ひょうたん島研究会・TT(高木@千葉高退教)です。
すべての友人の皆さんへ。
以下の雑文を書いたので紹介します。
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★ 「戦時下」と「戦後」で、
「学校」や「教員」は変わったのか?
T.T.0634(ひょうたん島研究会)
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6月12日(水)の朝日「オピニオン面」に、「戦争プロパガンダと子ども」という大きな記事が載った。
サブタイトルは「遺児は『誉れの子』~靖国で亡父と対面~国家が高めた戦意」で、教育学者・斉藤利彦へのインタビュー記事である。
斉藤については、ぼくは何一つ知らない。朝日によると、次のような人らしい。
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│ 1953年生まれ。専門は日本近代教育史、青年の自己形成史。学習院大学名│
│誉教授。著書に「『誉れの子』と戦争」「国民義勇戦闘隊と学徒隊」など。│
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この記事が面白かったので、例によって若干のコメントを付けて紹介する。
ただし原文はかなりの長文なので、興味を持った人は原典に当たってほしい。
例えば斉藤は、次のようなエピソードを紹介する。
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│ 式典はラジオ放送され、新聞も大きく伝えました。政府の内閣情報部(の│
│ち内閣情報局)が発行した『写真週報』は、国策を宣伝する雑誌で国民に広│
│く読まれました。皇后からの菓子を受け取り、感激し涙を流す遺児の写真が│
│カラーの表紙全面を飾りました。近年、健在だったこの方に聞くと、目薬を│
│垂らして撮影したそうです。 │
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子どもも軍部もメディアも、かなり無理してたみたいだなあ。
「戦時下」と「戦後」の教員について、斉藤は次のように書く。
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│ 教育関係者が過去をどこまで反省したのか、残念ですが疑問です。例えば│
│敗戦直後、教室では教科書の軍国主義的な部分に墨を塗りました。学校日誌│
│にも出征軍人を送り出した、校長が特攻隊について話したことなどが書かれ│
│ていました。あまり知られていませんが、一部の学校では日誌を墨塗りしま│
│した。(略) │
│ 墨塗りは過去の誤った教育をなかったことにするだけで、教師自らが反省│
│したわけではありません。多くの教師が追放を逃れ、戦後は民主主義を教え│
│たのです。 │
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墨塗りしないで済む仕事をしてほしいと現役に期待するTTです。(24/06/14)
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