《被処分者の会通信 97号から》
◎ 君が代三次訴訟一審判決(東京地裁平成22年(行ウ)第94号)について
1月16日午後1時10分の判決言渡し(主文のみ朗読し、理由は法廷では告げられませんでした)に原告代理人として出席した後、判決謄本を受け取って内容を読みました。判決を読んでの全体的な感想は、以下のとおりです。
(1)本判決は、これまでの最高裁判所判決(多数意見)の出した理屈と結論をそのまま機械的に当てはめたもので、「結論先にありき」のいわゆる紋切り型の判決でした。
判決文(第4争点に関する当裁判所の判断)のどこを読んでみても、原告被告双方の主張を真剣に検討した跡が見られません。言い換えれば、司法判断をするに当たっての裁判所としての悩みが見られないのです。
このような、裁判を受ける当事者の問題意識に正面から答えようとしないという意味で、心に響くことのない判決が出されたことは、本裁判に関わった者として非常に残念です。
10・23通達が発出された具体的事情を慎重に吟味しようとしない裁判官の頭の中には、「教職員に対し卒業式等の場で起立・斉唱等することを命令することのどこがいけないのだ」という価値判断が「社会常識」という名の元に居座っているのでしょうか。
私には、都教委の頑ななまでの起立・斉唱等行為への拘り(しかも懲戒処分を突きつけながらの)の方が、よほど「社会常識」に反する態度だと感じられるのですが……。
(2)ただ、本判決も、最高裁判決の判断枠組を踏襲しているため、戒告を超えた減給や停職といった懲戒処分については、原則として裁量権の逸脱・濫用に当たり違法となると結論づけており、確認的ではありますが、都教委の懲戒処分に対する一応の歯止めとしての意義を有しています。
また、本判決は、原告側の様々な主張について無視することをせず、形式的ではあれ、一応裁判所としての判断を示しています。この点は、控訴審の段階で、一審裁判所の判断の誤りを具体的に指摘し主張し易いと言えます。個別の争点に関する本判決の不当性については、今後弁護団内部で協議の上、控訴理由書にまとめて東京高裁に提出する予定です。
『被処分者の会通信 97号』(2015/1/29)
◎ 君が代三次訴訟一審判決(東京地裁平成22年(行ウ)第94号)について
君が代三次弁護団弁護士 渡邉寛之
1月16日午後1時10分の判決言渡し(主文のみ朗読し、理由は法廷では告げられませんでした)に原告代理人として出席した後、判決謄本を受け取って内容を読みました。判決を読んでの全体的な感想は、以下のとおりです。
(1)本判決は、これまでの最高裁判所判決(多数意見)の出した理屈と結論をそのまま機械的に当てはめたもので、「結論先にありき」のいわゆる紋切り型の判決でした。
判決文(第4争点に関する当裁判所の判断)のどこを読んでみても、原告被告双方の主張を真剣に検討した跡が見られません。言い換えれば、司法判断をするに当たっての裁判所としての悩みが見られないのです。
このような、裁判を受ける当事者の問題意識に正面から答えようとしないという意味で、心に響くことのない判決が出されたことは、本裁判に関わった者として非常に残念です。
10・23通達が発出された具体的事情を慎重に吟味しようとしない裁判官の頭の中には、「教職員に対し卒業式等の場で起立・斉唱等することを命令することのどこがいけないのだ」という価値判断が「社会常識」という名の元に居座っているのでしょうか。
私には、都教委の頑ななまでの起立・斉唱等行為への拘り(しかも懲戒処分を突きつけながらの)の方が、よほど「社会常識」に反する態度だと感じられるのですが……。
(2)ただ、本判決も、最高裁判決の判断枠組を踏襲しているため、戒告を超えた減給や停職といった懲戒処分については、原則として裁量権の逸脱・濫用に当たり違法となると結論づけており、確認的ではありますが、都教委の懲戒処分に対する一応の歯止めとしての意義を有しています。
また、本判決は、原告側の様々な主張について無視することをせず、形式的ではあれ、一応裁判所としての判断を示しています。この点は、控訴審の段階で、一審裁判所の判断の誤りを具体的に指摘し主張し易いと言えます。個別の争点に関する本判決の不当性については、今後弁護団内部で協議の上、控訴理由書にまとめて東京高裁に提出する予定です。
『被処分者の会通信 97号』(2015/1/29)
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