パワー・トゥ・ザ・ピープル!!アーカイブ

東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

国旗国歌はもみがらの象徴にすぎないとする「リンゴ箱・憲法」論

2021年04月08日 | 日の丸・君が代関連ニュース
  《澤藤統一郎の憲法日記から》
 ◆ 国旗・国歌の強制とは、リンゴ箱の中の籾殻が
  大切なリンゴを傷付けている図である


 憲法の全体像をどうイメージし、どんな形のものとして把握し説明するか。それは、憲法の理念をどう捉えるか、各理念の関係をどう捉えるか、つまりは体系としてどう理解するかに関わる。
 憲法の全体像をタマゴの形としてイメージすることの有用性について、当ブログに記事にしたことがある。今読み返してみると、それなりに面白い。
 ※ 憲法の構造として「卵黄と卵白」をイメージしよう。(2019年11月15日)
 この記事は、「(象徴)天皇制」をどう憲法の体系に位置づけるかを意識したものだが、天皇制を論じることは憲法の隅っこの課題でしかない。むしろ、国旗・国歌(日の丸・君が代)強制問題に関連付けて「憲法の形」を再論してみたい。これは、憲法体系の最重要課題を語ることに通じる。
 憲法の基本構造を「3本の柱」で説明したのが、文部省が中学校1年生用社会科の教科書として発行した「新しい憲法のはなし」。この教科書では、「いちばん大事な考えが三っつあります」として、「民主主義」と「国際平和主義」と「主権在民主義」を挙げている。
 この憲法体系イメージのミソは、「天皇」という柱を取っ払ったことである。「主権在民」という柱は、天皇主権を否定してそびえている。「民主主義」も「国際平和主義」も、大日本帝国憲法の理念のアンチテーゼとして確立されたもの。当時の「新しい憲法」の解説としては、優れものだったろう。
 しかし、この3本柱イメージは、「人権」が欠落している点で、大きな違和感を禁じえない。近代立憲主義の視点からの整理がなされているともいいがたく、そもそも体系性に欠けるのだ。
 私の世代は、「国民主権」・「恒久平和」・「基本的人権」3本の原理を柱として、憲法体系が成り立っているという憲法構造の把握に馴染んできた。この3本柱の構造も、天皇制の旧憲法とは異なる「新憲法の特徴」を取りあげて「重要な柱」として列記したもの。もちろん間違えではないが、各柱それぞれの位置づけや関係性には無頓着で、これも体系的なものとは言いがたい。
 私は、憲法の全体系をタマゴの形と把握したい。もう少し正確に言えば、卵の内側の構造。黄身(卵黄)白身(卵白)の関係のイメージである。
 大切な黄身(卵黄)を壊さぬように、白身(卵白)が優しく包んで支えているという構造。
 もちろん、黄身(卵黄)が人権である。その中核に「個人の尊厳」が位置している。
 白身(卵白)が統治機構である。黄身(卵黄)を支え、黄身(卵黄)を保護するものとしての役割を担っている。
 本来的な憲法価値は黄身(卵黄)にある。しかし、白身(卵白)がなければ、黄身(卵黄)は保護されない。
 だから、白身(卵白)も黄身(卵黄)を守るためのものとして、その限りで価値を認められる。が、それ以上の価値があるわけではない。
 黄身(卵黄)は繊細で傷つきやすい。
 ともすると、黄身(卵黄)を守るべき白身(卵白)によって傷つけられる。白身(卵白)が肥大し、あるいは硬直化して黄身(卵黄)を押し潰す危険が大きいのだ。
 そこで、白身(卵白)は、黄身(卵黄)を傷つけることのないように自制しなければならず、そのためのいくつものサブシステムをもっている。
 それが、三権分立であり、民主主義であり、戦力の不保持であり、検閲の禁止であり、学問の自由であり、教育への支配の禁止であり、司法の独立であり、平和主義であり、租税法定主義…等々である。
 この至高の価値としての人権とこれを支える統治機構の関係の比喩は、卵黄と卵白でなくてもよい。ウニと棘皮でも、貝の身と貝殻でも、カンガルーの赤ちゃんと母親の袋でも、ひなと鳥の巣でも、小銭と財布でも、果実のタネと果肉でも、あるいは電力と送電線でも、コンテンツと通信手段でも、なんでもよいのだ。
 が、大切に黄身(卵黄)を抱く白身(卵白)のイメージがふさわしいように思われる。

 国旗・国歌(日の丸・君が代)の強制に関する問題を意識して、もう一つ「リンゴ箱・憲法」論を提案したい。
 かつて、リンゴは木製の木箱で運搬された。木箱には、リンゴを保護するための籾殻が詰められていた。
 このリンゴと籾殻をイメージしていただきたい。
 リンゴが人権である。その芯として、個人の尊厳がある。
 これを傷付けてはならないとして、統治機構としての籾殻がリンゴを支えているのだ。
 統治機構の総体が国家にほかならない。
 国家は、個人の尊厳を擁護するための籾殻として重要な存在ではあるが、それ以上のものではない。
 国旗・国歌(日の丸・君が代)とは、国家の象徴である。
 「国旗(日の丸)に向かって正対し、国歌(君が代)を斉唱せよ」と命じるのは、籾殻がその分を弁えずにリンゴに向かって、「汝リンゴよ、籾殻たる我に敬意を表明せよ」と言っている滑稽な構図なのだ。
 そもそも、籾殻の役割はリンゴの保護にある。リンゴにエラそうなことを言う資格はないし、リンゴを傷付けるなどもってのほかなのである。
『澤藤統一郎の憲法日記』(2021年4月2日)
http://article9.jp/wordpress/?p=16598
コメント    この記事についてブログを書く
« 文科省は新教科「公共」「歴... | トップ | 指導力不足教員研修で分限免... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日の丸・君が代関連ニュース」カテゴリの最新記事