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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

10・1第3次訴訟原告主張要旨から

2010年10月13日 | 日の丸・君が代関連ニュース
 《10・1 東京「君が代」第3次訴訟原告準備書面から》
 ◎ 「不当な支配」に対する被告の主張の誤り
代理人 市川怜美


「報告集会」 《撮影:平田 泉》

 1 大綱的基準論の適用範囲について

 被告は,旭川学テ判決を引用しつつ,教育の内容及び方法に関して国が基準を設定する場合においては,大綱的基準にとどめることが要請されているのに対し,地方公共団体の教育委員会にはこれが当てはまらないと主張しています。
 しかし,まず,旭川学テ判決においては,第1に,教育行政機関が法令に基づいて行政を行う場合についても,教育基本法10条1項の「不当な支配」に含まれ,また第2に,同条2項にいう教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立について,教育行政機関の権限は原則としてごく大綱的な基準の設定に限られると判断しています。
 そして,この法理は,判決では国の教育行政について述べられたものですが,当然,地方公共団体の教育行政にも当てはまります。なぜなら,そもそも教育基本法が国のみならず地方公共団体も名宛人とした法であり,判決が教育行政に謙抑性を求める第一の理由が「教育の自主性尊重」にあり,この教育の自主性尊重は地方公共団体の教育行政に対しても求められることだからです。
 このことは,旭川学テ判決が,教育基本法10条1項が排斥しているのは,「教育が国民の信託にこたえて」「自主的に行なわれることをゆがめるような『不当な支配』であって,そのような支配と認められる限り,その主体のいかんは問うところでない」と判示していることからも明らかです。
 また,被告は,地方教育委員会に大綱的基準論が当てはまらない理由として教育の地方自治の原則も挙げています。しかし,旭川学テ判決が,教育に関する介入を大綱的な基準にとどめるべきだとする主たる理由は,教師の創意工夫等の尊重等といった教育の目的及び本質にあり,教育の地方自治の原則はあくまで従たる理由に過ぎません
 また,そもそも教育の地方自治の原則とは,国から地方に対する介入を制限する根拠なのであって,地方の教育行政機関がその地方の内側に向けて教育に介入することを拡大する根拠にはなりえないのです。
 2 大綱的基準論の解釈について
 被告は,教育委員会は,「許容された目的のために必要かつ合理的と認められる範囲であれば教育の内容及び方法について決定することでき,大綱的基準であることをその限界とするものではない。」と主張しています。
 しかし,旭川学テ判決は,必要性・合理性の基準について,決して大綱的基準とは別に設定し得る基準であると述べている訳ではなく,ましてや必要性・合理性があれば大綱的基準の枠を超えてもよいなどという意味だとも述べてはいません。
 大綱的基準の枠内であることが,必要性・合理性が認められるための重要な要件になっているのです。
 3 違法性の判断過程について
 旭川学テ判決は,違法性判断にあたって,手続上の適法性を検討し,さらに実質上の適法性として,(1)目的が違法不当でないか,(2)必要性があるか,(3)「不当な支配」とならないか
 さらに(3)につき,①教育内容の強制的変更の有無,②教育活動の実質をもつか否か,③教師の教育の自由が阻害されるか否かを審査するという,実に慎重な審査基準をもうけています。
 本件について,被告は10・23通達の手続き上の適法性の根拠条文として地教行法23条を主張していますが,同条は教育委員会の所掌事務についての組織法的な根拠規定にすぎません。したがって,この規定のみに基づいて教育活動に関し法的拘束力を有する基準を設定することはできず,別途作用法上の根拠が必要なのです。結局,地教行法23条は,10・23通達の手続上の適法性の根拠たり得ません。
 また,被告は,実質上の適法性について,当該行為が教育活動か行政活動かの区別もせず,必要性及び合理性さえあれば,旭川学テ判決が示したこれらの慎重な審査基準など一切問題とせずに,教育委員会が具体的な命令を発することができると主張しており,明らかに旭川学テ判決に反しています。
 4 教育の地方自治の原則について
 被告は,教育の地方自治の原則を理由として,教育委員会が国旗掲揚・国歌斉唱を指導する具体的な内容・方法を決定できると主張しています。
 しかし,「教育の地方自治の原則」は,前述の通り,教育に対する教育行政機関の制約原理であって,ここから地方公共団体の教育委員会が大綱的基準を超えて教育に介入してよいという結論を導きだすことはできません。
 この原則の理念は,そもそも,国の「強い統制」による「画一的教育」を排除し,「各地方の実情に適応した教育」を行うことにあるのであって,被告の主張するような,“国からの介入は許されないが,地方公共団体自体が自らの内側に向けて行う介入は許される”などという結論とは無縁のものなのです。
 5 全校的統一性・社会通念の主張について
 被告は,入学式等の式典は,全校的に統一性をもって整然と実施される必要性があること,国旗国歌の指導は社会通念上儀式にふさわしい内容・方法によって行わなければならないことなどを理由として,10・23通達によって入学式・卒業式等の式典における国旗掲揚,国歌斉唱の実施方法に関する学校の裁量が制約されても違法・不当でないと主張しています。
 しかし,旭川学テ判決の審査基準から見れば,そもそも被告が国旗国歌の指導を「重要な教育活動」だと認めたうえで,本件通達が「学校の裁量」を制約するものであることを認めたこと自体で,本件通達が学校の教育活動に対する教育行政による「不当な支配」であること,すなわち違法であることを認めたに等しいと言えます。
 しかも,「全校的に統一性」をもたせる必要を仮に肯定するとしても,何故そのために東京都全体に統一性をもたせるよう通達を発しなければならないのかが不明です。
 また,被告は,日の丸,君が代を『一方的な一定の理論や観念』とする原告らの主張は憲法上の大原則たる議会制民主主義の原則を無視するものであり,国旗国歌を尊重する態度を育てるべく児童生徒に指導することは普通教育において当然のことであると主張しています。
 しかし,原告らが問題にしているのは,その指導方法を誰が決めるかということであり,それは,各学校が生徒の自主的実践的活動を助長する方向の創意工夫によって決めるべきだと主張しているのです。さらに,国旗国歌法が国旗国歌を強制する趣旨でないことは,その制定過程と条文の文言から明らかであり,原告らの主張は,何ら議会制民主主義に反していません。
 また,高等学校学習指導要領,文科省解説は,一方で「国旗を掲揚するとともに,国歌を斉唱するよう指導するものとする」としつつ,他方で,卒業式等が「学校ごとの創意工夫」と「生徒の自主的実践的活動」により「弾力的かつ柔軟」に実施されることを奨励しているのですから,10・23通達が強制するような*硬直的画一的な卒業式等は,むしろ学習指導要領に反し,一方的な一定の理念や観念を教え込むことを強制するものと言わざるを得ません。
 6 結語
 以上に述べたとおり,被告の主張は,いずれも理由がないことは明らかです。
以上

 2010年10月1日 東京「君が代」第3次訴訟第2回弁論の原告側主張の要旨から

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