《尾形修一の紫陽花(あじさい)通信から》
◆ 日本の人権状況を世界に知らせたー東京五輪③
2回目に「人権センサー」の感度が高い人は東京五輪を避けると書いた。同じことを続けて書くのも何だけど、開会式前日にまた問題が発覚したのにはさすがに驚いた。
まだ、いたのか。森喜朗氏が「そういう人」だというのは知っていたが、他にもいろんな人がいるもんだ。今回は小林賢太郎という人で、何でも90年代に「ユダヤ人虐殺ごっこ」というコントを作っていたという。
ネット時代になって、過去の問題がいつまでも残り続けることになった。それは行き過ぎると過剰なバッシングになってしまうが、小山田氏の問題もそうだったが本人が今につながる仕事をしていた中で自分で発信したメッセージである。
何だか東京に五輪が来て良かったなあという気になってきた。日本の人権状況を世界中に知らしめた「大功績」があるじゃないか。
これを過去の発言がいつまでも蒸し返される時代は怖いなんてレベルで受けとめてはいけない。「人権感覚」のコードは時代によって変わってくる。「差別はいけない」は変わらないが、「何が差別か」は変わってくる。だから昔の本を復刊するときに、「著者には差別に意図がなかったため」と断り書きが書いてあったりする。
そうなんだけど、いつになっても大問題になってしまう問題がある。小林氏の問題はそこに触れてしまっていた。ただし、何度も「ナチスに学べ」的な発言をしている麻生副首相がいつまでも在任している国である。そっちはいいのかという気もする。
この問題に関して、「昔のことだから」「日本は国際問題に詳しくない」という人もいる。
五輪じゃなければ、そういうリクツも通るかもしれない。しかし、何らかの「表現」に関わる人にとって、「ホロコーストを知らなかった」は全くあり得ない。それまでの学校教育で何度も触れてきたはずである。
問題を知っていたからこそ、「ユダヤ人虐殺」がコントになるのである。
日本ではある時代まで、弱いものをいじるような笑いが平気でテレビで放送されていた。そういうのに慣れてしまうと、障がい者や同性愛者をからかうようなネタを作りがちだ。
だが、1994年に映画「シンドラーのリスト」が公開され大きな反響を呼んだ。関連の記事も多かったから、知らないはずがない。
そして1995年に花田紀凱(はなだ・かずよし)が編集長を務めていた文藝春秋社の雑誌「マルコポーロ」で事件が起きた。ホロコーストを否定する「論文」を掲載し、サイモン・ウィーゼンタール・センターから抗議を受けて「マルコポーロ」が廃刊になったのである。
90年半ばはそういう事情があって、ホロコーストへの理解が深まった時代だった。そしてホロコースト否認が法律で犯罪とされるような世界の状況も知られるようになった。それは一お笑い芸人であっても、知っていなければならない問題だったと思う。
僕はその花田氏の現状も問わなければいけないと思う。花田氏は翌年に文春を退社、朝日新聞社や角川書店を経て、「WILL」(ワック・マガジン社)編集長となった。そして2016年からは飛鳥新社で「月刊Hanada」を出している。
この雑誌こそ、8月号で安倍晋三・櫻井よしこの対談を掲載した雑誌である。安倍氏はそこで「共産党に代表されるように、歴史認識などにおいても一部から反日的ではないかと批判されている人たちが、今回の開催に強く反対しています。朝日新聞なども明確に反対を表明しました」と「五輪反対」は「反日」という訳の判らない「レッテル貼り」発言を行った。
「偏向レンズ」で世の中を見るとこう見えるという「歴史的発言」だろう。しかし、僕は安倍氏の発言を取り上げたいわけではない。
なんでいつまでも花田氏が極右的雑誌を出していられるのかを問いたいのである。そのような日本の状況こそ、一番先に問われるべきものではないか。
もちろん僕は花田氏が一切雑誌業界に関わってはいけないなどとは言わない。だが同じような暴言を繰り返すような雑誌を出せるというのが理解出来ない。
世界の人権状況を日本に紹介するような雑誌なら歓迎である。売れるかどうかの問題ではない。そうではなく、結局同じ路線で「売れ線」狙いである。しかも前任の「WILL」とそっくりの表紙で、抗議を受けている。
こういう雑誌が作られて売られているという状況を見れば、日本ではホロコースト否認論に関わっても大したことはないんだというメッセージになる。
僕は小林氏以上に麻生氏や花田氏が日本の大問題だと思う。
『尾形修一の紫陽花(あじさい)通信』(2021年07月22日)
https://blog.goo.ne.jp/kurukuru2180/e/888fcca9f4b6dc7a30d66c62f8115919
◆ 日本の人権状況を世界に知らせたー東京五輪③
2回目に「人権センサー」の感度が高い人は東京五輪を避けると書いた。同じことを続けて書くのも何だけど、開会式前日にまた問題が発覚したのにはさすがに驚いた。
まだ、いたのか。森喜朗氏が「そういう人」だというのは知っていたが、他にもいろんな人がいるもんだ。今回は小林賢太郎という人で、何でも90年代に「ユダヤ人虐殺ごっこ」というコントを作っていたという。
ネット時代になって、過去の問題がいつまでも残り続けることになった。それは行き過ぎると過剰なバッシングになってしまうが、小山田氏の問題もそうだったが本人が今につながる仕事をしていた中で自分で発信したメッセージである。
何だか東京に五輪が来て良かったなあという気になってきた。日本の人権状況を世界中に知らしめた「大功績」があるじゃないか。
これを過去の発言がいつまでも蒸し返される時代は怖いなんてレベルで受けとめてはいけない。「人権感覚」のコードは時代によって変わってくる。「差別はいけない」は変わらないが、「何が差別か」は変わってくる。だから昔の本を復刊するときに、「著者には差別に意図がなかったため」と断り書きが書いてあったりする。
そうなんだけど、いつになっても大問題になってしまう問題がある。小林氏の問題はそこに触れてしまっていた。ただし、何度も「ナチスに学べ」的な発言をしている麻生副首相がいつまでも在任している国である。そっちはいいのかという気もする。
この問題に関して、「昔のことだから」「日本は国際問題に詳しくない」という人もいる。
五輪じゃなければ、そういうリクツも通るかもしれない。しかし、何らかの「表現」に関わる人にとって、「ホロコーストを知らなかった」は全くあり得ない。それまでの学校教育で何度も触れてきたはずである。
問題を知っていたからこそ、「ユダヤ人虐殺」がコントになるのである。
日本ではある時代まで、弱いものをいじるような笑いが平気でテレビで放送されていた。そういうのに慣れてしまうと、障がい者や同性愛者をからかうようなネタを作りがちだ。
だが、1994年に映画「シンドラーのリスト」が公開され大きな反響を呼んだ。関連の記事も多かったから、知らないはずがない。
そして1995年に花田紀凱(はなだ・かずよし)が編集長を務めていた文藝春秋社の雑誌「マルコポーロ」で事件が起きた。ホロコーストを否定する「論文」を掲載し、サイモン・ウィーゼンタール・センターから抗議を受けて「マルコポーロ」が廃刊になったのである。
90年半ばはそういう事情があって、ホロコーストへの理解が深まった時代だった。そしてホロコースト否認が法律で犯罪とされるような世界の状況も知られるようになった。それは一お笑い芸人であっても、知っていなければならない問題だったと思う。
僕はその花田氏の現状も問わなければいけないと思う。花田氏は翌年に文春を退社、朝日新聞社や角川書店を経て、「WILL」(ワック・マガジン社)編集長となった。そして2016年からは飛鳥新社で「月刊Hanada」を出している。
この雑誌こそ、8月号で安倍晋三・櫻井よしこの対談を掲載した雑誌である。安倍氏はそこで「共産党に代表されるように、歴史認識などにおいても一部から反日的ではないかと批判されている人たちが、今回の開催に強く反対しています。朝日新聞なども明確に反対を表明しました」と「五輪反対」は「反日」という訳の判らない「レッテル貼り」発言を行った。
「偏向レンズ」で世の中を見るとこう見えるという「歴史的発言」だろう。しかし、僕は安倍氏の発言を取り上げたいわけではない。
なんでいつまでも花田氏が極右的雑誌を出していられるのかを問いたいのである。そのような日本の状況こそ、一番先に問われるべきものではないか。
もちろん僕は花田氏が一切雑誌業界に関わってはいけないなどとは言わない。だが同じような暴言を繰り返すような雑誌を出せるというのが理解出来ない。
世界の人権状況を日本に紹介するような雑誌なら歓迎である。売れるかどうかの問題ではない。そうではなく、結局同じ路線で「売れ線」狙いである。しかも前任の「WILL」とそっくりの表紙で、抗議を受けている。
こういう雑誌が作られて売られているという状況を見れば、日本ではホロコースト否認論に関わっても大したことはないんだというメッセージになる。
僕は小林氏以上に麻生氏や花田氏が日本の大問題だと思う。
『尾形修一の紫陽花(あじさい)通信』(2021年07月22日)
https://blog.goo.ne.jp/kurukuru2180/e/888fcca9f4b6dc7a30d66c62f8115919
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