《尾形修一の教員免許更新制反対日記から》
◆ 「山本総務相」と「大塚五輪担当相」の靖国参拝
暑い時期は毎日書くのも疲れるし、読む人も減る。オリンピックもやってるし、つい書かないでいると記事がたまってしまう。今日は夜に台風が関東に近づく(上陸も?)ということで、早々と帰ってきたからまとめて簡単に書いてしまいたい。
8月15日を「終戦記念日」というのもどうなんだと毎年思う。書いたこともあると思うけれど、15日に天皇の「玉音放送」があって日本国内に公に知らされたことは事実なわけだけど、戦艦ミズーリ号上の降伏文書調印式は9月2日である。こっちが法的には「終戦」でしょ。もちろん、「終戦」か「敗戦」かという問題もある。それに連合国に伝えられたのは14日だし、ソ連は15日以後に千島列島攻略を進めている。だから、「8・15」にこだわる気持ちは薄れてしまっている。
まあ、それはともかく、今年もこの日に靖国神社に参拝する閣僚と議員たちがいた。
僕にとって新しく考える問題ではないから、今さら事細かく書く気も起きないんだけど、今年は稲田防衛相がどうするかが注目された。毎年参拝していたからだが、「主要閣僚」になった今年も参拝すると「外交問題」になる。と思ったらジブチの自衛隊視察に海外出張してしまった。誰が考えたのかは知らないけど、確かにこれは「妙手」ではある。本人も「過去の戦死者」を弔うよりも、「未来の戦死者(候補)」を激励しに行く方がもっと大事な任務だと自分を納得させているわけだろう。
代わりというわけか、今年も高市早苗国務大臣(総務相)と丸川珠代国務大臣(東京五輪担当相)が靖国神社を参拝した。昨年も行ったけど、大きな外交問題にはならなかった。「主要閣僚」ではないのである。それを自分でも判っていて、閣内で「性別分業」を行っているのである。安倍首相などの「主要閣僚」だって本当は行きたいのだが、「A級戦犯」だの「政教分離」だのと騒ぎ立てる輩がいるから、あえて「大人の対応」をせざるを得ない。よって、そこで「主要閣僚じゃない私たち」の「内助の功」の出番であるというわけだ。
だけど、国務大臣はみな「内閣」の一員ではないか。諸外国から見た場合は、首相や外相以外は大きな問題にならないのかもしれないが、日本国民からすれば「内閣」が行政権を持つわけで、「国務大臣」として記帳する行為は、憲法97条にある「国務大臣の憲法擁護義務」に違反する。大体、総務相や五輪担当相だって、当然「主要閣僚」ではないのか。放送を主管する総務相が違憲の行動を取っていいのか。
まあ、高市氏や丸川氏にそういうことを言っても仕方ないだろうとは思う。表題を「山本総務相」と「大塚五輪相」とした。誰だっていうかもしれないが、いずれもお二人の「戸籍名」である。
高市氏は2003年に落選後、福井2区選出の山本拓衆議院議員と結婚した。夫の戸籍名で届けたから、戸籍上は「山本早苗」となる。
丸川氏は2007年に参議院議員に当選し、翌年に大塚拓衆議院議員(埼玉9区)と結婚した。どっちも旦那の名前が拓ですなあ。
つまり、自分では「夫婦別姓」で政治活動をしている。それなのに、この二人は選択的夫婦別姓制度に反対している。何故だ?
戸籍さえ一緒にすればそれでよく、政治活動は「旧姓使用」するのはいいというのか。いや、今まで売り込んだ名前を継続使用したいというだけだろう。でも、社会活動に「不便」があるというのは、別姓論の大きな理由(の一つ)だろう。選択的夫婦別姓制度に反対するというのなら、結婚後は自分でも戸籍名を使用して、自ら範を示すべきではないか。(というか、山本拓さんは当選7回を続けながら、一回も入閣できていない。自分はいいから夫を入閣させてほしいというのが、伝統的な日本女性の「婦徳」というべきじゃないんですかねえ。)
夫婦別姓問題の考え方とは別にして、「こういう人は信用できない」というのが僕の人間観だ。
信念を貫くなら、選挙に不利でも戸籍名で出るべきだし、別姓で活動するなら別姓に賛成するべきだ。
そういう風に思うんだけど。一事が万事、そういう人が靖国神社に参拝する。マジメには受け取れない。
内閣の中で自分たちは「女が務める閣僚の性別役割」として、「(政治的な意味での)夫の名代」のようなことをする。そういう「構造」が今でも存在するという社会が嫌だなあと思うわけである。
『尾形修一の教員免許更新制反対日記』(2016年8月16日)
http://blog.goo.ne.jp/kurukuru2180/e/ac710e2df4350b72f8d8ed90e373af0f
◆ 「山本総務相」と「大塚五輪担当相」の靖国参拝
暑い時期は毎日書くのも疲れるし、読む人も減る。オリンピックもやってるし、つい書かないでいると記事がたまってしまう。今日は夜に台風が関東に近づく(上陸も?)ということで、早々と帰ってきたからまとめて簡単に書いてしまいたい。
8月15日を「終戦記念日」というのもどうなんだと毎年思う。書いたこともあると思うけれど、15日に天皇の「玉音放送」があって日本国内に公に知らされたことは事実なわけだけど、戦艦ミズーリ号上の降伏文書調印式は9月2日である。こっちが法的には「終戦」でしょ。もちろん、「終戦」か「敗戦」かという問題もある。それに連合国に伝えられたのは14日だし、ソ連は15日以後に千島列島攻略を進めている。だから、「8・15」にこだわる気持ちは薄れてしまっている。
まあ、それはともかく、今年もこの日に靖国神社に参拝する閣僚と議員たちがいた。
僕にとって新しく考える問題ではないから、今さら事細かく書く気も起きないんだけど、今年は稲田防衛相がどうするかが注目された。毎年参拝していたからだが、「主要閣僚」になった今年も参拝すると「外交問題」になる。と思ったらジブチの自衛隊視察に海外出張してしまった。誰が考えたのかは知らないけど、確かにこれは「妙手」ではある。本人も「過去の戦死者」を弔うよりも、「未来の戦死者(候補)」を激励しに行く方がもっと大事な任務だと自分を納得させているわけだろう。
代わりというわけか、今年も高市早苗国務大臣(総務相)と丸川珠代国務大臣(東京五輪担当相)が靖国神社を参拝した。昨年も行ったけど、大きな外交問題にはならなかった。「主要閣僚」ではないのである。それを自分でも判っていて、閣内で「性別分業」を行っているのである。安倍首相などの「主要閣僚」だって本当は行きたいのだが、「A級戦犯」だの「政教分離」だのと騒ぎ立てる輩がいるから、あえて「大人の対応」をせざるを得ない。よって、そこで「主要閣僚じゃない私たち」の「内助の功」の出番であるというわけだ。
だけど、国務大臣はみな「内閣」の一員ではないか。諸外国から見た場合は、首相や外相以外は大きな問題にならないのかもしれないが、日本国民からすれば「内閣」が行政権を持つわけで、「国務大臣」として記帳する行為は、憲法97条にある「国務大臣の憲法擁護義務」に違反する。大体、総務相や五輪担当相だって、当然「主要閣僚」ではないのか。放送を主管する総務相が違憲の行動を取っていいのか。
まあ、高市氏や丸川氏にそういうことを言っても仕方ないだろうとは思う。表題を「山本総務相」と「大塚五輪相」とした。誰だっていうかもしれないが、いずれもお二人の「戸籍名」である。
高市氏は2003年に落選後、福井2区選出の山本拓衆議院議員と結婚した。夫の戸籍名で届けたから、戸籍上は「山本早苗」となる。
丸川氏は2007年に参議院議員に当選し、翌年に大塚拓衆議院議員(埼玉9区)と結婚した。どっちも旦那の名前が拓ですなあ。
つまり、自分では「夫婦別姓」で政治活動をしている。それなのに、この二人は選択的夫婦別姓制度に反対している。何故だ?
戸籍さえ一緒にすればそれでよく、政治活動は「旧姓使用」するのはいいというのか。いや、今まで売り込んだ名前を継続使用したいというだけだろう。でも、社会活動に「不便」があるというのは、別姓論の大きな理由(の一つ)だろう。選択的夫婦別姓制度に反対するというのなら、結婚後は自分でも戸籍名を使用して、自ら範を示すべきではないか。(というか、山本拓さんは当選7回を続けながら、一回も入閣できていない。自分はいいから夫を入閣させてほしいというのが、伝統的な日本女性の「婦徳」というべきじゃないんですかねえ。)
夫婦別姓問題の考え方とは別にして、「こういう人は信用できない」というのが僕の人間観だ。
信念を貫くなら、選挙に不利でも戸籍名で出るべきだし、別姓で活動するなら別姓に賛成するべきだ。
そういう風に思うんだけど。一事が万事、そういう人が靖国神社に参拝する。マジメには受け取れない。
内閣の中で自分たちは「女が務める閣僚の性別役割」として、「(政治的な意味での)夫の名代」のようなことをする。そういう「構造」が今でも存在するという社会が嫌だなあと思うわけである。
『尾形修一の教員免許更新制反対日記』(2016年8月16日)
http://blog.goo.ne.jp/kurukuru2180/e/ac710e2df4350b72f8d8ed90e373af0f
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