないにもかかわらず、強引に、規律及び秩序の維持の必要性に結びつけて判断しておられるのは、処分容認の結論に導く不当な判断と考えます。
この点につきましても、2012年以降の最高裁判例に基づき公正・公平に判断されんことを重ねてお願いいたします。
◎ 要 請 書
2018年1月31日
上告人 B
上告人 B
裁判官のみなさま
私は、小・中・高校・大学とすべて大阪の公立学校で学び、その後大阪府立高校で38年間勤めました。
教員として、学校で「君が代」を歌うことに一貫して反対して来ましたが、その原点には、軍国少女だったという母の存在があります。戦時、母は戦地にいる兄に「どうかお国のために立派に死んでください」と手紙を書いたそうです。そして、それは教育のせいだと話してくれました。
2008年大阪に橋下府政が誕生しました。その年の10月のニュースで忘れられないことがあります。家庭の苦しい状況や思いを訴える高校生に対し、橋下知事が「日本は自己責任が原則、それが嫌なら、あなたが政治家になって国を変えるか、日本から出て行くしかない」と言い放ったことです。
教員としてこれまでの経験から、私は大阪の教育の問題で深刻なことは、子どもの貧困であると承知していましたので、それを棚上げして、すべて個人の責任とする橋下知事に対して大きな反発を覚えました。
当時、橋下知事(当時)は公務員、なかでも教員に対する罵詈雑言をメディア上で繰り返していました。とりわけ「君が代」不起立の教員に対するツイッターでの罵倒は凄まじいものでした。以下にいくつか転載します。
以下引用いったい、教員には人権はないのでしょうか。これが、大阪の知事の発言かと思うと情けなくてなんとも言葉がありませんでした。
「職務命令を繰り返して無視する公務員は、公務員を去ってもらう。なぜこんなことが許されるのか。それは絶対的な身分保障に甘えているからだ。…ふざけんじゃない。民主的方法で決定を変えよ。」
「大阪府教育委員会で、起立斉唱を決めたのだから、その下で働くのであれば、決定に従う。嫌なら辞めれば良い。…」
「バカ教員の思想良心の自由よりも、子どもたちへの祝福が重要だろ!だいたい、公立学校の教員は、日本国の公務員。税金で飯を食べさせてもらっている。国旗、国歌が嫌なら、日本の公務員を辞めろって言うんだ。君が代を起立して歌わない自由はある。それは公務員以外の国民だ。」
以上引用
実のところ、教員になるまでは、私は、とりたてて「日の丸」や「君が代」の問題に関心はありませんでした。しかし、教員になってから、特に在日韓国・朝鮮人生徒とのかかわりにおいて、教育の場で国家のシンボルとして「日の丸」や「君が代」を強制してはいけないと考えるようになり、卒業式や入学式の式次第に「君が代」が入ってからは、どうしても起立することはできませんでした。
不安と怒りと行き場のない焦燥感のなかで、この先大阪の教育はどうなってしまうのだろうと危惧しました。橋下知事(当時)は予告した通り、維新の会から「大阪府の施設における国旗の掲揚及び教職員による国歌の斉唱に関する条例」(以下、「君が代」条例という)案を大阪府議会に提案しました。2011年6月3日、私は大阪府議会の傍聴へ行きました。数の力によって全国で初めてと言われている「君が代」条例が制定されることは明らかでしたが、自身の目で確認したかったからです。教員として30年近く、多くの生徒、保護者、同僚と、悩み続けてきた、学校の「君が代」が、こんなにあっけなく一瞬のうちに条例で義務付けられたことに唖然としました。一種の虚無感さえ感じました。しかし、その後も橋下知事の弾圧は収まりませんでした。
「君が代」条例のもと、大阪では、「全員起立斉唱」の体裁を作るために、教育委員会から管理職に徹底したマニュアルが指示されました。「式場外」と「式場内」に役割分担を二分化し職務命令まで出すようにしたのは、私のように「君が代」は立つわけにはいかないと主張している教員を排除するためであることは誰の目にも明らかでした。
そして、橋下知事は、報道陣に対し「(「君が代」不起立の教員は)絶対に辞めさせる、意地でも辞めさせる」と主張し、そのための条例を制定することを宣言しました。
私の母はそれらのニュースに怯え、「クビになったら生活が成り立たない。こうなったら立つしかない」と私に説教までする始末でした。
条例下で職務命令が出た最初の卒業式は、母のたっての願いで法事に参列する母に付き添うため年次休暇を取りました。大阪では何十人もの教員が「君が代」不起立により処分されました。
そして、2012年の入学式、担任ではありませんでしたが、私にとっては定年までの1年間最後にかかわることになる新入生です。その中には、中学からの申し送りで、「君が代」は歌えないというクリスチャンの新入生もいました。私は人権教育推進委員長として中学を訪問し聞き取り調査を行いました。逃げるわけにはいかない、条例が施行され、職務命令が出て、そしてそれに反すれば処分されることがわかっていても、入学式に参列しなければならないと考え、何度も校長に「式場内」勤務を願い出ました。しかし、校長は頑として「『君が代』で起立できないと言っているあなたを式場内にするわけにはいかない」と繰り返すばかりした。
条例ができ、職務命令が出て処分されるとわかっていても、私は入学式に参列なければならないと思いました。それが教員としての私にできることだと考えたからです。
そして、いよいよ定年間際の私にとっては最後の卒業式、正直なところを言えば、出なければならないというより出たいという思いでした。3年間かかわった生徒の卒業式に、なぜ「君が代」に立てないというだけで出てはいけないのか、どうしても納得できませんでした。いろいろ悩みはしましたが、最後に出した結論は、教員としてこれまでやって来たことの延長にあるのは、やはり卒業式に出ることだと考えました。それで、条例施行前と同じように、役割を済ませて卒業式に参列する、つまり、正門警備の仕事が終わった後、卒業式に参列しようと決めました。今までずっとそうして来ましたから、それが教員としての私の務めだと思いました。
ところが、管理職は、入学式と同じように役割を済ませてから私が参列してもすわる席がないように職員席をすべて座席指定にしていました。そこまでして「君が代」に不起立の教員を排除しようとする何か大きな力を恐ろしいと思いながら、私は諦めませんでした。諦めれば、これまで私が生徒に言ってきた人権を守ることの意味がたてまえになってしまうーそんな思いでした。私は、式に参列するために、体育館の入り口にあった丸椅子をもって式場に行きました。椅子がなくずっと立ったままでは、「君が代」斉唱時に不起立であることとは比べものにならないぐらい違和感を与えてしまうと考えたからです。
卒業式の間、さまざまなことが去来しました。卒業生代表の「『なぎさ』で学んだことで、無駄なことは何ひとつなかった」という言葉を聞いた時は、私は、その生徒とのかかわりも含めて、参列してよかったと心から思いました。
ところが、ショックだったのは、懲戒処分の言い渡しの時でした。減給処分を受けたこともショックでしたが、それ以上にショックだったのは、減給処分の辞令交付が終わった後、「まだあります」と言われ、警告書と書かれた書面が渡されたことでした。最初、意味がわかりませんでした。警告書には3項ありました。順に読んでいくと、「1,入学式国歌斉唱時不起立で戒告処分を受けた。2,卒業式国歌斉唱時不起立で減給処分を受けた。」とあり、3項目には、「今後同一職務命令に違反する行為を繰り返した場合は免職することがあることを警告する」と書かれていました。これはとんでもないことになった、と思いました。
橋下知事が公言した通り、大阪では「君が代」不起立を3度すればクビになる宣告書を受けたも同然なわけですから。同時に怒りもありました。こんな憲法違反は許されるはずがないと。
最後の1年間、私が最も最も力を入れたのは憲法教育でした。小学生の時、初めて憲法を学びましたが、その時の感激は今でも覚えています。教科は「国語」ですので、憲法を直接教えることはありませんでしたが、人権教育をはじめいろんな機会で取り上げました。
さて、戒告処分に先立って減給処分取消を大阪地裁に提訴したのは、あまりにも酷いと思ったからです。憲法に則り司法は行政の過ちを糺してくれると信じたからです。ところが、一審である大阪地裁判決は事実認定からして信じられない過ちを犯していました。いやたんなる誤りではなく虚偽認定と言ってもいいぐらいのものでした。出てもいない人事委員会裁決を、処分容認の裁決が出たとしたのは、きっと裁判官に予断と思い込みがあったに相違ありません。司法がこれほどいいかげんなものであるとは思ってもみませんでした。
そして、何より情けなかったことは、「原告の行動は、卒業式に参列することに意義があるとか、卒業式の主役である生徒あるいはその保護者のことを第一に考えたものであるとは認めがたい。」と一方的に決めつけられていた点です。
あの時、私は、たとえ処分されることがわかっていても卒業式には出なければならない、そうしなければ私がこれまで人権教育において生徒たちに語ってきたことは全部嘘になるーそう思いました。そのことに偽りは一切ありません。
判決は、結論のみならず、そのプロセスとして示されていることにもまったく納得できず、即日控訴しました。
控訴審では、早稲田大学の西原博史さんの鑑定意見書を提出しました。結審の際には、控訴人代理人が、裁判官に対して、西原意見書についての判断、つまり、「君が代」条例ならびに、「君が代」に不起立の教員を免職にできると規定した大阪府職員条例の違憲性についての判断を要請しました。それに対し、裁判長が「わかりました」と返答されるのを聞き、私は、控訴審では審議が尽くされると信じました。
ところが、高裁判決でも、「君が代」条例ならびに職員基本条例の違憲性は判断されませんでした。確かに地裁における事実認定の誤りは正されました。特に、私が卒業式に参列した動機について、「…この事実によれば、控訴人が本件卒業式への参列を希望した理由としては、自らの関わりのあった7期生の卒業を祝福したいとの思いがあったと推認することができる」と、地裁判決の過ちを訂正されました。
しかし、控訴人として最も求めていた、そして、裁判長自らも首肯したところの西原博史鑑定意見書の判断については、「西原意見書のうち、…当裁判所が認定、判断したものに反する部分はにわかに採用できない」と、理由も根拠も一切示すことなく切り捨てられたことには、地裁同様、司法に裏切られたような気持ちがしました。
西原鑑定意見書にそった控訴人側の主張は、あくまで、「君が代」条例に基づく「君が代」起立斉唱命令は、憲法19条の直接的侵害であるという点です。それに対し、従来の間接的制約の論理で応答されていることは、意図的に論理をずらしたとしか思えません。
どうか、お願いいたします。最高裁判所におかれましては、「君が代」条例が、憲法19条に直接的侵害にあたるかどうかをご審議いただき、判断の理由・根拠とともにお示しいただきますよう切にお願いいたします。
最後に、控訴審判決では、【当裁判所の基本的な考え方】、【思想・良心の自由の侵害】、【控訴人が式場に入った動機】、【懲戒処分に当たっての考慮事項】の4項目にわたって「本件不起立行為は『意図的かつ積極的に行われたものと認められる。』」と、繰り返し認定され、そして最後には、「意図的かつ積極的に職務命令を繰り返したと認められる控訴人については、規律及び秩序維持の必要が高いと評価するのが相当である」と判断されています。ここに表れている判断の根拠は「累積加重」というただ一点のみです、なんら卒業式も学校の秩序も乱れていないにもかかわらず、強引に、規律及び秩序の維持の必要性に結びつけて判断しておられるのは、処分容認の結論に導く不当な判断と考えます。
この点につきましても、2012年以降の最高裁判例に基づき公正・公平に判断されんことを重ねてお願いいたします。
以上。
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