パワー・トゥ・ザ・ピープル!!アーカイブ

東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

アベを倒そう!(31)

2015年11月06日 | 日の丸・君が代関連ニュース
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  【僕、国歌歌わないもん】(石原慎太郎)
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  東京五輪に 【国旗も国歌も必要ない】(ビートたけし)
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  対米従属で「世界征服」を夢想するデマゴギー政治家安倍首相を倒そう!
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 ▲ <戸坂潤の「民衆論」とクラウゼヴィッツの『戦争論』から>
 「アベを倒そう!」(17)(9月19日)で、「人民大衆運動の新しい時代が幕を開けた」と書きました。その後現在も運動は続いています。
 戦前の哲学者・戸坂潤は、「民衆論」(1937年)という論文の中で、次のようなことを述べています。(『戸坂潤全集』第五巻、56~57ページ)
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 西安事変(1936年12月:渡部注)以後の国民政府乃至蒋介石政権は、大体に於て抗日戦線を辿るかのように云われている。・・・・・話の要点は、この抗日運動が単に政府の方針であるとか、ないとかいうだけではなくて、正に民衆のものである、という点にあるのである。
 実際、今日中国の政権を左右しているのは、浙江(せっこう)財閥乃至(ないし)外国資本関係や、封建的軍閥勢力はとに角として、社会現象としては全くこの民衆の世論ともいうべき勢力である。
 張学良も之(これ)なくしてはクーデターを敢行する筈はないし、毛沢東等の勢力も之を活用せずには実在し得ないだろう、と私は遠方から推側する。
 中国の民衆はとに角、その一部でもが事実上の社会的勢力を形成しているのであって、少なくとも、無組織で半ば直接行動的にせよ、政治的役割を握っている。
 中国の民衆は政治的な意義を、政治上の自主性を、有っているのだ。
 ・・・資本主義に全く無邪気であった、幕末乃至維新当時の日本でさえ、世論というものが台頭した。これがその後二十年ばかりの内に、日本に於ける一時的なデモクラシーの形をとって所謂(いわゆる)「公論」となったのである。
 つまりだから、民衆が政治上の自主性を持つことの出来る場合に世論というものが成立し、又は夫(それ)が初めて社会的勢力となるというわけである。
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 今回の「安保法制」反対闘争はまさに、戸坂がここで述べているようなことを表しているのではないでしょうか。
 沖縄では引き続き反基地の長く厳しい闘いが闘われています。
 「戦争は政治的手段とは異なる手段をもって継続される政治にほかならない」と言う言葉で有名なクラウゼヴィッツは、『戦争論』上(岩波文庫、72~73ページ)で次のようなことを述べています。
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 ・・我が方が戦争を長期戦に持ち込んで敵を疲れさせようとするならば、できるだけ小さな目的で我慢せねばならない。・・ところで我が方にとって最小の目的と言えば、純然たる抵抗、即ち積極的意図をもたない闘争にほかならない。
 従ってかかる闘争においては、我が方の用いる手段は、敵側に比して極めて多くしかもその成果は頗る確実である。・・
 とは言え抵抗とても一種の行動である、我が方の抵抗によって敵の戦力が著しく破壊されれば、敵はその意図を放棄せざるを得ないだろう。そしてこのことこそ我が方が抵抗によって成就しようとするところのものなのである。
 我が方の意図が消極性をもつということの真意は、まさにここにある。
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 それだからかかる消極的意図、換言すればあらゆる手段を尽くして純然たる抵抗を試みることが闘争形態として我が方に有利であり、また仮りに敵が強力であるにせよ、わが方のかかる有利が敵の優勢と相殺するほど大であれば、闘争を持続するということだけで、敵側における戦力の消費は次第に増大し、けっきょくこの消費と敵の政治的目的とが釣り合わなくなり、敵は戦争を放棄せざるを得なくなるのである。
 このように敵を疲労せしめることを旨とする遣り方が、強国に抵抗しようとする弱国によって極めてしばしば用いられた理由はまさにここにある。
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 また、93~97ページでは次のようなことを述べています。
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 ところで精神が、未だ曾つて予期したことのないようなものとの不断の闘争によく堪えねばならないとすれば、何よりもまず二個の特性を欠くことができない。
 その第一は、このような甚だしく不分明な事態のなかにあっても、真実を照破するだけの光りをはつかながらも保有しているような知性である、また第二は、このともしい光に頼って行動するところの勇気である。
 前者は譬喩(ひゆ)的に、フランス語の〈coup d'oeil(精神的瞥見(べっけん)〉という語で表現されている、また後者は果断である。
 ・・果断は、個々の具体的な場合における勇気のはたらきである。・・・しかしここで言うところの勇気は身体の危険に対抗する勇気ではなくて、責任に対する勇気ーーつまり心の危険に対抗する勇気である。
 このような勇気をフランス語では〈courage d'espri(精神的勇気)〉と呼んでいる、
 この種の勇気はもともと知性から発するものだからである。

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 上述した「クゥ・ドウィユ」(精神的瞥見)および果断に因んで、これと密接な関係にある沈着、即ち精神が常に目醒めている心的状態を論じなければならない。
 元来戦争は予期しない事件の生起する領域であるが、沈着はまさにこのような領域において、大きな役割を演じるのである。
 予期せぬ事件を適切に処理して誤らない高度の心力が即ち沈着にほかならないからである。
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 また、闘いの指導者の皆さん方に、参考になればと思い、
 100ページにある次のような言葉も紹介します。
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 ・・個々の戦闘員の心身の力が次第に衰え、もはや自己の意志にによっては鼓舞され支持されなくなると、軍全体の無気力はそのまま将帥の意志に重くのしかかってくる。
 そのときこそ将帥の胸に燃える炎、彼の精神の光明は、いったん消えるかに見えた決意の炎と、将兵の心に宿る希望のはつかな光明とを再びあかあかと点さねばならないのである。
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 東京では、例年卒業式の際、約10の団体がビラまきをしています。
 今年度は「戦争法」が強行採決され、まさに、「日の丸・君が代」が戦争に直結する時代になってきました。
 また来年の参院選からは18歳になった高校生たちにも選挙権が与えられます。
 したがって、来春の卒業式におけるビラまきは重要だとおもいます。

 そこで、都教委包囲首都圏ネットワークが呼びかけ、実行委員会主催で以下のような交流会が持たれますので紹介します。
 心ある方々はお集まりください。
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 <交流会名>「11・7卒業式等のビラまき交流会」
 <主 催> 11・7卒業式等のビラまき交流会・実行委員会
         (呼びかけ:都教委包囲首都圏ネットワーク、「ひのきみ全国ネット」・首都圏)
 <日 時>2015年11月7日(土) 18:30~21:00
 <場 所>阿佐ヶ谷地域区民センター 第五集会室
        (JR阿佐ヶ谷駅下車徒歩2分)
 <内 容>①参加者自己紹介
       ②これまでのビラまき経験の紹介
         ・ビラまき対象校
         ・生徒・保護者・教職員の反応
         ・管理職や警察の対応、など
       ③それらを踏まえての討論
         ・効果、教訓など
       ④来年春のビラまきについての意見交換
         ・具体的な予定校など
 <資料代>200円

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「都教委包囲首都圏ネットワーク」のブログのアドレス
  http://houinet.blogspot.jp/
「千葉高教組『日の丸・君が代』対策委員会」のホームページ
 http://homepage3.nifty.com/hinokimi/
「ひのきみ全国ネット」のウェブサイト
http://hinokimi.web.fc2.com/

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