公明党府会議員 様
◇ 大阪府教育基本条例に賛成しないでください。
2012年3月20日 一保護者より
私は府下の中学3年生の親です。新聞などで、卒業式に教師が君が代を歌ったかどうか、全員立っていたかどうかに重きが置かれていることを悲しみます。
息子の卒業式は、在校生と向き合い、保護者と先生に囲まれる対面式で行われました。子どもたちの顔が近くでよく見え、すごく良い形だと思いました。
壁には、息子たちが3年間でつくった巨大壁画(3枚)や思い出の品の絵が飾られていました。合唱コンクールで歌われた曲が流れる中、卒業生が入場し、送辞・答辞の間に、在校生や卒業生、全員の合唱が歌われました。
伴奏も、指揮も、生徒の手で行われ、穏やかで澄んだ歌声が、会場全体を包みました。君が代が歌われているか、全員起立しているかなどという雰囲気とは無縁の,子どもたちが主役だと感じられる素晴らしい式でした。
終わった後も、運動場で子どもたちと先生、保護者が本当にほのぼのとした様子で談笑しあい、別れを惜しみながらも、この瞬間、一緒にいることを楽しみ、3年間ともに過ごせたことを喜んでいる気持ちが伝わってきました。
教師を上から押しつけた形で、評価や罰で、より働かせようと思っても無理だと思います。
息子の担任の先生は、土・日もなしで、息子たちとクラブをしてこられました。お礼を言う私たち母親に「ちっともしんどくなかったですよ。自分が好きでやってきたことですから、皆さんこそ、僕の趣味につきあっていただき、ありがとうございました。そして、この子ども達(学校のヤンチャもリーダーもみんな揃っている)を心からかわいいと思っています。」とおっしゃっていました。
人が最大限動こうとするときは、自分が信頼され、任されたときです。自分という存在が、人(子ども)の役に立っていると感じられるとき、どんなにしんどくてもやり遂げようと努力すると思います。息子は、「練習は辛かったけど、先生が支えてくれたおかげで、ちっとも嫌でなかった。」と言います。
「数年前まで荒れていた息子の学校が落ち着いたのはなぜだと思いますか。」と、その先生に聞いたことがあります。「きっと教師間が仲良くなったからと思います。」と話されました。
評価を取り合い、互いに足を引っ張り合いをしなければいけない条例案が、学校教育を良くする方向に向かわせるとは思えません。
そして、学年の男子でトップになったこともある息子が言います。「答えを覚えるばかりの、テストで競争させる受験勉強は、心が動かないからとても嫌だ。むずかしくても、キング牧師のスピーチのような、心が動く文章なら積極的にやるのになあ。」と。
そして、「競争させれば、子どもは勉強すると思っている大人は子どもをバカにしている。」とも、「俺は食べていかなあかんと思うから、仕方なしに勉強するけど、嫌なやつは、これ以上競争させたら、絶対暴れるで。」と。
本来、子どもは、不思議なこと、疑問に思うことを知ること、学ぶことは、好きです。正解が1つしかないと決められるから、考えることをやめ、点数をつけられるから嫌になるのです。いろいろな意見を言い合え、楽しく支え合い、発表し合えるのであれば、きっとどの子も、しっかり参加することでしょう。
子どもたちの本当の幸せを願うのなら、今回の基本条例はそれと対極にあると思わざるを得ません。どうぞ、大人の責任を持って行動したと我が子に言えるよう、一人ひとりが、自分の良心で、考えて動いてくださいますよう、お願いいたします。
◇ 大阪府教育基本条例に賛成しないでください。
2012年3月20日 一保護者より
私は府下の中学3年生の親です。新聞などで、卒業式に教師が君が代を歌ったかどうか、全員立っていたかどうかに重きが置かれていることを悲しみます。
息子の卒業式は、在校生と向き合い、保護者と先生に囲まれる対面式で行われました。子どもたちの顔が近くでよく見え、すごく良い形だと思いました。
壁には、息子たちが3年間でつくった巨大壁画(3枚)や思い出の品の絵が飾られていました。合唱コンクールで歌われた曲が流れる中、卒業生が入場し、送辞・答辞の間に、在校生や卒業生、全員の合唱が歌われました。
伴奏も、指揮も、生徒の手で行われ、穏やかで澄んだ歌声が、会場全体を包みました。君が代が歌われているか、全員起立しているかなどという雰囲気とは無縁の,子どもたちが主役だと感じられる素晴らしい式でした。
終わった後も、運動場で子どもたちと先生、保護者が本当にほのぼのとした様子で談笑しあい、別れを惜しみながらも、この瞬間、一緒にいることを楽しみ、3年間ともに過ごせたことを喜んでいる気持ちが伝わってきました。
教師を上から押しつけた形で、評価や罰で、より働かせようと思っても無理だと思います。
息子の担任の先生は、土・日もなしで、息子たちとクラブをしてこられました。お礼を言う私たち母親に「ちっともしんどくなかったですよ。自分が好きでやってきたことですから、皆さんこそ、僕の趣味につきあっていただき、ありがとうございました。そして、この子ども達(学校のヤンチャもリーダーもみんな揃っている)を心からかわいいと思っています。」とおっしゃっていました。
人が最大限動こうとするときは、自分が信頼され、任されたときです。自分という存在が、人(子ども)の役に立っていると感じられるとき、どんなにしんどくてもやり遂げようと努力すると思います。息子は、「練習は辛かったけど、先生が支えてくれたおかげで、ちっとも嫌でなかった。」と言います。
「数年前まで荒れていた息子の学校が落ち着いたのはなぜだと思いますか。」と、その先生に聞いたことがあります。「きっと教師間が仲良くなったからと思います。」と話されました。
評価を取り合い、互いに足を引っ張り合いをしなければいけない条例案が、学校教育を良くする方向に向かわせるとは思えません。
そして、学年の男子でトップになったこともある息子が言います。「答えを覚えるばかりの、テストで競争させる受験勉強は、心が動かないからとても嫌だ。むずかしくても、キング牧師のスピーチのような、心が動く文章なら積極的にやるのになあ。」と。
そして、「競争させれば、子どもは勉強すると思っている大人は子どもをバカにしている。」とも、「俺は食べていかなあかんと思うから、仕方なしに勉強するけど、嫌なやつは、これ以上競争させたら、絶対暴れるで。」と。
本来、子どもは、不思議なこと、疑問に思うことを知ること、学ぶことは、好きです。正解が1つしかないと決められるから、考えることをやめ、点数をつけられるから嫌になるのです。いろいろな意見を言い合え、楽しく支え合い、発表し合えるのであれば、きっとどの子も、しっかり参加することでしょう。
子どもたちの本当の幸せを願うのなら、今回の基本条例はそれと対極にあると思わざるを得ません。どうぞ、大人の責任を持って行動したと我が子に言えるよう、一人ひとりが、自分の良心で、考えて動いてくださいますよう、お願いいたします。
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