=河原井・根津08・09処分取消訴訟 2016年1月14日=
◎ 傍聴してくださる皆さんへ
お忙しい中、傍聴に駆けつけてくださり、ありがとうございます。
今日の法廷では、08年事件被告都側主張に対する反論をします。
私たち原告が2015年5月に出された07年事件高裁勝訴判決を使って被告の主張の誤りを指摘・主張したことに対し、被告が反論・主張。それに対する原告の反論・主張です。
1.2015年高裁判決は「2012年最高裁判決に反する」と被告は言うが、最高裁判決に反しない
①被告は、根津については停職6月を選択する具体的事情が認められる(過去の処分歴のほかに、校門前停職出勤および朝日新聞紙上での「不起立」呼びかけ)から、2015年高裁判決は2012年最高裁判決に違背すると主張する。
しかし、2015年高裁判決が示すように、「学校の秩序」が害されたという具体的事情は存在せず、被告主張は停職6月という過酷な処分によって受けた「不利益の内容」、及びそれと「秩序維持」との「権衡」も全く考慮しない被告主張が誤り。不利益の内容及び免職の威嚇について詳述。
②被告は、免職処分にはならなかったのだから、2015年高裁判決は事実を見ていないと主張する。
しかし、都作成の処分量定に「停職は6月まで」と明記し、「次は免職」との強い警告を与える停職6月は、停職3月と比較にならない心理的圧力を根津に与えることを被告は考慮していない。
2.2015年高裁判決の判断は憲法19条、21条の解釈・適用を誤っているとの被告主張について
①根津の言動(「私は間違っていると思う」などと記載したプラカードを掲げ抗議活動を行い、新聞紙上で発言したこと)を懲戒処分の加重要素としても、思想そのものを理由に処分するのではないから、また、間接的制約に過ぎないから、思想良心の自由、表現の自由の制約にはならないと被告は主張する。
それに対して、2015年高裁判決は、根津の言動を処分加重要素として大きく評価することを問題にした。処分理由に掲げない「言動」によって停職6月に加重したとすれば、実質的には「言動」を処罰したに等しい。
被告の主張に基づくと、処分の本来の目的が被処分者の思想良心を理由に処分を下すことにあるとしても、思想そのものを理由に不利益に取り扱う目的ではないと「偽装」すれば、思想良心の自由、表現の自由の制約はないことになる。
注)思想良心を理由にして行った処分は思想良心の直接的制約と言い、処分の目的とはしないが結果として処分になるときは間接的制約と言う。
②言動を懲戒処分の加重要素として考慮し停職6月処分を下すことは、次は免職しかないという強い心理的圧力をかけられることになり、2015年高裁判決が示したように自己の思想を捨てるかの二者択一を迫られるのであり、実質的な侵害にまで至る。2012年櫻井補足意見もこの点を指摘する。
2012年最高裁判決は停職3月に対して下されたものであって、停職6月は「法が予定している懲戒制度の運用の許容範囲に入るとは到底考えられない」(2012年最高裁判決についての裁判所HP)。非常に強い心理的圧力をかけることになる停職6月処分においては、被告が主張するように間接的制約でしかない等とはとても言えない。
3.国家賠償法上の違法及び過失の判断について
①被告は、当時はア,法令の解釈に異なる見解があり、また、イ.神戸税関事件最高裁判決を用い「処分量定の加重」が社会観念上著しく不合理ではなかったのだから、本件処分について国家賠償法上の違法及び過失はない、2015年東京高裁判決はその解釈・適用を誤り最高裁判例に違背すると主張する。
それに対して、ア.は「日の丸・君が代」処分とは何の関係もない判例を用いたものであり、失当。
イ.神戸関税事件の「社会観念」は、現在は通用力を失っていることをいくつもの判例から指摘し、職務命令違反という形式的な根拠事実だけでなく、それに至る経過や教育上の影響、実害について考慮しなければならないことを主張。
「(処分をするための)資料をすべて被告行政庁が保持している場合は、被告行政庁において、判断に不合理な点がないことを立証する必要があり、それがなされない場合は被告行政庁がした判断に不合理な点があると推認される」こと、都教委がそうだと指摘した。
②都教委の「通常尽くすべき注意義務」違反について
教育公務員には特別の身分保障があること(教基法9条2項、教育公務員特例法1条、21条1項)、さらに、地公法13条が平等取扱原則を定め、同27条が「分限及び懲戒の基準」として公正原則を明記していることを示し、被告が選択する懲戒処分の内容、性質、程度を考慮しなければならなかったこと、二重処分の禁止を指摘した。
そのうえで、それを怠った被告の本件注意義務違反・過失を主張した。
被告は、2012年1月最高裁判決は初めて示された新判断であって、これを根拠に注意義務違反を認めることはできないと主張する。
しかし、2012年1月最高裁判決を知って本件停職処分を漫然としていれば、それは故意ということ。本件処分時に出されていた判決は、被告の損害賠償責任まで認めた東京地裁2006年9月21日判決しかなかった。しかも、懲戒権者が定めた処分基準に反する処分の量定は原則として違法となるとして、これを超えて加重処分を行う場合に特段の事情が必要であることの判例は本件処分時前に存在していた。
特段の事情も示さないまま、都教委の処分量定《職務命令違反は戒告・減給》を超えた停職処分を出したことは注意義務違反の過失である。
不起立のみを理由として停職処分を行った任命権者は、全国の都道府県を見ても都教委のみであったという事情も、故意又は過失の存在を裏付ける。
③被告は、2015年高裁判決が被告について、国家賠償法上の違法及び過失を問題にしたのは肯定できないとして次の3点を主張する。ア,国旗国歌法の国会審議において、職務命令によることもできると答弁したこと、イ.同じく国会審議で、裁量権の乱用が許されないこと以上の見解が示されていないこと、ウ.非違行為の性格を無視して体罰事案における処分量定との差異を問題にはできないこと。
それに対して、2015年高裁判決は、ア.国歌に対する起立斉唱が、憲法が保障する思想良心の自由との関係で微妙な問題を含むものであることが意識されていたことを指摘したのであって、職務命令が出せるからといって、機械的な累積過重処分によって停職6月処分をしていいとは答弁していない。イ,標準量定を超えて停職6月処分を選択したことは、被告に慎重な考慮がなかったことを示すもの。ウ.機械的に処分を加重したことは事実。被告はそれを自認するということだ。
4.国家賠償法上の損害等について
被告は、処分が取り消されれば精神的損害は回復すると主張する。
2015年高裁判決が、停職期間中は授業もできず、生徒との人格的触れ合いもできなくなるなどの精神的被害を判示したことに対して、有効な反論をできないことからも、被告の主張には理由がないことは明らか。
また、被告は教員には就労請求権はないから、教員が義務として行う職務活動について、教員の権利、利益が侵害されたという2015年高裁判決は誤りという。
しかし、原告らは被告の不当・違法な停職処分によって、児童生徒との信頼関係が不当に遮断され、停職処分後の信頼関係の再構築においても困難に直面させられ、これによって精神的苦痛を現に受けたのは事実であって、これを権利というか利益というかは別として、教員は、職務上の個人として教員の身分が尊重され、不当な懲戒を受けない法的地位を持つのに、それを害されたのだから、国家賠償法上も違法と判断されるのは当然だ。
(文責 根津)
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今日の法廷では、08年事件被告都側主張に対する反論をします。
私たち原告が2015年5月に出された07年事件高裁勝訴判決を使って被告の主張の誤りを指摘・主張したことに対し、被告が反論・主張。それに対する原告の反論・主張です。
1.2015年高裁判決は「2012年最高裁判決に反する」と被告は言うが、最高裁判決に反しない
①被告は、根津については停職6月を選択する具体的事情が認められる(過去の処分歴のほかに、校門前停職出勤および朝日新聞紙上での「不起立」呼びかけ)から、2015年高裁判決は2012年最高裁判決に違背すると主張する。
しかし、2015年高裁判決が示すように、「学校の秩序」が害されたという具体的事情は存在せず、被告主張は停職6月という過酷な処分によって受けた「不利益の内容」、及びそれと「秩序維持」との「権衡」も全く考慮しない被告主張が誤り。不利益の内容及び免職の威嚇について詳述。
②被告は、免職処分にはならなかったのだから、2015年高裁判決は事実を見ていないと主張する。
しかし、都作成の処分量定に「停職は6月まで」と明記し、「次は免職」との強い警告を与える停職6月は、停職3月と比較にならない心理的圧力を根津に与えることを被告は考慮していない。
2.2015年高裁判決の判断は憲法19条、21条の解釈・適用を誤っているとの被告主張について
①根津の言動(「私は間違っていると思う」などと記載したプラカードを掲げ抗議活動を行い、新聞紙上で発言したこと)を懲戒処分の加重要素としても、思想そのものを理由に処分するのではないから、また、間接的制約に過ぎないから、思想良心の自由、表現の自由の制約にはならないと被告は主張する。
それに対して、2015年高裁判決は、根津の言動を処分加重要素として大きく評価することを問題にした。処分理由に掲げない「言動」によって停職6月に加重したとすれば、実質的には「言動」を処罰したに等しい。
被告の主張に基づくと、処分の本来の目的が被処分者の思想良心を理由に処分を下すことにあるとしても、思想そのものを理由に不利益に取り扱う目的ではないと「偽装」すれば、思想良心の自由、表現の自由の制約はないことになる。
注)思想良心を理由にして行った処分は思想良心の直接的制約と言い、処分の目的とはしないが結果として処分になるときは間接的制約と言う。
②言動を懲戒処分の加重要素として考慮し停職6月処分を下すことは、次は免職しかないという強い心理的圧力をかけられることになり、2015年高裁判決が示したように自己の思想を捨てるかの二者択一を迫られるのであり、実質的な侵害にまで至る。2012年櫻井補足意見もこの点を指摘する。
2012年最高裁判決は停職3月に対して下されたものであって、停職6月は「法が予定している懲戒制度の運用の許容範囲に入るとは到底考えられない」(2012年最高裁判決についての裁判所HP)。非常に強い心理的圧力をかけることになる停職6月処分においては、被告が主張するように間接的制約でしかない等とはとても言えない。
3.国家賠償法上の違法及び過失の判断について
①被告は、当時はア,法令の解釈に異なる見解があり、また、イ.神戸税関事件最高裁判決を用い「処分量定の加重」が社会観念上著しく不合理ではなかったのだから、本件処分について国家賠償法上の違法及び過失はない、2015年東京高裁判決はその解釈・適用を誤り最高裁判例に違背すると主張する。
それに対して、ア.は「日の丸・君が代」処分とは何の関係もない判例を用いたものであり、失当。
イ.神戸関税事件の「社会観念」は、現在は通用力を失っていることをいくつもの判例から指摘し、職務命令違反という形式的な根拠事実だけでなく、それに至る経過や教育上の影響、実害について考慮しなければならないことを主張。
「(処分をするための)資料をすべて被告行政庁が保持している場合は、被告行政庁において、判断に不合理な点がないことを立証する必要があり、それがなされない場合は被告行政庁がした判断に不合理な点があると推認される」こと、都教委がそうだと指摘した。
②都教委の「通常尽くすべき注意義務」違反について
教育公務員には特別の身分保障があること(教基法9条2項、教育公務員特例法1条、21条1項)、さらに、地公法13条が平等取扱原則を定め、同27条が「分限及び懲戒の基準」として公正原則を明記していることを示し、被告が選択する懲戒処分の内容、性質、程度を考慮しなければならなかったこと、二重処分の禁止を指摘した。
そのうえで、それを怠った被告の本件注意義務違反・過失を主張した。
被告は、2012年1月最高裁判決は初めて示された新判断であって、これを根拠に注意義務違反を認めることはできないと主張する。
しかし、2012年1月最高裁判決を知って本件停職処分を漫然としていれば、それは故意ということ。本件処分時に出されていた判決は、被告の損害賠償責任まで認めた東京地裁2006年9月21日判決しかなかった。しかも、懲戒権者が定めた処分基準に反する処分の量定は原則として違法となるとして、これを超えて加重処分を行う場合に特段の事情が必要であることの判例は本件処分時前に存在していた。
特段の事情も示さないまま、都教委の処分量定《職務命令違反は戒告・減給》を超えた停職処分を出したことは注意義務違反の過失である。
不起立のみを理由として停職処分を行った任命権者は、全国の都道府県を見ても都教委のみであったという事情も、故意又は過失の存在を裏付ける。
③被告は、2015年高裁判決が被告について、国家賠償法上の違法及び過失を問題にしたのは肯定できないとして次の3点を主張する。ア,国旗国歌法の国会審議において、職務命令によることもできると答弁したこと、イ.同じく国会審議で、裁量権の乱用が許されないこと以上の見解が示されていないこと、ウ.非違行為の性格を無視して体罰事案における処分量定との差異を問題にはできないこと。
それに対して、2015年高裁判決は、ア.国歌に対する起立斉唱が、憲法が保障する思想良心の自由との関係で微妙な問題を含むものであることが意識されていたことを指摘したのであって、職務命令が出せるからといって、機械的な累積過重処分によって停職6月処分をしていいとは答弁していない。イ,標準量定を超えて停職6月処分を選択したことは、被告に慎重な考慮がなかったことを示すもの。ウ.機械的に処分を加重したことは事実。被告はそれを自認するということだ。
4.国家賠償法上の損害等について
被告は、処分が取り消されれば精神的損害は回復すると主張する。
2015年高裁判決が、停職期間中は授業もできず、生徒との人格的触れ合いもできなくなるなどの精神的被害を判示したことに対して、有効な反論をできないことからも、被告の主張には理由がないことは明らか。
また、被告は教員には就労請求権はないから、教員が義務として行う職務活動について、教員の権利、利益が侵害されたという2015年高裁判決は誤りという。
しかし、原告らは被告の不当・違法な停職処分によって、児童生徒との信頼関係が不当に遮断され、停職処分後の信頼関係の再構築においても困難に直面させられ、これによって精神的苦痛を現に受けたのは事実であって、これを権利というか利益というかは別として、教員は、職務上の個人として教員の身分が尊重され、不当な懲戒を受けない法的地位を持つのに、それを害されたのだから、国家賠償法上も違法と判断されるのは当然だ。
(文責 根津)
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