《河原井さん根津さんらの「君が代」解雇をさせない会『都庁前通信』》
■ 「日の丸・君が代」強制の思想が体罰を生む
大阪市立桜宮高校で部活の顧問教師から体罰を受け続けた生徒が自死をしたニュースが伝えられています。この顧問は、以前にも体罰で生徒にけがをさせていたが、指導に体罰は有効と考えていたと言い、その後も体罰を日常的に使っており、それを教員たちは目撃していたということです。
「厳しい指導」を期待する声を、昔から日本ではよく耳にしますし、この学校だけでなく、暴力による「厳しい指導」を肯定、あるいは黙認する教員はかなりの数います。
学校教育法11条には「校長および教員は…体罰を加えることはできない」と明記されています。しかし、校長や教育委員会が体罰に甘いことは、この件の報道でわかります。
市民の通報に市教委は本人(顧問教師)からの聞き取りを校長に依頼。校長は本人の「体罰はない」との虚言を検証しもせずに市教委に報告、市教委はそれで調査を終了。生徒を自殺に追い込んだのは、教育行政の体罰容認姿勢と言っても過言ではありません。
私たちは東京都教育委員会定例会をほとんど毎回傍聴していますが、定例会の非公開議題・報告に「教員の懲戒処分」がないことはまずありません。後日インターネットで見ると、前回1月10日の定例会での懲戒処分の理由は、体罰でした。
「中2男子生徒に体罰を加え、鎖骨を折る大けが。体罰を加えた教員(28)は減給1/10・1ヶ月の懲戒処分。これで東京公立校での平成24年度の体罰による処分は27人目。」(産経)
東京でも、体罰の処分は非常に軽いと思われませんか。「君が代」不起立で、停職6ヶ月処分を乱発してきたことと比較してみてください。根絶したいのは体罰ではなく、「君が代」不起立だという都教委の意志が見えてきます。
ところで、教育行政はなぜ、体罰に鈍感なのでしょう。権力を持つ者は《暴力的に人々を従わせて当然》とする考えが、教育行政に携わるトップの人たちや首長にあるからです。
“体罰は愛のムチ”とか“体罰に耐えることで子どもは成長する”といった考えがありますが、体罰は相手の考えを無視し、暴力によって子どもを服従させ、支配することであり、子どもの人格をふみにじることにほかなりません。
そして、まさに同じことが、「君が代」不起立の教員にたいしてもおこなわれているのです。都教委も、人事考課を利用した教員支配や「君が代」不起立処分にみられるように、都教委の指示は絶対で、上にもの言う教職員を弾圧し不利益を科します。
暴力的な支配の体質が反省されない限り、体罰を防ぐことはできません。
大阪の件も、教員に、自分の頭で考えることで子どもたちは成長していくのだということがわかり、人権意識が確立していたならば、体罰をしなかったはずです。また、同僚たちも黙認はしなかったでしょう。
教育委員会の「日の丸・君が代」の強制命令を受け入れている学校の体質が事故の背景にあるといえます。子どもたちのいじめも、こうした大人たちから『学んで』いる、負の連鎖だと思います。
私たちが「日の丸・君が代」の強制に反対するのは、全教職員の起立・斉唱を見せることによって、子どもたちに同じことをさせ、「日の丸・君が代」についての国家の価値観を一方的に注入し、考えることをさせないからです。暴力に泣き寝入りせずに、自分で考え、きちんと自己主張できる子どもに育ってほしいと願うからです。
=都教委10・23通達(「君が代」不起立処分)から10年=
■ 都教委は子どもたちを「日の丸・君が代」で染めるな!
「君が代」不起立した教員を処分するな!
年が明ければすぐに卒業式です。
12月の都議会定例会の文教委員会で、「10・23通達の強化を求める陳情」が、生活者ネット(1名)の反対、民主(5名)、自民(4名)、公明(2名)、無所属(東京幸志会1名)の計12名の賛成で採択(趣旨採択)となりました。
陳情を出していた「あきる野市鈴木剛」という人物は、都内の多くの区市町村に同じ陳屑を繰り返してきましたが、どの議会も採択しませんでした。しかし、都議会はそれを採択したのです。
また、安倍政権は「新しい歴史教科書をつくる会」のトップをはじめとする極右人物を登用して「教育再生実行会議」を復活させ、「日の丸・君が代」「愛国心」教育の徹底に乗り出しました。
こうした勢いに乗って、都教委がこの春の「君が代」処分や処分後の再発防止研修にどう出るのか、心配です。とりわけ、不起立を続けている教員に対し、どういう制裁を下すのか、非常に心配です。
「君が代」起立を拒否するのは、人格形成の過程にある子どもたちの学ぶ権利、思想信条の(形成の)自由や意見表明権を保障する職務にある、教員としての責任ゆえのことです。
皆さま、どうぞ都教委に対し、標題のことを要求してください。
■ 「日の丸・君が代」強制の思想が体罰を生む
大阪市立桜宮高校で部活の顧問教師から体罰を受け続けた生徒が自死をしたニュースが伝えられています。この顧問は、以前にも体罰で生徒にけがをさせていたが、指導に体罰は有効と考えていたと言い、その後も体罰を日常的に使っており、それを教員たちは目撃していたということです。
「厳しい指導」を期待する声を、昔から日本ではよく耳にしますし、この学校だけでなく、暴力による「厳しい指導」を肯定、あるいは黙認する教員はかなりの数います。
学校教育法11条には「校長および教員は…体罰を加えることはできない」と明記されています。しかし、校長や教育委員会が体罰に甘いことは、この件の報道でわかります。
市民の通報に市教委は本人(顧問教師)からの聞き取りを校長に依頼。校長は本人の「体罰はない」との虚言を検証しもせずに市教委に報告、市教委はそれで調査を終了。生徒を自殺に追い込んだのは、教育行政の体罰容認姿勢と言っても過言ではありません。
私たちは東京都教育委員会定例会をほとんど毎回傍聴していますが、定例会の非公開議題・報告に「教員の懲戒処分」がないことはまずありません。後日インターネットで見ると、前回1月10日の定例会での懲戒処分の理由は、体罰でした。
「中2男子生徒に体罰を加え、鎖骨を折る大けが。体罰を加えた教員(28)は減給1/10・1ヶ月の懲戒処分。これで東京公立校での平成24年度の体罰による処分は27人目。」(産経)
東京でも、体罰の処分は非常に軽いと思われませんか。「君が代」不起立で、停職6ヶ月処分を乱発してきたことと比較してみてください。根絶したいのは体罰ではなく、「君が代」不起立だという都教委の意志が見えてきます。
ところで、教育行政はなぜ、体罰に鈍感なのでしょう。権力を持つ者は《暴力的に人々を従わせて当然》とする考えが、教育行政に携わるトップの人たちや首長にあるからです。
“体罰は愛のムチ”とか“体罰に耐えることで子どもは成長する”といった考えがありますが、体罰は相手の考えを無視し、暴力によって子どもを服従させ、支配することであり、子どもの人格をふみにじることにほかなりません。
そして、まさに同じことが、「君が代」不起立の教員にたいしてもおこなわれているのです。都教委も、人事考課を利用した教員支配や「君が代」不起立処分にみられるように、都教委の指示は絶対で、上にもの言う教職員を弾圧し不利益を科します。
暴力的な支配の体質が反省されない限り、体罰を防ぐことはできません。
大阪の件も、教員に、自分の頭で考えることで子どもたちは成長していくのだということがわかり、人権意識が確立していたならば、体罰をしなかったはずです。また、同僚たちも黙認はしなかったでしょう。
教育委員会の「日の丸・君が代」の強制命令を受け入れている学校の体質が事故の背景にあるといえます。子どもたちのいじめも、こうした大人たちから『学んで』いる、負の連鎖だと思います。
私たちが「日の丸・君が代」の強制に反対するのは、全教職員の起立・斉唱を見せることによって、子どもたちに同じことをさせ、「日の丸・君が代」についての国家の価値観を一方的に注入し、考えることをさせないからです。暴力に泣き寝入りせずに、自分で考え、きちんと自己主張できる子どもに育ってほしいと願うからです。
=都教委10・23通達(「君が代」不起立処分)から10年=
■ 都教委は子どもたちを「日の丸・君が代」で染めるな!
「君が代」不起立した教員を処分するな!
年が明ければすぐに卒業式です。
12月の都議会定例会の文教委員会で、「10・23通達の強化を求める陳情」が、生活者ネット(1名)の反対、民主(5名)、自民(4名)、公明(2名)、無所属(東京幸志会1名)の計12名の賛成で採択(趣旨採択)となりました。
陳情を出していた「あきる野市鈴木剛」という人物は、都内の多くの区市町村に同じ陳屑を繰り返してきましたが、どの議会も採択しませんでした。しかし、都議会はそれを採択したのです。
また、安倍政権は「新しい歴史教科書をつくる会」のトップをはじめとする極右人物を登用して「教育再生実行会議」を復活させ、「日の丸・君が代」「愛国心」教育の徹底に乗り出しました。
こうした勢いに乗って、都教委がこの春の「君が代」処分や処分後の再発防止研修にどう出るのか、心配です。とりわけ、不起立を続けている教員に対し、どういう制裁を下すのか、非常に心配です。
「君が代」起立を拒否するのは、人格形成の過程にある子どもたちの学ぶ権利、思想信条の(形成の)自由や意見表明権を保障する職務にある、教員としての責任ゆえのことです。
皆さま、どうぞ都教委に対し、標題のことを要求してください。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます