「週間 法律新聞」より 2006年6月23日 第1680号 法律新聞社(二面 論壇)
尾山 宏
威力業務妨害で元教諭有罪 不当な東京地裁判決
■ 問題ある判決の事実認定
さる五月三十日に東京地裁刑事第九部は、藤田勝久元教諭に対する威力業務妨害事件(板橋高校卒業式事件)について、罰金二十万円の有罪判決を宣告した。しかしこの判決は、事実認定の面でも、法の解釈適用の面でも、多くの問題を抱えている。その極一端を指摘してみよう。
藤田氏は一九九五年から七年間都立板橋高校に勤務して退職している。二〇〇四年三月十一日の同校卒業式では、かつての全盲の教え子が卒業生の合唱時にピアノを伴奏すると聞き、また前年十月二十三日の都教委教育長通達により、校長の職務命令と懲戒処分の脅しで日の丸・君が代が強制されることとなったことから、藤田氏は、前記の板橋高校の卒業式に関心を持ち、北爪幸夫校長に電話をかけ、来賓として出席することの承諾を得、招待状を受けた。
式当日、藤田氏は、式場である同校体育館に赴き、式開始(午前十時)前の「九時四十二分ころから四十五分ころまでの間」に、保護者らに「サンデー毎日」の「東京都教委が強いる『寒々とした光景』」のコピーを配り、次のように述べた。
「今日は異常な卒業式で、国歌斉唱のときに教職員は必ず立って歌わないと処分されます。ご理解願って、国歌斉唱のときは、できたら着席をお願いします」。
問題は、コピー配布の途中に田中一彦教頭が会場に現れ藤田氏の「言動を制止」したのに対して、「触るんじゃないよ。俺は一般市民だよ」などと「怒号」し、その後会場に現れた北爪校長が「退場を求めたのにこれに従わず」、体育館出入口付近に至るまでの間「何で追い出すんだ」などと「怒号して同式典会場を喧騒状態に陥れ」た、という判決の事実認定にある。
判決によると、同教頭は、コピーの配布中に「比較的小声で」配布の中止を求め、藤田氏の前記発言中にも「比較的小声で、『やめてください、何やってるんですか』などと呼びかけ中止を求めた」ことになっている。その後で教頭と藤田氏が「怒鳴りあいになった」という。
ところが教頭の中止を求めた声は、ICレコーダーには入っていない。判決は、「比較的小声で」とすることによって、その矛盾を回避しようとしたのであろうが、判決によれば、教頭は「無理にでも被告人をこの場から移動させようと考え」、藤田氏の前記発言の終わりころ「被告人の体に手を触れた」と言い、「怒鳴り合い」になったというのであるから、教頭は、有形力を用いてでも藤田氏のコピー配布や発言を止めさせようという強い気持ちを持っていたことになる。そうであるなら、教頭は、藤田氏の発言の終わりころになるよりもずうと前に、はっきりした口調で中止を求めたはずであり、教頭の声がICレコーダーに残っていないのは明らかにおかしい。
■「不測の事態はなかった」
さらに決定的なことがある。判決も認定しているように、都教育庁指導部は、藤田氏が都教委の方針に批判的であることから、本件卒業式に派遣する二名の指導主事に加え鯨岡廣隆指導主事を応援要員として派遣している。同氏は、監視のために会場にいて証拠とされたICレコーダーを採っていたのである。そして教頭は身長百八十一センチ、藤田氏は百七十六センチであり、ともに極めて長身ですぐにも目にとまる存在である。鯨岡氏の着席位置と教頭が配布行為制止をしたとされる場所との間には視線を遮るものは何もなかったと、同人は証言している。ところがその鯨岡氏は、教頭の制止行為を見ていないと証言しているのである。
鯨岡氏や一緒にいた後藤指導主事は、藤田氏の存在にすぐに気付いて、二人の間で以下のような会話が交わされたことがICレコーダーに残されている。
「あれはだれですか」「職員」・・・・
「配ってるね」「何配ってるの」「何かね、うーん」「一枚、もらう」・・・・
「東京都教委、うん、さむざむとした光景・・・・」「週刊誌」「何かの雑誌」「サンデー毎日だね。サンデー毎日」
「あれが藤田かなあ、そうかなあ」
「サンデー毎日の、あのー写しを、配布していたんだな」。
この二人の会話からは、教頭が言うような「不測の事態」が生じており、すぐにも行動を起こさなければという緊迫感は微塵も感じられない。
以上のごとくであるから、コピーの配布や保護者への発言がだれにも制止されることなく平穏に終えたという事実認定を、裁判所はすべきであったのである。
ところが、その後にやってきた教頭が藤田氏の体にさわったり、「『卒業式だぞ。藤田』と大声を張り上げ」たり、校長がその場から退去するように要求したりしたため、藤田氏は抗議したのである。藤田氏は前記の言動以上には何もする気はなかったから、教頭や校長の要求は理不尽だと感じており、これに抗議したのは自然な行為であった。
もし教頭や校長のこれらの介入がなかったなら、その後事態は平穏なままに推移し卒業式の開会に至ったことは明らかである。しかも藤田氏は抗議はしたものの、間もなく式場からも学校からも退出している。実際に卒業式は無事に実施されたのである。
■ 司法の人権・憲法感覚欠如
このように判決が明らかな事実誤認を犯し、藤田氏の言動を「威力」に当たるとするのは、同種事案の判例に照らして無理があるにもかかわらず、裁判所が敢えて有罪判決に踏み切ったのは、なぜなのか。
それは藤田氏が「サンデー毎日」の記事のコピーを配布し、前記のような発言をしたこと自体が許されないとする思考が、根底において働いていたからではないのか。たとえ保護者らが自由に懇談している式前になされた平穏なお願いであっても、「お上」への批判は一切認めないということだとすると、司法の人権感覚、憲法感覚の欠如を意味するものとして厳しく批判されなければならない。
(「板橋高校卒業式事件」弁護団長、東京弁護士会会員)
尾山 宏
威力業務妨害で元教諭有罪 不当な東京地裁判決
■ 問題ある判決の事実認定
さる五月三十日に東京地裁刑事第九部は、藤田勝久元教諭に対する威力業務妨害事件(板橋高校卒業式事件)について、罰金二十万円の有罪判決を宣告した。しかしこの判決は、事実認定の面でも、法の解釈適用の面でも、多くの問題を抱えている。その極一端を指摘してみよう。
藤田氏は一九九五年から七年間都立板橋高校に勤務して退職している。二〇〇四年三月十一日の同校卒業式では、かつての全盲の教え子が卒業生の合唱時にピアノを伴奏すると聞き、また前年十月二十三日の都教委教育長通達により、校長の職務命令と懲戒処分の脅しで日の丸・君が代が強制されることとなったことから、藤田氏は、前記の板橋高校の卒業式に関心を持ち、北爪幸夫校長に電話をかけ、来賓として出席することの承諾を得、招待状を受けた。
式当日、藤田氏は、式場である同校体育館に赴き、式開始(午前十時)前の「九時四十二分ころから四十五分ころまでの間」に、保護者らに「サンデー毎日」の「東京都教委が強いる『寒々とした光景』」のコピーを配り、次のように述べた。
「今日は異常な卒業式で、国歌斉唱のときに教職員は必ず立って歌わないと処分されます。ご理解願って、国歌斉唱のときは、できたら着席をお願いします」。
問題は、コピー配布の途中に田中一彦教頭が会場に現れ藤田氏の「言動を制止」したのに対して、「触るんじゃないよ。俺は一般市民だよ」などと「怒号」し、その後会場に現れた北爪校長が「退場を求めたのにこれに従わず」、体育館出入口付近に至るまでの間「何で追い出すんだ」などと「怒号して同式典会場を喧騒状態に陥れ」た、という判決の事実認定にある。
判決によると、同教頭は、コピーの配布中に「比較的小声で」配布の中止を求め、藤田氏の前記発言中にも「比較的小声で、『やめてください、何やってるんですか』などと呼びかけ中止を求めた」ことになっている。その後で教頭と藤田氏が「怒鳴りあいになった」という。
ところが教頭の中止を求めた声は、ICレコーダーには入っていない。判決は、「比較的小声で」とすることによって、その矛盾を回避しようとしたのであろうが、判決によれば、教頭は「無理にでも被告人をこの場から移動させようと考え」、藤田氏の前記発言の終わりころ「被告人の体に手を触れた」と言い、「怒鳴り合い」になったというのであるから、教頭は、有形力を用いてでも藤田氏のコピー配布や発言を止めさせようという強い気持ちを持っていたことになる。そうであるなら、教頭は、藤田氏の発言の終わりころになるよりもずうと前に、はっきりした口調で中止を求めたはずであり、教頭の声がICレコーダーに残っていないのは明らかにおかしい。
■「不測の事態はなかった」
さらに決定的なことがある。判決も認定しているように、都教育庁指導部は、藤田氏が都教委の方針に批判的であることから、本件卒業式に派遣する二名の指導主事に加え鯨岡廣隆指導主事を応援要員として派遣している。同氏は、監視のために会場にいて証拠とされたICレコーダーを採っていたのである。そして教頭は身長百八十一センチ、藤田氏は百七十六センチであり、ともに極めて長身ですぐにも目にとまる存在である。鯨岡氏の着席位置と教頭が配布行為制止をしたとされる場所との間には視線を遮るものは何もなかったと、同人は証言している。ところがその鯨岡氏は、教頭の制止行為を見ていないと証言しているのである。
鯨岡氏や一緒にいた後藤指導主事は、藤田氏の存在にすぐに気付いて、二人の間で以下のような会話が交わされたことがICレコーダーに残されている。
「あれはだれですか」「職員」・・・・
「配ってるね」「何配ってるの」「何かね、うーん」「一枚、もらう」・・・・
「東京都教委、うん、さむざむとした光景・・・・」「週刊誌」「何かの雑誌」「サンデー毎日だね。サンデー毎日」
「あれが藤田かなあ、そうかなあ」
「サンデー毎日の、あのー写しを、配布していたんだな」。
この二人の会話からは、教頭が言うような「不測の事態」が生じており、すぐにも行動を起こさなければという緊迫感は微塵も感じられない。
以上のごとくであるから、コピーの配布や保護者への発言がだれにも制止されることなく平穏に終えたという事実認定を、裁判所はすべきであったのである。
ところが、その後にやってきた教頭が藤田氏の体にさわったり、「『卒業式だぞ。藤田』と大声を張り上げ」たり、校長がその場から退去するように要求したりしたため、藤田氏は抗議したのである。藤田氏は前記の言動以上には何もする気はなかったから、教頭や校長の要求は理不尽だと感じており、これに抗議したのは自然な行為であった。
もし教頭や校長のこれらの介入がなかったなら、その後事態は平穏なままに推移し卒業式の開会に至ったことは明らかである。しかも藤田氏は抗議はしたものの、間もなく式場からも学校からも退出している。実際に卒業式は無事に実施されたのである。
■ 司法の人権・憲法感覚欠如
このように判決が明らかな事実誤認を犯し、藤田氏の言動を「威力」に当たるとするのは、同種事案の判例に照らして無理があるにもかかわらず、裁判所が敢えて有罪判決に踏み切ったのは、なぜなのか。
それは藤田氏が「サンデー毎日」の記事のコピーを配布し、前記のような発言をしたこと自体が許されないとする思考が、根底において働いていたからではないのか。たとえ保護者らが自由に懇談している式前になされた平穏なお願いであっても、「お上」への批判は一切認めないということだとすると、司法の人権感覚、憲法感覚の欠如を意味するものとして厳しく批判されなければならない。
(「板橋高校卒業式事件」弁護団長、東京弁護士会会員)