澤藤統一郎弁護士の日記です。
2005年04月04日(月)
予防訴訟立証申立の締め切りが迫っている。人証申請の予定者は33名。そのうち4人について、今日私が申出書を起案した。
憲法学者と教育法学者の各立証事項を紹介しよう。強制対象の教員の精神的自由侵害に関する事項が前者、子どもの教育を受ける権利を基礎とする教員の教育の自由(ないし責務)についての事項が後者となる。
前者は憲法19条・20条・21条とその制約原理に関する問題。後者は、憲法23条・26条・教育基本法10条の問題として整理される。
憲法学者証人の立証事項
1 憲法19条に関して
① 日本国憲法が、第3章の「精神の自由」カタログの冒頭の位置に、格別に「思想良心の自由」条項を設けたのは、戦前における天皇制国家が国民の思想良心に立ち入った思想統制をしていたことに対する真摯な反省によるものであり、同様の誤りを繰り返してはならないこと。
② 本件の態様における「日の丸・君が代」強制が、各原告の思想良心の自由を侵害するものであることが自明なこと。
③ 憲法19条は、純粋な内心の思想の自由だけを認めるものではなく、必然的に外部への表出を伴う思想良心の自由を認めるものであること。
2 憲法20条に関して
① 信仰を有する教員が、信仰上の理由をもって、「日の丸・君が代」への尊崇の念表明を拒絶することが、憲法20条1項によって保障されていること。
② 国歌斉唱時の「不起立・不斉唱・ピアノ伴奏拒否」を理由とする処分は、憲法20条違反となること。
3 憲法21条に関して
① 「不起立・不斉唱・ピアノ伴奏拒否」は、極めて受動的な表現の自由として把握でき、当然に憲法21条による保護の対象となること。
② 本件においては、起立・斉唱・伴奏を強制する憲法上の要請は見出しがたく、保護を制約する根拠があり得ないこと。
4 公共の福祉(憲法12条・13条)論に関して
① 憲法上最高の価値は国民の基本的人権にあり、この最高価値である人権が「公共の福祉」という内実空虚な観念によって制約されてはならない。このことは学界の通説であり判例でもあること。
② 憲法上の「公共の福祉」概念は、特定の人権が両立しえない他の人権との衝突によって受ける内在的制約を意味するものであり、両立しえない複数人権の衝突局面での調整原理にほかならない。
本件においては、かかる複数人権の衝突は考えがたく、精神的自由の内在的制約を考慮する余地がないこと。
③ 「公共の福祉」を、「教員の職務の公共性」ないしは、「職務の公共性に起因する内在的制約」などと言葉を置き換えても、精神的自由という基本的人権の制約の理由とはなり得ないこと。
教育法学者証人の立証事項
1 憲法26条に関して
① 子どもには、発達成長を求めて教育を受ける権利があること。
② 子どもの教育を受ける権利に対応する「教育の権利」ないしは「教育の責務」の主体は、国家ではなく国民であること。
③ 以上は、憲法26条解釈における学界の通説であり、基本的に最高裁判例も採る立場であること。
2 憲法23条に関して
① 教員は、憲法23条を根拠として、教育の自由を有する。
② その自由は、生徒の教育を受ける権利に対応するものとして、生徒の権利に奉仕する方向で支持され、生徒の権利に反する方向では制約を受ける。
③ 教員は、国家が特定のイデオロギーを生徒に注入しようとするときは、これを阻止するよう行動する自由を有すること。
むしろ、本件の場合には、生徒の教育を受ける権利を保障するための行為であって、教員としての良心に発する責務の遂行であること。
3 教育基本法10条に関して
① 教育基本法は、戦前の「天皇制国家における、国家意思に従順な臣民作り」という教育を反省し、「主権者にふさわしい自主的創造性に満ちた国民」の育成を宣言したものであること。
② 教育基本法10条は、戦前において国家が教育を管理統制した弊害に鑑み、国家による不当な教育支配を排除する目的での立法であること。
③ 「10・23通達」は、生徒に対する国家意思の注入である点で明白に教育に対する不当な支配として、許されないものであること。
④ 少なくとも、これに対する抵抗をもって、処分事由とはなしえないものであること。
2005年04月04日(月)
予防訴訟立証申立の締め切りが迫っている。人証申請の予定者は33名。そのうち4人について、今日私が申出書を起案した。
憲法学者と教育法学者の各立証事項を紹介しよう。強制対象の教員の精神的自由侵害に関する事項が前者、子どもの教育を受ける権利を基礎とする教員の教育の自由(ないし責務)についての事項が後者となる。
前者は憲法19条・20条・21条とその制約原理に関する問題。後者は、憲法23条・26条・教育基本法10条の問題として整理される。
憲法学者証人の立証事項
1 憲法19条に関して
① 日本国憲法が、第3章の「精神の自由」カタログの冒頭の位置に、格別に「思想良心の自由」条項を設けたのは、戦前における天皇制国家が国民の思想良心に立ち入った思想統制をしていたことに対する真摯な反省によるものであり、同様の誤りを繰り返してはならないこと。
② 本件の態様における「日の丸・君が代」強制が、各原告の思想良心の自由を侵害するものであることが自明なこと。
③ 憲法19条は、純粋な内心の思想の自由だけを認めるものではなく、必然的に外部への表出を伴う思想良心の自由を認めるものであること。
2 憲法20条に関して
① 信仰を有する教員が、信仰上の理由をもって、「日の丸・君が代」への尊崇の念表明を拒絶することが、憲法20条1項によって保障されていること。
② 国歌斉唱時の「不起立・不斉唱・ピアノ伴奏拒否」を理由とする処分は、憲法20条違反となること。
3 憲法21条に関して
① 「不起立・不斉唱・ピアノ伴奏拒否」は、極めて受動的な表現の自由として把握でき、当然に憲法21条による保護の対象となること。
② 本件においては、起立・斉唱・伴奏を強制する憲法上の要請は見出しがたく、保護を制約する根拠があり得ないこと。
4 公共の福祉(憲法12条・13条)論に関して
① 憲法上最高の価値は国民の基本的人権にあり、この最高価値である人権が「公共の福祉」という内実空虚な観念によって制約されてはならない。このことは学界の通説であり判例でもあること。
② 憲法上の「公共の福祉」概念は、特定の人権が両立しえない他の人権との衝突によって受ける内在的制約を意味するものであり、両立しえない複数人権の衝突局面での調整原理にほかならない。
本件においては、かかる複数人権の衝突は考えがたく、精神的自由の内在的制約を考慮する余地がないこと。
③ 「公共の福祉」を、「教員の職務の公共性」ないしは、「職務の公共性に起因する内在的制約」などと言葉を置き換えても、精神的自由という基本的人権の制約の理由とはなり得ないこと。
教育法学者証人の立証事項
1 憲法26条に関して
① 子どもには、発達成長を求めて教育を受ける権利があること。
② 子どもの教育を受ける権利に対応する「教育の権利」ないしは「教育の責務」の主体は、国家ではなく国民であること。
③ 以上は、憲法26条解釈における学界の通説であり、基本的に最高裁判例も採る立場であること。
2 憲法23条に関して
① 教員は、憲法23条を根拠として、教育の自由を有する。
② その自由は、生徒の教育を受ける権利に対応するものとして、生徒の権利に奉仕する方向で支持され、生徒の権利に反する方向では制約を受ける。
③ 教員は、国家が特定のイデオロギーを生徒に注入しようとするときは、これを阻止するよう行動する自由を有すること。
むしろ、本件の場合には、生徒の教育を受ける権利を保障するための行為であって、教員としての良心に発する責務の遂行であること。
3 教育基本法10条に関して
① 教育基本法は、戦前の「天皇制国家における、国家意思に従順な臣民作り」という教育を反省し、「主権者にふさわしい自主的創造性に満ちた国民」の育成を宣言したものであること。
② 教育基本法10条は、戦前において国家が教育を管理統制した弊害に鑑み、国家による不当な教育支配を排除する目的での立法であること。
③ 「10・23通達」は、生徒に対する国家意思の注入である点で明白に教育に対する不当な支配として、許されないものであること。
④ 少なくとも、これに対する抵抗をもって、処分事由とはなしえないものであること。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます