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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

《大阪ネットニュース14号から その4〔戒告処分取消共同訴訟(3)〕》

2018年05月13日 | 日の丸・君が代関連ニュース
 ◆ 内藤裁判長がそう言うなら・・・
戒告処分取消共同訴訟原告 増田俊道

 私が「君が代」不起立で処分されてからまる5年。7人で裁判提訴してから3年弱。同僚や教え子やたくさんの人に支えられてきた裁判の結論が、こんなつまらない判決だなんてまだ信じられません。
 「原告らに係る本件各職務命令違反行為は、・・・自己の教育上の信念等を優先させて、あえて式典の秩序に反する特異な行動に及んだもので、厳しい非難に値するものであるというべきである。」(判決文64頁)という内藤裁判長の判断は、一体どこから出てきたものでしょう。
 府教委でさえそのような事は主張していません。私たちを攻撃してくるいわゆる「ネトウヨ」の理屈そのものです。秩序に反することを攻撃し排除するファシズムそのものでもあります。
 信念のないロボットのような教員たれとする、内藤裁判長の「特異な」思考の表明なのかもしれません。
 さらに、私たちは、府国旗国歌条例府職員基本条例の組み合わせによって、「君が代」不起立3回で免職するという、橋下徹が提案した「3アウト制」の不当性を訴えていました。
 にもかかわらず、内藤裁判長は、「本件では、原告らについて、同条項が適用されたわけではなく、・・・同条項が違憲であるとする原告らの主張は、具体的な紛争(判決文のママ。多分「論争」の間違いでしょう。これも内藤裁判長お得意の誤字なのでしょうか)を離れて、抽象的に法令の違憲審査を求めるものと解さざるを得ず、失当というほかない」(判決文49頁)と断じています。
 つまり、「文句があるなら3回処分されてから具体的に争え!」ってことなんですね?よーくわかりました。
 私は今春の卒業式でも「君が代」不起立で、2回目の処分をされようとしています。私は、まだ56歳です(苦笑)。定年まで4年もあります(失笑)。もし、再任用で働くとすれば、まだ9年も教員として働くことでしょう(爆笑)。
 内藤裁判長(その頃には裁判長でないかも知れませんが)、私が3回目の処分で免職になったらきっちり判断してくださいね!
 ◆ ZAZAの放つ30本の矢の一つとして
戒告処分取消共同訴訟原告 松村宜彦

 私が、不起立処分撤回の闘いを続けている理由を述べたい。
 私が「日の君」強制に疑問を持ったのは、大学で教師としての人権教育の勉強を始めてからである。私も最初は自覚しなかつたが、民主主義の基本は、「だれからのいかなる指示にも、それが妥当なのかと疑問を持ち、したくなければ従わない事であること」を知り、また日の丸・君が代の歴史を学び、この強制が戦前・戦後と教育支配の道具として使われていると確信するに至った。
 沖縄、広島、東京、大阪は、戦後この強制にあらがってきた地域である。とりわけ東京では、都教委による2003年「10・23通達」で、一斉に君が代強制処分攻撃が始まると、それとの闘いが数多く始まり、多くが裁判に持ち込まれた。その数、人事委員会・地裁・高裁・最高裁と分けて一人で4件、5件と数えると、千件近くの争議・裁判が闘われたことになる
 その闘いの中で勝ち取った成果の一つが、戒告処分を超す減給・停職などの処分を取り消させてきたことである。千本の矢を放つことで、教育現場での「日の君」強制処分に風穴を開ける成果を勝ち取ってきた。
 私たちZAZAの争議は数としては30数件の争議だか、すでに再任用を認めさせる闘いにおいて、大阪市の松田さんに続き、奥野さんが再任用される成果を勝ち取ってきている。この勢いを法廷に持ち込み、3名の再任用解雇撤回の最高裁闘争、梅原さんの地裁提訴の闘いで勝利したい。
 この再任用問題での成果を実現した大きな力が、笠松さんが始められた大阪商工部の見解を引き出す取り組みだった。民間の争議経験が言っているように「争議を勝利に導く大きなカは大衆運動のカ」の教訓がみごと活かされていると思う。
 私たちの「戒告処分撤回」の闘いは、東京でも突破できていない新たな領域になる。不当極まる地裁「内藤判決」を打破するために、弁護団とカを合わせ更なる闘いを開始したい。
 ◆ 人権抑圧機関と化した裁判所
戒告処分取消共同訴訟原告 山ロ 広

 予想していたとはいえ、トンデモ判決に、憤り、悔しさ、情けなさを禁じえない。
 内藤裕之裁判長、この人ほんまに法律勉強したん?憲法って何か知らんのんちやう?自分の思ったこと、考えたことがそのまま法律として通用すると思ってんのちゃう?というのが、率直な感想だ。
 人権というもの、これは人類が長い時間をかけ大きな犠牲を払ってたたかいとってきた、人類みんなで共有すべき財産である。
 それをいとも簡単に、「式典の厳粛さ」の前に葬り去る!こんな愚かしいことが、本来憲法の番人であるべき裁判所の法廷で行われる。
 戦前の暗黒社会に私たちを投げ込むような理不尽がまかり通る。政治権力だけでなく、裁判所が人権抑圧機関と化してしまっている現実をまざまざと見せつけられた。
 もともと裁判所には、とくに品格に欠ける内藤裁判長には期待してはいなかったが、しかしこんなにやつらに好き勝手にさせて許せるもんか!
 しかし、考えてみれば、今の日本はかつてなく人権がないがしろにされているように思う。ヘイトスピーチの問題は端的だが、もっと普遍的と思えるのが、若者の働き方の問題、とりわけ非正規雇用の問題は大きいように思う。
 私の若いころは、労働は人間が人間であるための必要不可欠なもの、人間の本質、人間たる由縁と教えられ、私もそのように生徒に教えたが、今は人間性を切り売りしながら、命を永らえるだけのものに変質させられてしまっているのではないか、と思わせられる状況がある。
 そして、人間性を売り尽くしてしまって、過労死過労自死になる。しかも、そのような非人間的な状況に追い詰められた本人が、自分の人権が蔑ろにされているのだと気づいていない。
 私たちのたたかいは、そんなグローバル資本の支配のもとで進行している状況に、異議申し立てを行い、人々に「俺たちは人間なんだ」と人間としての誇り、人権意識を取り戻すことの重要さを知らせる意味が少なくともあるのではないかと思う。
(「戒告処分取消共同訴訟」原告の声 終わり)

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