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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

注目の勧告(2)

2009年01月05日 | 板橋高校卒業式
 ★ 国連「自由権規約委員会最終見解」(2008/10/30)から、
 ■ 板橋高校藤田裁判に関連して、パラグラフ10「公共の福祉」


 板橋高校卒業式「君が代強制反対」刑事弾圧事件は、一審に続き、二審でも「威力業務妨害罪」が成立するとして有罪判決の後、最高裁(第一小法廷)に上告中である。
《東京高裁の判決文(須田まさる裁判長)p50》
 そこで検討すると,憲法21条の保障する表現の自由が優越的地位を有することは所論指摘のとおりであるとしても,憲法21条は,表現の自由を絶対無制限に保障したものではなく,公共の福祉のために必要かつ合理的な制限に服することを是認するものであって,たとえ思想を外部に発表するための手段であっても,その手段が他人の財産権,管理権等の権利を不当に害することは許されないといわなければならない。…被告人の保護者に対する呼びかけについて刑法234条を適用してこれを処罰しても,憲法21条に違反するものではないというべきである。
 これに対して「国連自由権規約委員会最終見解」は、「公共の福祉」概念について次のように述べている。
10.<懸念> 委員会は「公共の福祉」を根拠として人権に対する恣意的な制限はあり得ないとする日本政府の説明を聞いてもなお、「公共の福祉」の概念が曖昧で、無限定であり、自由権規約で許容される限度を越えた制限がなされる可能性があることに対する懸念を再び表明する。
 → <勧告> 日本政府は「公共の福祉」の概念を立法により定義づけるべきであり、自由権規約で保障されている人権が「公共の福祉」を根拠として制限される場合は、規約で許容される限度を越えてはならないと明記すべきである。(第2条)

 そもそも「憲法21条」には、「公共の福祉」なる文言は存在しないのに、それを用いて憲法上優越的地位を有する「表現の自由」に制限を加えている。
 一体この場合の「公共の福祉」とは何かと言えば、「財産権・管理権」であり、校長の「実施要領に基づき卒業式を円滑に執り行う法律上の権利」?と言うのだ。
 なぜ「円滑に執り行」えなかったかと言えば、もし他の内容だったなら、卒業式開式前に教頭が「空を飛んで」駆けつけたり、校長が騒いだりはしないだろう。都教委や校長の意に反する「君が代強制反対」の内容だったからこそ、校長は止めさせたかったのだ。
 「内容」が問題だったにも関わらず、「治安維持法」や「集会条例」では裁かずに(残念ながら?戦後は廃止されている)、「威力業務妨害罪」という外形で裁いている。
 教育「行政」を批判する「表現の自由」を認めなくて、何が国民の「権利」だというのか。
 明らかに「自由権規約で保障されている人権」が、「公共の福祉を根拠として制限」されているではないか。
 ※ 自由権規約第2条(人権実現の義務)
 3 この規約の各締約国は、次のことを約束する。
 (a)この規約において認められる権利又は自由を侵害された者が、公的資格で行動する者によりその侵害が行われた場合にも、効果的な救済措置を受けることを確保すること。

 東京高裁の、須田・秋吉・横山3人の裁判官は、緊急に国際人権のスタンダードについて、「研修」を受ける必要がありそうだ。
 「国連自由権規約委員会最終見解」」の第7パラグラフも見ておこう。

7.<懸念> 委員会は、規約の規定を直接適用した国内裁判所の裁判例に関する情報が、最高裁判所が規約違反ではないと判断したもの以外には乏しいことに留意する。(第2条)
 → <勧告> 締約国は、規約の適用及び解釈が、裁判官、検察官及び弁護士に対する専門職業的研修の一部となること、規約に関する情報を、下級裁判所を含め、司法のあらゆる段階に広めることを確保すべきである。

※『自由権規約委員会の最終見解』(2008/10/30)外務省訳全文はこちらから
http://www.mofa.go.jp/Mofaj/Gaiko/kiyaku/pdfs/jiyu_kenkai.pdf
※『国際人権B規約(市民的及び政治的権利に関する国際規約)』参照条文はこちらから
http://www.nichibenren.or.jp/ja/kokusai/humanrights_library/treaty/liberty_convention.html
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