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【僕、国歌歌わないもん】(石原慎太郎)
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東京五輪に 【国旗も国歌も必要ない】(ビートたけし)
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対米従属で「世界征服」を夢想するデマゴギー政治家安倍首相を倒そう!
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今回から▲ <三浦梅園の『敢語』>について、何回かに分けて紹介します。
三浦梅園(1723~1789)は江戸中期の思想家です。
豊後(現大分県)国東郡富永村に生まれ、何回かの旅(長崎など)をした他は生涯そこで過ごしました。
17歳で朱子学派の綾部絅(けい)斎(1676~1750)及び古学派の藤田敬所(1698~1776)の門に学び、年少の頃から天地自然の現象に興味を持ち、寝食を忘れて思索にふけったといいます。
彼は、これまで紹介した<伊藤仁斎(1623~1705)><貝原益軒(1630~1714)><安藤昌益(1703~1762)>らと同様に朱子学を批判しました。
また彼は、それまで中国や日本の哲学(世界観)を支配していた「陰陽五行説」を批判・打破し、独自に<条理学>というものを唱えました。
しかし、当時その内容が弟子たちにも十分理解されず、明治時代まで埋もれました。
それでも梅園の考えは重要だとして、弟子や子孫、郷里の人々によって大事に保管され、現在では大分県国東市安岐町に「三浦梅園資料館」が建てられています。
彼の学問や師に対する考え方は次の言葉によく表れています。
①は<条理学>を体系的に記述したものです。
②は<条理学>の立場で、それまでの中国や日本の学問を批判したものです。
③は<条理学>の立場で人倫(政治や道徳(モラル))を述べたものです。
その中から今回は、道徳(モラル)に関連するものとして、③の『敢語』を紹介します。
『敢語』(1763年)は次の内容で構成されています。
「序」、
「君臣第一」、
「明善第二」、
「臣婦第三」、
「孔子第四」、
「喪葬第五」、
「利害第六」、
「殺活第七」、
「観察第八」、
「望修第九」。
しかし、これらをすべて紹介するわけにはいきません。
私なりに評価した7点を参考までに紹介したいと思います。
(1)「昔の王の道」の立場からの儒教(朱子学)批判
梅園は「序」の中で次のようなことを述べています。
「人を感情と欲望において解き明かした」ものだとし、
その後に現れた儒教は
「是非をはっきりと区別することだけを知って、感情や欲望を感じることによって解き明かすことに暗い」と述べ、
「いまだ人情を病ませて大衆から喜ばれた者はいない。」と大衆の立場に立って、「掟や礼節や音楽」を論じているのです。
これは、前にみた「古学」の立場からの朱子学批判に近いものです。
ただし、益軒などがまだ孔子の『論語』を持ち上げていたのに対し、梅園は、この後の(3)に見ますが、孔子を強く批判しています。
(2)「気一元論」の立場からの儒教(朱子学)批判
すでに<伊藤仁斎>や<貝原益軒>らは、「気一元論」の立場から朱子学の「理気二元論」を批判していました。
また、<安藤昌益>にはさらに弁証法的な思考も見られました。
ただ梅園の「気一元論」は、先駆者たちの素朴的な「気一元論」より一歩進んだ、【体系化された弁証法的な「気一元論」】でした。
その立場から、彼は「観察第八」では、唯物的な「勢い・情」と観念的な「礼・義」との両者の関係を弁証法的にとらえて、次のように批判を展開しています。
今回はここまでとします。
私はこのあと、数日留守にします。
次回以降、
「(3)大胆な孔子批判」
「(4)女性の立場に対する理解と擁護」、
「(5)『利』の積極的評価」
「(6)復讐についての柳子厚(柳宗元)の見解に対する高い評価」
「(7)人間諸関係における中国及び日本思想の簡潔な総括」
と続きます。お付き合いください。
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★ 『卒業式ビラまき報告集会』(実行委員会主催)のお知らせ
<日時>2016年4月30日(土)18:30~21:00
<場所>阿佐ヶ谷地域区民センター、第五集会室
<内容>・卒業式ビラまきの特徴と教訓について
・今後の運動の発展について
<資料代>300円
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【僕、国歌歌わないもん】(石原慎太郎)
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東京五輪に 【国旗も国歌も必要ない】(ビートたけし)
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対米従属で「世界征服」を夢想するデマゴギー政治家安倍首相を倒そう!
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今回から▲ <三浦梅園の『敢語』>について、何回かに分けて紹介します。
三浦梅園(1723~1789)は江戸中期の思想家です。
豊後(現大分県)国東郡富永村に生まれ、何回かの旅(長崎など)をした他は生涯そこで過ごしました。
17歳で朱子学派の綾部絅(けい)斎(1676~1750)及び古学派の藤田敬所(1698~1776)の門に学び、年少の頃から天地自然の現象に興味を持ち、寝食を忘れて思索にふけったといいます。
彼は、これまで紹介した<伊藤仁斎(1623~1705)><貝原益軒(1630~1714)><安藤昌益(1703~1762)>らと同様に朱子学を批判しました。
また彼は、それまで中国や日本の哲学(世界観)を支配していた「陰陽五行説」を批判・打破し、独自に<条理学>というものを唱えました。
しかし、当時その内容が弟子たちにも十分理解されず、明治時代まで埋もれました。
それでも梅園の考えは重要だとして、弟子や子孫、郷里の人々によって大事に保管され、現在では大分県国東市安岐町に「三浦梅園資料館」が建てられています。
彼の学問や師に対する考え方は次の言葉によく表れています。
「天地達観の位には、聖人と称し仏陀と号するも、もとより人なれば、彼の主著は、①『玄語(げんご)』、②『贅語(ぜいご)』、③『敢語(かんご)』であり、梅園三語とも呼ばれています。
畢竟(ひっきょう:結局と言う意味)我が講求討論の友にして、
師とするものは天地なり。」
①は<条理学>を体系的に記述したものです。
②は<条理学>の立場で、それまでの中国や日本の学問を批判したものです。
③は<条理学>の立場で人倫(政治や道徳(モラル))を述べたものです。
その中から今回は、道徳(モラル)に関連するものとして、③の『敢語』を紹介します。
『敢語』(1763年)は次の内容で構成されています。
「序」、
「君臣第一」、
「明善第二」、
「臣婦第三」、
「孔子第四」、
「喪葬第五」、
「利害第六」、
「殺活第七」、
「観察第八」、
「望修第九」。
しかし、これらをすべて紹介するわけにはいきません。
私なりに評価した7点を参考までに紹介したいと思います。
(1)「昔の王の道」の立場からの儒教(朱子学)批判
梅園は「序」の中で次のようなことを述べています。
「昔の聖人たちが天下を治めた道を、後の王は修めなかった。また、次のようにも述べています。
昔からの掟や礼節と音楽は儒者の物となった。
昔の王の道は、人を感情と欲望において解き明かした。
後(のち)儒者は、是非をはっきりと区別することによって明らかにした。
そして後の政治を企てる者は、儒教を根拠とするようになった。
ゆえに、是非をはっきりと区別することだけを知って、感情や欲望を感じることによって解き明かすことに暗いのである。」
「非(道理に反すること)はたしかに人の嫌うところである。つまり、梅園は「昔の王の道」を
けれども嫌うところでも大衆が全て排除するところではない。
ゆえに、是非をもって天下の好き嫌いを律することは、その判断が正当だといっても、人情は病(や)む。
いまだ人情を病ませて大衆から喜ばれた者はいない。」
「人を感情と欲望において解き明かした」ものだとし、
その後に現れた儒教は
「是非をはっきりと区別することだけを知って、感情や欲望を感じることによって解き明かすことに暗い」と述べ、
「いまだ人情を病ませて大衆から喜ばれた者はいない。」と大衆の立場に立って、「掟や礼節や音楽」を論じているのです。
これは、前にみた「古学」の立場からの朱子学批判に近いものです。
ただし、益軒などがまだ孔子の『論語』を持ち上げていたのに対し、梅園は、この後の(3)に見ますが、孔子を強く批判しています。
(2)「気一元論」の立場からの儒教(朱子学)批判
すでに<伊藤仁斎>や<貝原益軒>らは、「気一元論」の立場から朱子学の「理気二元論」を批判していました。
また、<安藤昌益>にはさらに弁証法的な思考も見られました。
ただ梅園の「気一元論」は、先駆者たちの素朴的な「気一元論」より一歩進んだ、【体系化された弁証法的な「気一元論」】でした。
その立場から、彼は「観察第八」では、唯物的な「勢い・情」と観念的な「礼・義」との両者の関係を弁証法的にとらえて、次のように批判を展開しています。
「勢いというものは知らなければならない。情というものは察しなければならない。次いで、次のようにも述べ、「勢い・情」と「理・行い」をもそれぞれ弁証法的に観察しています。
その勢いを観てその情を察する。そうして後、礼と義をもってこれを処理すべきである。
(しかし)いまだよくその勢いを観て、その情を察することができていない。
(それなのに)すぐに礼法・義理をあげつらい、これを人より尊ぶ。
(これは)美といえども、なお断崖絶壁のように厳しいものだ。
たしかに人の道というものは、まさに人をして人を治めようとするものだ。
人の道を行うとしながら、人をそれに及ばなくさせる。
(これでは)美しいといえども一体何をしているのだろうか。」
「勢いを観るものは智である。情を察するものは思いやりである。要するに、人間や社会を観念的(道学者的)、一面的に見てはならないと述べているのだと思います。
理は天下のはかりである。人が勝手に曲げたり真直ぐにしたりしてはいけない。
勢いは天下の有様である。
賢いから愚かだからといって(勢いが)異なることはないだろう。
そして勢いと情とは、また必ず並び行われることはない。
理と行いも、必ず一つになることはない。
そういうわけだから、勢いによって成るものをもって、情の基づくところを責める。
行いによって成るものをもって、これを理にかなっているかどうかでとがめる。
これは是非(の判断)が適当とならず、そうして人情が晴れやかにならない理由である。」
今回はここまでとします。
私はこのあと、数日留守にします。
次回以降、
「(3)大胆な孔子批判」
「(4)女性の立場に対する理解と擁護」、
「(5)『利』の積極的評価」
「(6)復讐についての柳子厚(柳宗元)の見解に対する高い評価」
「(7)人間諸関係における中国及び日本思想の簡潔な総括」
と続きます。お付き合いください。
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★ 『卒業式ビラまき報告集会』(実行委員会主催)のお知らせ
<日時>2016年4月30日(土)18:30~21:00
<場所>阿佐ヶ谷地域区民センター、第五集会室
<内容>・卒業式ビラまきの特徴と教訓について
・今後の運動の発展について
<資料代>300円
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