●次回増田免職取消裁判 (証人尋問:教え子と本人)
12月1日(月)13:10~17:00 東京地裁631号法廷
◆ 増田都子先生の近現代史 第17回
「安保改定とベトナム戦争」報告
皆様
2008年11月1日(土)14時~17時、我孫子栄光教会、「安保改定とベトナム戦争」の報告です。
今回も貴重な内容でしたので資料からたくさん抜粋します。長文を失礼します。
天皇の戦争責任やその隠蔽、天皇の大活躍、言論の弾圧と菊タブーの形成、自衛隊と天皇の関係等、学校の授業では余り聞けない史実も報告しますので、驚かれた方は、悪しからず、です。
この授業は、あびこ平和ネット主催、全15回のシリーズ企画、増田都子先生の社会科授業「近現代史の真実を知ろう」17回目です。
現代史を網羅する為、20回シリーズとなりました。
「教育を破壊するのは誰だ!」と、係争中の先生なので、眼が痛い方もいらっしゃるかと思いますが、関心のある方は、先生について、下記をご覧下さい。
「増田都子のページ」 http://www.masudamiyako.org/
今回も10名程度の参加者。有り難うございます。
今回も先生手作りの日本近現代史年表、ハーバート・ビックス『昭和天皇』などの資料をもとに、学びあいました。
●今月の文章●
- ハーバート・ビックス『昭和天皇』講談社学術文庫より抜粋
「...『中央公論』がそれ(深沢七郎『風流夢譚』)を掲載した。...この作品の登場人物は、...頭のてっぺんがはげている。
はげというこの共通の傷は、日本人の道義心の奥深くに埋められた天皇問題に対する深沢の隠喩である。
要するに「夢譚」は、天皇と国民が分け持つ共犯性...ほぼすべての国民が熱烈に天皇と一体化し、不正な侵略戦争に協力したという関係を指摘したのである。
深沢が暗示したのは、君主制を彼ら自身の統合の「象徴」にいただくかぎり、国民は天皇から解放されないということだった。
天皇の戦争責任を追及しないことで、国民は自分の責任を回避したのだった。」
●日本近現代史年表より
- 1952年5月1日 血のメーデー
皇居前広場に入った「平和条約・再軍備・破壊活動防止法案に対する反対」のデモ隊に対し警官が威嚇射撃、2人死亡、740名が重軽傷
- 1953年4月20日 昭和天皇、マーフィー米駐日大使と会見
(豊下楢彦『昭和天皇・マッカーサー会見』)
天皇「現在の脆弱な日本が共産主義者の策謀のターゲットである」
「朝鮮戦争の休戦や国際的な緊張緩和が、日本における米軍のプレゼンスにかかわる日本人の世論にどのよう影響をもたらすかを憂慮している」
「日本の一部からは日本の領土からの米軍の撤退を求める圧力が高まるであろうが、こうしたことは不幸なことであり、日本の安全保障にとって米軍が引き続き駐留することは、絶対に必要なものと確信している」
マーフィー「共産主義者の最近の動向について昭和天皇と同様の危惧を表明」...
天皇「積極的で心からの同意の気持ち」
- 1954年3月1日 米軍のビキニ水爆実験で第五福竜丸、被爆
- 同年6月2日 防衛庁設置法、自衛隊法成立
同法施行規則第十三条 天皇を最高栄誉礼受礼資格者、2番目は皇族、3番目は衆参議員議長...とした
- 同年12月10日 日本民主党の鳩山一郎内閣、成立
「憲法改正=天皇元首化、自衛軍の整備」
「逐次、駐留軍の撤退を可能ならしむること」
- 1955年2月27日 総選挙 明文改憲は不可能になった。
- 同年8月20日 重光葵外相、ダレス国務長官との会談のための訪米(23日に出発)前に那須の御用邸までいき、昭和天皇に内奏。
「...陛下より、日米協力反共の必要、駐留軍の撤退は不可なり」
(重光の日記)
- 重光、ダレスとの会談において米軍の撤退は提起せず
- 1956年6月2日 新教育委員会法、参院に警官500人導入して採決
教育委員の互選制から、任命制へ
- 1957年2月25日 岸信介内閣、成立・・・真珠湾攻撃時の商工大臣
- 1958年10月6日 昭和天皇、マケルロイ米国防長官と会見
天皇「日米協力が極めて重要だということに同意」
「軍民両方の領域におけるアメリカの日本に対する心からの援助に深い感謝」(豊下『同』)
- 同年11月27日 皇太子と正田美智子の婚約発表
マスコミ、30日までの4日間に婚約関係記事52回(『天皇の昭和史』) →「デートも出来ぬ警職法」の報道が減る
12月は婚約記事23回、警職法記事3回
- 1959年3月28日 安保改定阻止国民会議、結成 →社共、総評などで結成
- 同年3月30日 東京地裁、砂川事件に「安保条約違憲」とする伊達秋雄判決
- 同年12月16日 (政府、跳躍上告)最高裁、伊達原判決を破棄 →国際政治学者の新原昭治氏が最近、日米の密談を解明した。
→アメリカの国務省受信という秘密文書。マッカーサーの甥、マッカーサー駐日大使から国務省に宛てた文書。
藤山外務大臣に語った2つの内容を報告している。
aaaaaaaaaaaaaanpooooooooooooooooo
国務省・受信電報〔極秘〕
1959年3月31日午前1時17分受信〔日本時間同日午後2時17分〕
発信元・東京〔米大使館〕
電報番号・1969、3月31日午後2時
至急伝
国務省宛。太平洋軍司令部、在日米軍宛限定配布
(略)
1.東京地裁判決を上級裁判所(東京高裁)に控訴すること
2.同判決を日本の最高裁に直接、上告〔跳躍上告〕すること
(略)
aaaaaaaaaaaaaanpooooooooooooooooo
全文は下記のページを ↓
早大法学学術院教授 水島朝穂さんのページ『平和憲法のメッセージ』より、
『砂川事件最高裁判決の「仕掛け人」 2008年5月26日 』
http://www.asaho.com/jpn/bkno/2008/0526.html
- 1960年1月19日 ワシントンD.C.にて、新安保条約と共に、日米地位協定締結
第三条「合衆国は、施設及び区域内において、...必要な全ての措置を執ることができる。
日本国政府は、...合衆国軍隊の要請があったときは、...それらの施設及び区域に隣接し又はそれらの近傍の土地、...において、...必要な措置を執るものとする。」
第五条「合衆国...の船舶及び航空機...は、入港料又は着陸料を課されないで...出入することができる。」
第七条「合衆国軍隊は、...すべての公益事業及び公共の役務を利用することができ、並びにその利用における優先権を享有するものとする。」
- 同年5月19日 政府・自民党、警官隊を導入して、衆議院で新安保条約承認と会期延長を単独強行採決
- 同年6月4日 安保阻止統一行動、国鉄ストなど全国で560万人
- 同年6月15日 右翼、国会周辺でデモ隊を襲撃、全学連構内に入り、警官隊ともみ合い中、東大生の樺美智子、死亡
- 同年6月16日 岸首相、アイゼンハワー大統領の訪日中止を発表
- 同年6月19日 国会方位の33万人のデモ、新安保条約は自然成立(憲法第六十一条)→【条約の国会承認と衆議院の優越】
- 同年7月15日 岸内閣、総辞職
- 同年9月5日 自民党、所得倍増計画、発表 池田勇人内閣「世論の支持がなければ改憲しない」「安保の不安を取り除く」
- 同年10月12日 浅沼稲次郎・日本社会党委員長を17歳の右翼少年が刺殺
- 同年11月 「中央公論」に深沢七郎の小説『風流夢譚』掲載
- 1961年2月1日 嶋中事件 大日本愛国党の17歳の少年が「中央公論」社長婦人に重傷を負わせ、家政婦を刺殺
嶋中社長、新聞広告に『お詫びと謝罪』を掲載 →菊タブーの形成、(鶴タブーというのもあるらしい)
- 1962年9月~10月28日 キューバ危機・・・ソ連、ミサイル撤去を回答
- 同年10月30日 昭和天皇、園遊会でスマート在日米軍司令官に語る
天皇「アメリカの力とアメリカがその力を平和に使った事実に対して個人的に大いに賞賛し、尊敬している」
『世界平和のためにアメリカが力を使い続けることへの希望を表明』
- 1963年5月7日 自衛隊の「礼式に関する訓令」改正
天皇・皇族の旅行に際し、自衛隊は堵列して出迎え、着剣して「捧げ銃」
- 1964年8月2日 トンキン湾事件
- 1964年9月19日 陸海空自衛隊の各総監、師団長、司令官が天皇に拝謁
天皇「今後とも、国防の重責を自覚していっそうの奮励をお願いします」
(『天皇の昭和史』新日本出版社)
- 1965年2月10日 自衛隊の『(通称)三矢研究』発覚
- 同年6月22日 日韓基本条約、締結
- 1966年6月25日 祝日法改正、「建国記念の日」を「2月11日」
- 同年10月16日 中国、初の核実験に成功
- 1968年3月16日 アメリカ軍によるソンミ村虐殺事件
- 同年6月 増田甲子防衛庁長官訓示
「旧憲法でも新憲法でも国体が変わったとは思わない。天皇制は現在でも歴然としており、天皇の『おおみたから』として国民に信頼される隊員になってほしい」
(『天皇の昭和史』)
●感想
前回に引き続き、戦後日本のかたちづくりを、昭和天皇が能動的に果たしたことを学んだ。
天皇制については、まだまだ知らないことが多い。また学んでいきたい。
●授業に関係なくお勧めの本●
桜沢如一『宇宙の秩序』日本CI協会、1941年。
ロベルト・ユング『原子力帝国』アンヴィエル、1979年。
安谷白雲『坐禅の手引き』九州白雲会、1986年。
小熊英二『日本という国』理論社、2006年。
核開発に反対する会編『隠して核武装する日本』影書房、2007年。
●今後の予定●
第18回 12月27日(土)14時~湖北台近隣センター(湖北駅南口)、
「高度成長と世界」
第19回 冷戦後の世界と日本
第20回 近現代史学習を振り返って
皆様ぜひ、いらして下さい。
皆さんのうちに平和がありますように、
ガンジーの会、9の日ハンスト、前倒しの日に。
豊田 義信 yoshinobu000-lj(a)infoseek.jp
平和つむぎブログ http://heiwa0.seesaa.net/
●祝 鎌倉市平和都市宣言50周年(日本初)●
●2010年 あんぽ条約50周年改定でなく平和条約でいこ●
12月1日(月)13:10~17:00 東京地裁631号法廷
◆ 増田都子先生の近現代史 第17回
「安保改定とベトナム戦争」報告
皆様
2008年11月1日(土)14時~17時、我孫子栄光教会、「安保改定とベトナム戦争」の報告です。
今回も貴重な内容でしたので資料からたくさん抜粋します。長文を失礼します。
天皇の戦争責任やその隠蔽、天皇の大活躍、言論の弾圧と菊タブーの形成、自衛隊と天皇の関係等、学校の授業では余り聞けない史実も報告しますので、驚かれた方は、悪しからず、です。
この授業は、あびこ平和ネット主催、全15回のシリーズ企画、増田都子先生の社会科授業「近現代史の真実を知ろう」17回目です。
現代史を網羅する為、20回シリーズとなりました。
「教育を破壊するのは誰だ!」と、係争中の先生なので、眼が痛い方もいらっしゃるかと思いますが、関心のある方は、先生について、下記をご覧下さい。
「増田都子のページ」 http://www.masudamiyako.org/
今回も10名程度の参加者。有り難うございます。
今回も先生手作りの日本近現代史年表、ハーバート・ビックス『昭和天皇』などの資料をもとに、学びあいました。
●今月の文章●
- ハーバート・ビックス『昭和天皇』講談社学術文庫より抜粋
「...『中央公論』がそれ(深沢七郎『風流夢譚』)を掲載した。...この作品の登場人物は、...頭のてっぺんがはげている。
はげというこの共通の傷は、日本人の道義心の奥深くに埋められた天皇問題に対する深沢の隠喩である。
要するに「夢譚」は、天皇と国民が分け持つ共犯性...ほぼすべての国民が熱烈に天皇と一体化し、不正な侵略戦争に協力したという関係を指摘したのである。
深沢が暗示したのは、君主制を彼ら自身の統合の「象徴」にいただくかぎり、国民は天皇から解放されないということだった。
天皇の戦争責任を追及しないことで、国民は自分の責任を回避したのだった。」
●日本近現代史年表より
- 1952年5月1日 血のメーデー
皇居前広場に入った「平和条約・再軍備・破壊活動防止法案に対する反対」のデモ隊に対し警官が威嚇射撃、2人死亡、740名が重軽傷
- 1953年4月20日 昭和天皇、マーフィー米駐日大使と会見
(豊下楢彦『昭和天皇・マッカーサー会見』)
天皇「現在の脆弱な日本が共産主義者の策謀のターゲットである」
「朝鮮戦争の休戦や国際的な緊張緩和が、日本における米軍のプレゼンスにかかわる日本人の世論にどのよう影響をもたらすかを憂慮している」
「日本の一部からは日本の領土からの米軍の撤退を求める圧力が高まるであろうが、こうしたことは不幸なことであり、日本の安全保障にとって米軍が引き続き駐留することは、絶対に必要なものと確信している」
マーフィー「共産主義者の最近の動向について昭和天皇と同様の危惧を表明」...
天皇「積極的で心からの同意の気持ち」
- 1954年3月1日 米軍のビキニ水爆実験で第五福竜丸、被爆
- 同年6月2日 防衛庁設置法、自衛隊法成立
同法施行規則第十三条 天皇を最高栄誉礼受礼資格者、2番目は皇族、3番目は衆参議員議長...とした
- 同年12月10日 日本民主党の鳩山一郎内閣、成立
「憲法改正=天皇元首化、自衛軍の整備」
「逐次、駐留軍の撤退を可能ならしむること」
- 1955年2月27日 総選挙 明文改憲は不可能になった。
- 同年8月20日 重光葵外相、ダレス国務長官との会談のための訪米(23日に出発)前に那須の御用邸までいき、昭和天皇に内奏。
「...陛下より、日米協力反共の必要、駐留軍の撤退は不可なり」
(重光の日記)
- 重光、ダレスとの会談において米軍の撤退は提起せず
- 1956年6月2日 新教育委員会法、参院に警官500人導入して採決
教育委員の互選制から、任命制へ
- 1957年2月25日 岸信介内閣、成立・・・真珠湾攻撃時の商工大臣
- 1958年10月6日 昭和天皇、マケルロイ米国防長官と会見
天皇「日米協力が極めて重要だということに同意」
「軍民両方の領域におけるアメリカの日本に対する心からの援助に深い感謝」(豊下『同』)
- 同年11月27日 皇太子と正田美智子の婚約発表
マスコミ、30日までの4日間に婚約関係記事52回(『天皇の昭和史』) →「デートも出来ぬ警職法」の報道が減る
12月は婚約記事23回、警職法記事3回
- 1959年3月28日 安保改定阻止国民会議、結成 →社共、総評などで結成
- 同年3月30日 東京地裁、砂川事件に「安保条約違憲」とする伊達秋雄判決
- 同年12月16日 (政府、跳躍上告)最高裁、伊達原判決を破棄 →国際政治学者の新原昭治氏が最近、日米の密談を解明した。
→アメリカの国務省受信という秘密文書。マッカーサーの甥、マッカーサー駐日大使から国務省に宛てた文書。
藤山外務大臣に語った2つの内容を報告している。
aaaaaaaaaaaaaanpooooooooooooooooo
国務省・受信電報〔極秘〕
1959年3月31日午前1時17分受信〔日本時間同日午後2時17分〕
発信元・東京〔米大使館〕
電報番号・1969、3月31日午後2時
至急伝
国務省宛。太平洋軍司令部、在日米軍宛限定配布
(略)
1.東京地裁判決を上級裁判所(東京高裁)に控訴すること
2.同判決を日本の最高裁に直接、上告〔跳躍上告〕すること
(略)
aaaaaaaaaaaaaanpooooooooooooooooo
全文は下記のページを ↓
早大法学学術院教授 水島朝穂さんのページ『平和憲法のメッセージ』より、
『砂川事件最高裁判決の「仕掛け人」 2008年5月26日 』
http://www.asaho.com/jpn/bkno/2008/0526.html
- 1960年1月19日 ワシントンD.C.にて、新安保条約と共に、日米地位協定締結
第三条「合衆国は、施設及び区域内において、...必要な全ての措置を執ることができる。
日本国政府は、...合衆国軍隊の要請があったときは、...それらの施設及び区域に隣接し又はそれらの近傍の土地、...において、...必要な措置を執るものとする。」
第五条「合衆国...の船舶及び航空機...は、入港料又は着陸料を課されないで...出入することができる。」
第七条「合衆国軍隊は、...すべての公益事業及び公共の役務を利用することができ、並びにその利用における優先権を享有するものとする。」
- 同年5月19日 政府・自民党、警官隊を導入して、衆議院で新安保条約承認と会期延長を単独強行採決
- 同年6月4日 安保阻止統一行動、国鉄ストなど全国で560万人
- 同年6月15日 右翼、国会周辺でデモ隊を襲撃、全学連構内に入り、警官隊ともみ合い中、東大生の樺美智子、死亡
- 同年6月16日 岸首相、アイゼンハワー大統領の訪日中止を発表
- 同年6月19日 国会方位の33万人のデモ、新安保条約は自然成立(憲法第六十一条)→【条約の国会承認と衆議院の優越】
- 同年7月15日 岸内閣、総辞職
- 同年9月5日 自民党、所得倍増計画、発表 池田勇人内閣「世論の支持がなければ改憲しない」「安保の不安を取り除く」
- 同年10月12日 浅沼稲次郎・日本社会党委員長を17歳の右翼少年が刺殺
- 同年11月 「中央公論」に深沢七郎の小説『風流夢譚』掲載
- 1961年2月1日 嶋中事件 大日本愛国党の17歳の少年が「中央公論」社長婦人に重傷を負わせ、家政婦を刺殺
嶋中社長、新聞広告に『お詫びと謝罪』を掲載 →菊タブーの形成、(鶴タブーというのもあるらしい)
- 1962年9月~10月28日 キューバ危機・・・ソ連、ミサイル撤去を回答
- 同年10月30日 昭和天皇、園遊会でスマート在日米軍司令官に語る
天皇「アメリカの力とアメリカがその力を平和に使った事実に対して個人的に大いに賞賛し、尊敬している」
『世界平和のためにアメリカが力を使い続けることへの希望を表明』
- 1963年5月7日 自衛隊の「礼式に関する訓令」改正
天皇・皇族の旅行に際し、自衛隊は堵列して出迎え、着剣して「捧げ銃」
- 1964年8月2日 トンキン湾事件
- 1964年9月19日 陸海空自衛隊の各総監、師団長、司令官が天皇に拝謁
天皇「今後とも、国防の重責を自覚していっそうの奮励をお願いします」
(『天皇の昭和史』新日本出版社)
- 1965年2月10日 自衛隊の『(通称)三矢研究』発覚
- 同年6月22日 日韓基本条約、締結
- 1966年6月25日 祝日法改正、「建国記念の日」を「2月11日」
- 同年10月16日 中国、初の核実験に成功
- 1968年3月16日 アメリカ軍によるソンミ村虐殺事件
- 同年6月 増田甲子防衛庁長官訓示
「旧憲法でも新憲法でも国体が変わったとは思わない。天皇制は現在でも歴然としており、天皇の『おおみたから』として国民に信頼される隊員になってほしい」
(『天皇の昭和史』)
●感想
前回に引き続き、戦後日本のかたちづくりを、昭和天皇が能動的に果たしたことを学んだ。
天皇制については、まだまだ知らないことが多い。また学んでいきたい。
●授業に関係なくお勧めの本●
桜沢如一『宇宙の秩序』日本CI協会、1941年。
ロベルト・ユング『原子力帝国』アンヴィエル、1979年。
安谷白雲『坐禅の手引き』九州白雲会、1986年。
小熊英二『日本という国』理論社、2006年。
核開発に反対する会編『隠して核武装する日本』影書房、2007年。
●今後の予定●
第18回 12月27日(土)14時~湖北台近隣センター(湖北駅南口)、
「高度成長と世界」
第19回 冷戦後の世界と日本
第20回 近現代史学習を振り返って
皆様ぜひ、いらして下さい。
皆さんのうちに平和がありますように、
ガンジーの会、9の日ハンスト、前倒しの日に。
豊田 義信 yoshinobu000-lj(a)infoseek.jp
平和つむぎブログ http://heiwa0.seesaa.net/
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