◆ 08・09年事件(河原井・根津ともに停職6ヶ月処分取り消し)反論その1
お忙しい中傍聴に駆けつけてくださり、ありがとうございます。今日の法廷は、08・09年事件(河原井・根津ともに停職6ヶ月処分取り消し)の前回の被告主張に対する反論その1をします。憲法19条論、23条論、損害賠償論に関するものです。
反論その2は、根津の「過去の処分歴」について、次回期日に行う予定です。お若い中川律・埼玉大准教授が意見書を寄せてくださることになっており、そこで展開される論を駆使して主張します。
1.憲法19条違反について
①学習指導要領と国旗国歌法を根拠に、特定の理論や観念を教え込むものではないとの被告主張に対し、「日の丸・君が代」の歴史性について不問にしたまま、敬意の表明を、懲戒処分によって一律強制することの問題を主張。
「君が代」ピアノ伴奏最高裁判決における藤田反対意見等を使い、10・23通達に基づく職務命令は、論争的主題である「日の丸・君が代」に関し、一方的立場見解の教授を強制することを主張。
②本件職務命令は国家及び公教育の価値中立性原則違反だと原告が主張したことに対し、被告は国旗・国歌という基礎的知識を教授することが国歌の保持すべき価値中立性の要講に反することはありえないと主張した、そのことへの再反論。
問題は、「日の丸・君が代」の歴史性について不問にしたまま、敬意の表明を懲戒処分によって一律強制することにあることを、2011.3.10東京高裁判決等を使って主張。
③被告は本件職務命令や再発防止研修が思想・良心の自由の問題となる余地はないとの主張を繰り返すが、2011最高裁判決が「間接的制約」と判示したことを無視している。その規制が真に必要やむを得ないものか、その目的が憲法上の権利を規制することにあると認められる等、の場合は、その規制は違憲無効とすべきであると主張。
2011年6月6日最高裁判決で宮川裁判官が、「本件通達は、式典の円滑な進行を図るという価値中立的な意図で発せられたものではなく、前記歴史観ないし世界観及び教育上の信念を有する教職員を念頭に置き、その歴史観等に対する強い否定的評価を背景に、不利益処分をもってその歴史観等に反する行為を強制することにある。」と意見したことに、被告は誠意を持って答えるべきである。
2.教育の自由一憲法23,26条違反及び教基法16条違反についての反論
①教育の自由が侵害されても、その意見を主張できる適格を有するのは子どもであって、教師にはなく、教師がその主張をすることは行訴法10条1項(*)から許されないと被告は主張する(*自己の法律上の利益に関係のない違法を理由として取消しを求めることができない)が、教師にも教育の自由が保障されていることは、旭川学テ最高裁判決からあきらかである。
また、被告は、教師が職務として教育活動を行うのは権限としてであって、個人的権利としてではないとする、いわゆる権限説を主張するが、最近の学説では、「教師が国家権力と向き合う場面」では「職務権限としての側面と、人権としての側面を併せ持つ」という並存説が有力とされている。従って、子どもだけでなく、教師も自己の教育の自由が制約されているとして、意見を主張できる適格を有する。
②被告が主張する権限説を採用するとしても、第三者である子どもの思想良心の自由、教育の自由、学習権を教員が主張することは判例(1996年最高裁判決。宗教法人の解散命令により、信者の信教の自由が侵害される旨の主張をする適格について認めた)から可能である。
・第三者が独立の手続きにおいて自らの当該憲法上の権利を擁護する機会を有するかどうか
・当事者に対し第三者の憲法上の権利主張の適格を認めないときには第三者の権利の実効性が失われる恐れがあるかどうかほか。
当事者に教員を、第三者に子どもを入れて読んでほしい。被告は、子どもに教育内容を批判する能力がないことを、普通教育の教師に完全な教育の自由が認められないことの根拠にしつつ、一方で、このような批判能力のない子どもに違憲主張適格があるから教師にはその主張適格がないと主張する。教員に子どもの権利の主張適格を認めない被告の主張は矛盾し、妥当ではない。
③被告は、許容された目的のために必要かつ合理的な介入は許され、その範囲では教師の教育の自由は制約される。また、儀式的行事における教育活動は、教師の教育の裁量の範囲は狭いと主張する。
被告主張は、一方的な観念を子どもに植え付けるような教育を教員に強制するものである。
④本件通達、職務命令、処分は教基法16条「不当な支配」に該当し、違法だと原告が主張したことに対し、被告は、地教行法23条5号を根拠に、地方教育委員会には「大綱的基準」の適用はない。教育行政機関の権限行使が許容される目的のために必要かつ合理的と認められるものであれば、完全な教授の自由が認められない普通教育の教師の教育の自由を制約したとしても、不当な支配に当たらない。また、地教委の権限行使は、子どもに基礎的知識を身に付けさせるものであるから、不当な支配ではないと主張する。
原告は、この問題は論争的主題に関することであって、都教委の権限行使は、一方的な観念を押し付けるものであって、必要かつ合理的な権限行使ではない。基礎的知識でもないことを主張し、「日の丸・君が代」という世論を二分するような議論を通じてものごとには様々な観点からの見方があることを知り、それを通して考えることの方が、子どもの自律的な成長にとっては必要不可欠と言えることを主張した。
3.損害賠償請求について
2012年1・16最高裁判決以前に損害賠償を認める判決はないから、被告の注意義務違反ではないこと、2012年11・27東京高裁判決(河原井さん差戻し審)には誤りがあること、停職処分によって給与返金をしたのだから損害は発生していないことを、被告は再三主張する。そのことに再反論した。
次回法廷は 07年控訴審判決 5月28日(木)14:30~ 824号法廷
傍聴をお願いします。開廷30分前に玄関前で抽選になると思われます。
2015.5.11
傍聴に駆けつけてくださった皆様お忙しい中傍聴に駆けつけてくださり、ありがとうございます。今日の法廷は、08・09年事件(河原井・根津ともに停職6ヶ月処分取り消し)の前回の被告主張に対する反論その1をします。憲法19条論、23条論、損害賠償論に関するものです。
反論その2は、根津の「過去の処分歴」について、次回期日に行う予定です。お若い中川律・埼玉大准教授が意見書を寄せてくださることになっており、そこで展開される論を駆使して主張します。
1.憲法19条違反について
①学習指導要領と国旗国歌法を根拠に、特定の理論や観念を教え込むものではないとの被告主張に対し、「日の丸・君が代」の歴史性について不問にしたまま、敬意の表明を、懲戒処分によって一律強制することの問題を主張。
「君が代」ピアノ伴奏最高裁判決における藤田反対意見等を使い、10・23通達に基づく職務命令は、論争的主題である「日の丸・君が代」に関し、一方的立場見解の教授を強制することを主張。
②本件職務命令は国家及び公教育の価値中立性原則違反だと原告が主張したことに対し、被告は国旗・国歌という基礎的知識を教授することが国歌の保持すべき価値中立性の要講に反することはありえないと主張した、そのことへの再反論。
問題は、「日の丸・君が代」の歴史性について不問にしたまま、敬意の表明を懲戒処分によって一律強制することにあることを、2011.3.10東京高裁判決等を使って主張。
③被告は本件職務命令や再発防止研修が思想・良心の自由の問題となる余地はないとの主張を繰り返すが、2011最高裁判決が「間接的制約」と判示したことを無視している。その規制が真に必要やむを得ないものか、その目的が憲法上の権利を規制することにあると認められる等、の場合は、その規制は違憲無効とすべきであると主張。
2011年6月6日最高裁判決で宮川裁判官が、「本件通達は、式典の円滑な進行を図るという価値中立的な意図で発せられたものではなく、前記歴史観ないし世界観及び教育上の信念を有する教職員を念頭に置き、その歴史観等に対する強い否定的評価を背景に、不利益処分をもってその歴史観等に反する行為を強制することにある。」と意見したことに、被告は誠意を持って答えるべきである。
2.教育の自由一憲法23,26条違反及び教基法16条違反についての反論
①教育の自由が侵害されても、その意見を主張できる適格を有するのは子どもであって、教師にはなく、教師がその主張をすることは行訴法10条1項(*)から許されないと被告は主張する(*自己の法律上の利益に関係のない違法を理由として取消しを求めることができない)が、教師にも教育の自由が保障されていることは、旭川学テ最高裁判決からあきらかである。
また、被告は、教師が職務として教育活動を行うのは権限としてであって、個人的権利としてではないとする、いわゆる権限説を主張するが、最近の学説では、「教師が国家権力と向き合う場面」では「職務権限としての側面と、人権としての側面を併せ持つ」という並存説が有力とされている。従って、子どもだけでなく、教師も自己の教育の自由が制約されているとして、意見を主張できる適格を有する。
②被告が主張する権限説を採用するとしても、第三者である子どもの思想良心の自由、教育の自由、学習権を教員が主張することは判例(1996年最高裁判決。宗教法人の解散命令により、信者の信教の自由が侵害される旨の主張をする適格について認めた)から可能である。
・第三者が独立の手続きにおいて自らの当該憲法上の権利を擁護する機会を有するかどうか
・当事者に対し第三者の憲法上の権利主張の適格を認めないときには第三者の権利の実効性が失われる恐れがあるかどうかほか。
当事者に教員を、第三者に子どもを入れて読んでほしい。被告は、子どもに教育内容を批判する能力がないことを、普通教育の教師に完全な教育の自由が認められないことの根拠にしつつ、一方で、このような批判能力のない子どもに違憲主張適格があるから教師にはその主張適格がないと主張する。教員に子どもの権利の主張適格を認めない被告の主張は矛盾し、妥当ではない。
③被告は、許容された目的のために必要かつ合理的な介入は許され、その範囲では教師の教育の自由は制約される。また、儀式的行事における教育活動は、教師の教育の裁量の範囲は狭いと主張する。
被告主張は、一方的な観念を子どもに植え付けるような教育を教員に強制するものである。
④本件通達、職務命令、処分は教基法16条「不当な支配」に該当し、違法だと原告が主張したことに対し、被告は、地教行法23条5号を根拠に、地方教育委員会には「大綱的基準」の適用はない。教育行政機関の権限行使が許容される目的のために必要かつ合理的と認められるものであれば、完全な教授の自由が認められない普通教育の教師の教育の自由を制約したとしても、不当な支配に当たらない。また、地教委の権限行使は、子どもに基礎的知識を身に付けさせるものであるから、不当な支配ではないと主張する。
原告は、この問題は論争的主題に関することであって、都教委の権限行使は、一方的な観念を押し付けるものであって、必要かつ合理的な権限行使ではない。基礎的知識でもないことを主張し、「日の丸・君が代」という世論を二分するような議論を通じてものごとには様々な観点からの見方があることを知り、それを通して考えることの方が、子どもの自律的な成長にとっては必要不可欠と言えることを主張した。
3.損害賠償請求について
2012年1・16最高裁判決以前に損害賠償を認める判決はないから、被告の注意義務違反ではないこと、2012年11・27東京高裁判決(河原井さん差戻し審)には誤りがあること、停職処分によって給与返金をしたのだから損害は発生していないことを、被告は再三主張する。そのことに再反論した。
文責=根津
次回法廷は 07年控訴審判決 5月28日(木)14:30~ 824号法廷
傍聴をお願いします。開廷30分前に玄関前で抽選になると思われます。
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