◆ 国家意思を押し付ける検定教科書 (週刊新社会)
「日の丸・君が代」被処分者 近藤順一
◆ 06年改定教育基本法の枠組
1947年教育基本法は《国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきもの》とされていた。
改憲の一里塚として2006年改定では《この法律および他の法律の定めるところにより行われるべきもの》とされ、また、【教育の目標】において《五 伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできたわが国と郷土を愛する》が明確にされた。
いうまでもなく教科書には国旗・国歌法が反映され、“我が国を愛する”内容が強く盛り込まれている。
さらに注目されるのは、「日の丸・君が代」強制を隠す記述が採られている。その典型が、1999年国会審議の答弁《職務命令・懲戒処分》であり、あたかも”強制がない”かのごとくカムフラージュされている。
◆ 自由、育鵬社の特異な特徴
両社版の共通するところは、国際儀礼を詳しく解説していることである。
自由社は、アメリカとの比較を示し、《国際儀礼》の所作を列挙している。育鵬社は、”起立””斉唱”に言及している。
まず、自由社『新しい公民教科書』では、アメリカと日本の高校生の【自国・他国の国旗・国歌に対する起立行為】を棒グラフで比較している。ここで示したいのは、日本の高校生の【起立行為】の意識がいかに低いかであろう。
そして、【「日章旗」の意味】と【「君が代」の意味】では、「聖徳太子」や「天皇を国および国民統合の象徴とするわが国」と解説し、由来としても、現在の憲法からも天皇と結合されていることを示している。
ダメ押しのように【国旗掲揚の国際儀礼】では「起立して目礼」「脱帽して敬意」が語られている。
次に育鵬社『新しいみんなの公民』では、側注において【敬意の表し方】で「国歌斉唱」が示されている。
特徴的なのは、国旗とオリンピックの結合である。
側注の映像【日本の体操選手と「日の丸」】の説明で《オリンピック表彰式での国旗掲揚の様子(ブラジル、2016年)他国の選手も国旗に敬意を払います。》とされている。
オリンピック・パラリンピックでは基本的に“選手団の旗・歌”とされているにもかかわらず、日本文教出版『中学社会公民的分野』では、映像《平昌オリンピックで入賞し、自国の国旗を掲げる選手(2018・韓国)》《試合前に国歌を斉唱するサッカー日本代表の選手(2018・ロシア)》として、吹き出しで「オリンピックなど、スポーツの国際試合ではおたがいの国の国旗や国歌を尊重し合うことが多いね。」と言わせている。
問題なのは、両者版とも1999年国旗・国歌法制定が記述されているが、「職務命令・懲戒処分」による強制については触れていない。
現在、国旗(日の丸)・国歌(君が代)を取り上げるとき、基本的にはその強制・処分の問題が語られるべきだろう。
その根源が国旗・国歌法にあり、06教育基本法でも「その他の法律」に基づくといいながら、極めて恣意的片面的な取り上げ方である。
実教出版『高校日本史A』の採択拒否問題で、「政府はこの法律によって国民に国旗掲揚、国歌斉唱などを強制するものではないことを国会審議で明らかにした。しかし、一部の自治体で公務員への強制の動きがある。」が指摘された。
中学校の教科書は”強制”問題自体を取り上げない。
また、「日の丸・君が代」が侵略戦争を鼓舞し侵略・占領の先駆けとしてのシンボルに悪用された歴史的背景は語られない。
歴史で学ぶ戦争の事実との関係を抜きに、単純に日本とアメリカの国旗に対する態度を比較しても意味がなくむしろ学習者に誤解を与えるものでしかない。
◆ 象徴天皇制と「日の丸・君が代」
教育出版『公民ともに生きる』が、脚注:《1999年の国会において、当時の首相は「君が代には、日本の繁栄と平和への願いが込められている」という考え方を示しました。》と記述している。
当時の小渕首相が「『君が代は、日本国民の総意に基づき天皇を日本国及び日本国民統合の象徴する我が国のこととなる』(君が代の歌詞を)『我が国の末永い繁栄と平和を祈念したものと解するのが適当』」(1999年6月29日)と答弁した。
以来、とくに「君が代」と象徴天皇制はリンクされ敬意の対象として一体化した。
『週刊新社会』(2020年7月28日)
「日の丸・君が代」被処分者 近藤順一
◆ 06年改定教育基本法の枠組
1947年教育基本法は《国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきもの》とされていた。
改憲の一里塚として2006年改定では《この法律および他の法律の定めるところにより行われるべきもの》とされ、また、【教育の目標】において《五 伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできたわが国と郷土を愛する》が明確にされた。
いうまでもなく教科書には国旗・国歌法が反映され、“我が国を愛する”内容が強く盛り込まれている。
さらに注目されるのは、「日の丸・君が代」強制を隠す記述が採られている。その典型が、1999年国会審議の答弁《職務命令・懲戒処分》であり、あたかも”強制がない”かのごとくカムフラージュされている。
◆ 自由、育鵬社の特異な特徴
両社版の共通するところは、国際儀礼を詳しく解説していることである。
自由社は、アメリカとの比較を示し、《国際儀礼》の所作を列挙している。育鵬社は、”起立””斉唱”に言及している。
まず、自由社『新しい公民教科書』では、アメリカと日本の高校生の【自国・他国の国旗・国歌に対する起立行為】を棒グラフで比較している。ここで示したいのは、日本の高校生の【起立行為】の意識がいかに低いかであろう。
そして、【「日章旗」の意味】と【「君が代」の意味】では、「聖徳太子」や「天皇を国および国民統合の象徴とするわが国」と解説し、由来としても、現在の憲法からも天皇と結合されていることを示している。
ダメ押しのように【国旗掲揚の国際儀礼】では「起立して目礼」「脱帽して敬意」が語られている。
次に育鵬社『新しいみんなの公民』では、側注において【敬意の表し方】で「国歌斉唱」が示されている。
特徴的なのは、国旗とオリンピックの結合である。
側注の映像【日本の体操選手と「日の丸」】の説明で《オリンピック表彰式での国旗掲揚の様子(ブラジル、2016年)他国の選手も国旗に敬意を払います。》とされている。
オリンピック・パラリンピックでは基本的に“選手団の旗・歌”とされているにもかかわらず、日本文教出版『中学社会公民的分野』では、映像《平昌オリンピックで入賞し、自国の国旗を掲げる選手(2018・韓国)》《試合前に国歌を斉唱するサッカー日本代表の選手(2018・ロシア)》として、吹き出しで「オリンピックなど、スポーツの国際試合ではおたがいの国の国旗や国歌を尊重し合うことが多いね。」と言わせている。
問題なのは、両者版とも1999年国旗・国歌法制定が記述されているが、「職務命令・懲戒処分」による強制については触れていない。
現在、国旗(日の丸)・国歌(君が代)を取り上げるとき、基本的にはその強制・処分の問題が語られるべきだろう。
その根源が国旗・国歌法にあり、06教育基本法でも「その他の法律」に基づくといいながら、極めて恣意的片面的な取り上げ方である。
実教出版『高校日本史A』の採択拒否問題で、「政府はこの法律によって国民に国旗掲揚、国歌斉唱などを強制するものではないことを国会審議で明らかにした。しかし、一部の自治体で公務員への強制の動きがある。」が指摘された。
中学校の教科書は”強制”問題自体を取り上げない。
また、「日の丸・君が代」が侵略戦争を鼓舞し侵略・占領の先駆けとしてのシンボルに悪用された歴史的背景は語られない。
歴史で学ぶ戦争の事実との関係を抜きに、単純に日本とアメリカの国旗に対する態度を比較しても意味がなくむしろ学習者に誤解を与えるものでしかない。
◆ 象徴天皇制と「日の丸・君が代」
教育出版『公民ともに生きる』が、脚注:《1999年の国会において、当時の首相は「君が代には、日本の繁栄と平和への願いが込められている」という考え方を示しました。》と記述している。
当時の小渕首相が「『君が代は、日本国民の総意に基づき天皇を日本国及び日本国民統合の象徴する我が国のこととなる』(君が代の歌詞を)『我が国の末永い繁栄と平和を祈念したものと解するのが適当』」(1999年6月29日)と答弁した。
以来、とくに「君が代」と象徴天皇制はリンクされ敬意の対象として一体化した。
『週刊新社会』(2020年7月28日)
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