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2007/02/13(火) 「神聖喜劇」
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わがバイブルは、大西巨人著、「神聖喜劇」である。 あちこち開きつつ筆写することせんと思う。
--光文社文庫、全五巻ーー
☆第一巻、p、297
「・・・この(下級者にたいする)上級者責任阻却あるいは上級者無責任という思想の端的・惰性的な日常生活化が、「知りません」禁止、「忘れました」強制の慣習ではあるまいか。」
p、298、
「・・・かくて下級者にたいして上級者の責任が必ず常に阻却せられるべきことを根本性格とするこの長大な角錐状階級系統(Wからさらに上へ向かってV、U、T、S、R、Q、P、・・・)の絶頂には、「朕は汝ら軍人の大元帥なるぞ。」の唯一者天皇が、見出される。
ここに考え至って、私は、ある空漠たる恐怖に捕らえられたのであった。」
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2007/02/14(水) 2
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p、299
「・・・しかるにその統帥大権者が、完全無際限に責任を阻却されている以上、ここで責任は、最終的に雲散霧消し、その所在は、永遠に突き止めることがない(あるいはその元来の不存在が、突き止められる) 。・・・それならば、「世世天皇の統率し給う所にぞある」「わが国の軍隊」とは、累々たる無責任の体系、厖大な責任不存在の機構ということになろう。
「知りません」禁止という慣習法の根本に上級者責任阻却の論理を想定した私の考察は、おのずから私を以上のような断案に導いたのである。そこで絶対無責任とそれにたいする絶対服従との一大組織として私の脳裏に顕現した日本軍隊の表象は、私の心身に戦慄を通わせるに足りた。」
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2007/02/17(土) 談ズべカラズ
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「男女の色、利害の沙汰、過奢驕慢の器物、アワセテ遊興いつ楽のねがい、各談ズべカラズ」
(「神聖喜劇」 第一巻 p、414)
「いつ」・・・人偏に失、 逸楽と同じ意味か。
若いときに必要以上の金があったら碌なことはない。 必要な金がなかったら大変だ。 金はほそぼそとずっとあるのがいいが、これがまた至難なことでもある。
「一番楽しいことは、酒飲みながら人の悪口を言うことだ」という趣旨のことをある詩人が言っていたが、人生振り返ってアホなことに時間を消費してきたことに唖然、呆然たるものがある。 まこと情けない話である。
ぼけっとする時間も必要であるが、くだらなことに時間を費消するのは最低だ。
最高の贅沢は健康であり、最高の贅沢はよき本、よき音楽、・・・・などに出会うことである。
世の中は酷いことも限りなくあるが、価値あることもまた無限にある。
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2007/03/11(日) 昭和15年ころ、「読売俳壇」
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「神聖喜劇」 第一巻より
明日知れぬ いのち野菊に しずかなる(中支戦線にて)
弟は 危篤車窓に 駆くる月
売られゆく 女に汽車が しぐれてる
摩耶岳は 悍馬の如し 月の雲
縁下の 石に陽のあり 冬惜しむ
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2007/03/12(月) 2
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秋冷ゆる 遠白雲や 朝ゆふべ 言葉すくなく 兵の発ちゆく
葉をもれて 瓢にうつる 日の色の 秋づき思ふ 似我蜂のこゑ
秋暮るる 韃靼の海は 濃霧深み 汽笛の鳴りこもる おどろおどろと
敵砲弾 僅かに外れたり 土砂浴びつつ 吾に生命あり 生命ありと思ふ
快調の 音楽乗せて ホロ馬車は 映画ふれつつ 中山路来る
あしびきの 山沢深く 住みなれし そのなりはいに 人帰還来ぬ
時雨野に うす陽の白き 十時十五分 胡麻ひく手正し 眼つむらふ
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2007/03/13(火) 3
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吾子征きて 家籠る冬と なりにけり 夜の団欒に 吾子の座も置く
炭せ負ひ 降る雪山 かんじきの 音ぎしぎしと 月に澄むなり
戦死せる 友の戸籍を わがペンに 抹消せんとしつつ 堪えがてぬかも (町役場にて)
舗道(いしみち)に あたれる冬陽 寂かにて 帰りゆく友の 義足は鳴りぬ
盲導犬 ひたたよりつつ 平田軍曹 年立つ村に 帰り来ませり
2007/02/13(火) 「神聖喜劇」
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わがバイブルは、大西巨人著、「神聖喜劇」である。 あちこち開きつつ筆写することせんと思う。
--光文社文庫、全五巻ーー
☆第一巻、p、297
「・・・この(下級者にたいする)上級者責任阻却あるいは上級者無責任という思想の端的・惰性的な日常生活化が、「知りません」禁止、「忘れました」強制の慣習ではあるまいか。」
p、298、
「・・・かくて下級者にたいして上級者の責任が必ず常に阻却せられるべきことを根本性格とするこの長大な角錐状階級系統(Wからさらに上へ向かってV、U、T、S、R、Q、P、・・・)の絶頂には、「朕は汝ら軍人の大元帥なるぞ。」の唯一者天皇が、見出される。
ここに考え至って、私は、ある空漠たる恐怖に捕らえられたのであった。」
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2007/02/14(水) 2
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p、299
「・・・しかるにその統帥大権者が、完全無際限に責任を阻却されている以上、ここで責任は、最終的に雲散霧消し、その所在は、永遠に突き止めることがない(あるいはその元来の不存在が、突き止められる) 。・・・それならば、「世世天皇の統率し給う所にぞある」「わが国の軍隊」とは、累々たる無責任の体系、厖大な責任不存在の機構ということになろう。
「知りません」禁止という慣習法の根本に上級者責任阻却の論理を想定した私の考察は、おのずから私を以上のような断案に導いたのである。そこで絶対無責任とそれにたいする絶対服従との一大組織として私の脳裏に顕現した日本軍隊の表象は、私の心身に戦慄を通わせるに足りた。」
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2007/02/17(土) 談ズべカラズ
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「男女の色、利害の沙汰、過奢驕慢の器物、アワセテ遊興いつ楽のねがい、各談ズべカラズ」
(「神聖喜劇」 第一巻 p、414)
「いつ」・・・人偏に失、 逸楽と同じ意味か。
若いときに必要以上の金があったら碌なことはない。 必要な金がなかったら大変だ。 金はほそぼそとずっとあるのがいいが、これがまた至難なことでもある。
「一番楽しいことは、酒飲みながら人の悪口を言うことだ」という趣旨のことをある詩人が言っていたが、人生振り返ってアホなことに時間を消費してきたことに唖然、呆然たるものがある。 まこと情けない話である。
ぼけっとする時間も必要であるが、くだらなことに時間を費消するのは最低だ。
最高の贅沢は健康であり、最高の贅沢はよき本、よき音楽、・・・・などに出会うことである。
世の中は酷いことも限りなくあるが、価値あることもまた無限にある。
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2007/03/11(日) 昭和15年ころ、「読売俳壇」
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「神聖喜劇」 第一巻より
明日知れぬ いのち野菊に しずかなる(中支戦線にて)
弟は 危篤車窓に 駆くる月
売られゆく 女に汽車が しぐれてる
摩耶岳は 悍馬の如し 月の雲
縁下の 石に陽のあり 冬惜しむ
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2007/03/12(月) 2
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秋冷ゆる 遠白雲や 朝ゆふべ 言葉すくなく 兵の発ちゆく
葉をもれて 瓢にうつる 日の色の 秋づき思ふ 似我蜂のこゑ
秋暮るる 韃靼の海は 濃霧深み 汽笛の鳴りこもる おどろおどろと
敵砲弾 僅かに外れたり 土砂浴びつつ 吾に生命あり 生命ありと思ふ
快調の 音楽乗せて ホロ馬車は 映画ふれつつ 中山路来る
あしびきの 山沢深く 住みなれし そのなりはいに 人帰還来ぬ
時雨野に うす陽の白き 十時十五分 胡麻ひく手正し 眼つむらふ
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2007/03/13(火) 3
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吾子征きて 家籠る冬と なりにけり 夜の団欒に 吾子の座も置く
炭せ負ひ 降る雪山 かんじきの 音ぎしぎしと 月に澄むなり
戦死せる 友の戸籍を わがペンに 抹消せんとしつつ 堪えがてぬかも (町役場にて)
舗道(いしみち)に あたれる冬陽 寂かにて 帰りゆく友の 義足は鳴りぬ
盲導犬 ひたたよりつつ 平田軍曹 年立つ村に 帰り来ませり
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