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【僕、国歌歌わないもん】(石原慎太郎)
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東京五輪に 【国旗も国歌も必要ない】(ビートたけし)
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対米従属で「世界征服」を夢想するデマゴギー政治家安倍首相を倒そう!
======================
東京に戻りました。
24日の▲ 衆院ダブル補選で、北海道五区では、野党共闘の池田候補は敗れたものの、「野党共闘」の力を発揮しました。
そのことは、無党派層の7割(!)が池田候補に投票したことによく表れていると思います。
また、自民党は京都3区には候補者を立てられず、アベの別動隊であるおおさか維新も3倍以上の大差で敗れています。
26日、「安保法は違憲」として、同法による自衛隊の出動の差し止めなどを求める裁判が東京地裁に提訴されました。
夏頃までにさらに全国の約15地裁で同様の訴訟が起こされるという事です。
自民党は「野合」とかなんとか言っていますが、現在進んでいるのは安倍独裁政権打倒の「統一戦線」に他なりません。
事は一歩一歩前進していると言えるでしょう。
5月3日の『憲法集会』はさらに大きな一歩をすすめる集会にしましょう。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
以下、『敢語』紹介の続きです。
(3)大胆な孔子批判
儒教(朱子学)が支配した江戸時代、儒教の開祖とも言われる孔子について、批判をするなどということは恐れ多いことでした。
(安藤昌益は「聖人」一般を手厳しく批判しましたが。)
現在でも俗に「世界三大聖人」の一人などと言われて孔子は持ち上げられています。(他は、ソクラテス、釈迦)
中国では辛亥革命前後より儒教批判が強くなったのですが、最近の中国(資本主義化した)では、「孔子平和賞」(2010年創設)なるものを作り孔子を再び持ち上げるようになりました。
しかし、梅園は以下に見るように、大胆に孔子を批判しました。
梅園は『敢語』の「序」のなかで次のように述べています。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
後に学ぶ人の規範とするのは孔子である。
そして(孔子に対する)尊敬崇拝は極まっている。
その上に付け加えることはない。
それでも孔子先生が孔子先生であることは信じて、
孔子先生がどうして孔子先生であるのかは知らない。
(これでは)信ずることと信じないことの違いはほとんどない。
(だから)孔子第四を作った。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
そうして、具体的には、先ず『礼記(らいき)』の「檀弓(だんきゅう)」篇にある孔子の最期の場面について、手厳しく孔子を批判しています。
それは少々長いのですが、有名なところですので、以下の説明のために、全文を紹介しておきます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
孔子は早くから起きて、手を後ろに回し、杖を引き、門前において散歩していた。
歌って言う。『泰山も崩れ落ちてしまうのか。梁木も崩れ落ちようとしている。
哲人が萎(しお)れようとしている』、と。
すでに歌い終わって家に入る。戸のところに座った。
子貢(しこう)(孔子の弟子)がこれを聞いて言う。
『泰山が崩れたら、私は何を仰げば良いだろう。梁木が壊れ、哲人が病死したら、
私は何を頼りにしたら良いだろう。先生はまさに危篤のようだ』、と。
ついに走って中に入った。孔子は言った。
『賜(し)(子貢)、お前はどうして遅れてきたのか。
<夏>后氏が殯(ひん)(かりもがり)を東階の上においてするのは、
すなわち死んでもなお(主人として)
?(そ)(きざはし。主人が客に対して登る東方の階段。客は西の階段から登る)
にあるようなものとするのだ。
<殷>人が殯を両階の間においてするのは、すなわち客と主人がこれをはさむのだ。
<周>人が殯を西階の上においてするは、すなわちなおこれを客とするようなものだ。
そして私丘(きゅう)は<殷>人である。
私は前日の夜に夢を見た。座って二つの柱の間に祭られる』、と。
『賢い君主は興らなかった。そして天下はどうして私を第一の位の者にしなかったのか。
私はやがて死のうとしている』、と。
その通り病になって寝ること七日で亡くなった。」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
この記述について、梅園は次のように言っているのです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
私晋(すすむ:梅園の名前)は「檀弓」を読んで、
つねに後の儒者たちがこの章を正しく理解しなかったことを嘆く。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
その上で、梅園は孔子の具体的な言動を、何人かの有名な人物の言動と比較しながら検討し、孔子を批判しています。
一例を挙げれば、周の太公望(出世など考えず釣りをしていたところを周の文王に見出され、周建国の功臣となる)との比較であり、そこでは、次のように結論づけています。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
当時、諸侯の国、どの国が危なかったろうか。
どの国が乱れていただろうか(どの国もそうではなかった)。
(しかし)どの国が孔子を用いただろうか(どの国も用いなかった)。
どの国に道義があったろうか。
それでもなお(孔子は用いられることを求め)天下を広くめぐることを止めなかった。(そして)言った。
『いやしくも私を用いる者があれば、一年でやめてもいい。三年ならば成果を上げるだろう』、と。
(孔子が)世の中に望むことはこのようなものだった。
これでは(孔子は)忙しく(世に)へつらいをする者ではないか。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
また、『論語』に出てきますが、狂接輿(きょうせつよ)、桀溺(けつでき)、荷篠丈人(かじょうじょうにん)らの孔子に対する批判を紹介したあとで次のように述べています。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
後世の人は名前だけでこれ(孔子)を信じている。その(具体的な)言行を考えない。
文章に従って義を生み出している。彼(後世の人)はこの矛盾を問わない。
聖人(のこと)を議論する者を見て、一様にこれを非だとする。
ただ孔子のことを議論する者を知らないだけではない。結局は孔子を知らないのだ
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
そうして、孔子の最後の言葉を批判して次のように述べています。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
『鳳鳥(ほうちょう)は至らず河圖(かと)も出てこない。私はおしまいだ』とは、
自身が盛んな時代を見ることができないと嘆くのである。
『賢い君主は興らず、天下のいずれの国も私を第一位の者としない』とは、
学んだことが行われないのを苦痛に感じたものである。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
以上のように梅園の孔子に対する批判は容赦ないものでした。
ただあまりに長期間孔子の名声が高かったためか、最後に次のようにまとめています。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
孔子はたしかに周の道を興すことに期待することがあった。
これはおちぶれて喪家(そうか)の狗(いぬ)のようになった原因であった。
(狂)接輿たちの憂愛を思わなかったのではない。
危乱に対処すべきでないのにそれを避けなかったのではない。
ただ周の道にとらわれて、最後まで(その志を)果たすことができず、斃(たお)れて後に休止した。
ああ、ついにその志を(自分が生きている)当時に得なかったといえども、
後世の述作をする者が、皆法(規範)をここに取るのであれば、
その功積は周公旦(武王を助けて殷を滅ぼし、周の礼を定めた)の下ではないだろう。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
要するに、梅園は、孔子といえども決して神聖化することなく、具体的に孔子の言動を検討・批判し、
<忙しく(世に)へつらいをする者>とか、
<おちぶれて喪家(そうか)の狗(いぬ)のようになった>
と、大胆に孔子を批判しているのです。
次回は(4)「女性の立場に対する理解と擁護」です。
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★ 『卒業式ビラまき報告集会』(実行委員会主催)のお知らせ
<日時>2016年4月30日(土)18:30~21:00
<場所>阿佐ヶ谷地域区民センター、第五集会室
<内容>・卒業式ビラまきの特徴と教訓について
・今後の運動の発展について
<資料代>300円
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「都教委包囲首都圏ネットワーク」のブログのアドレス
http://houinet.blogspot.jp/
「千葉高教組『日の丸・君が代』対策委員会」のホームページ
http://homepage3.nifty.com/hinokimi/
「ひのきみ全国ネット」のウェブサイト
http://hinokimi.web.fc2.com/
【僕、国歌歌わないもん】(石原慎太郎)
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東京五輪に 【国旗も国歌も必要ない】(ビートたけし)
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対米従属で「世界征服」を夢想するデマゴギー政治家安倍首相を倒そう!
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東京に戻りました。
24日の▲ 衆院ダブル補選で、北海道五区では、野党共闘の池田候補は敗れたものの、「野党共闘」の力を発揮しました。
そのことは、無党派層の7割(!)が池田候補に投票したことによく表れていると思います。
また、自民党は京都3区には候補者を立てられず、アベの別動隊であるおおさか維新も3倍以上の大差で敗れています。
26日、「安保法は違憲」として、同法による自衛隊の出動の差し止めなどを求める裁判が東京地裁に提訴されました。
夏頃までにさらに全国の約15地裁で同様の訴訟が起こされるという事です。
自民党は「野合」とかなんとか言っていますが、現在進んでいるのは安倍独裁政権打倒の「統一戦線」に他なりません。
事は一歩一歩前進していると言えるでしょう。
5月3日の『憲法集会』はさらに大きな一歩をすすめる集会にしましょう。
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以下、『敢語』紹介の続きです。
(3)大胆な孔子批判
儒教(朱子学)が支配した江戸時代、儒教の開祖とも言われる孔子について、批判をするなどということは恐れ多いことでした。
(安藤昌益は「聖人」一般を手厳しく批判しましたが。)
現在でも俗に「世界三大聖人」の一人などと言われて孔子は持ち上げられています。(他は、ソクラテス、釈迦)
中国では辛亥革命前後より儒教批判が強くなったのですが、最近の中国(資本主義化した)では、「孔子平和賞」(2010年創設)なるものを作り孔子を再び持ち上げるようになりました。
しかし、梅園は以下に見るように、大胆に孔子を批判しました。
梅園は『敢語』の「序」のなかで次のように述べています。
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後に学ぶ人の規範とするのは孔子である。
そして(孔子に対する)尊敬崇拝は極まっている。
その上に付け加えることはない。
それでも孔子先生が孔子先生であることは信じて、
孔子先生がどうして孔子先生であるのかは知らない。
(これでは)信ずることと信じないことの違いはほとんどない。
(だから)孔子第四を作った。
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そうして、具体的には、先ず『礼記(らいき)』の「檀弓(だんきゅう)」篇にある孔子の最期の場面について、手厳しく孔子を批判しています。
それは少々長いのですが、有名なところですので、以下の説明のために、全文を紹介しておきます。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
孔子は早くから起きて、手を後ろに回し、杖を引き、門前において散歩していた。
歌って言う。『泰山も崩れ落ちてしまうのか。梁木も崩れ落ちようとしている。
哲人が萎(しお)れようとしている』、と。
すでに歌い終わって家に入る。戸のところに座った。
子貢(しこう)(孔子の弟子)がこれを聞いて言う。
『泰山が崩れたら、私は何を仰げば良いだろう。梁木が壊れ、哲人が病死したら、
私は何を頼りにしたら良いだろう。先生はまさに危篤のようだ』、と。
ついに走って中に入った。孔子は言った。
『賜(し)(子貢)、お前はどうして遅れてきたのか。
<夏>后氏が殯(ひん)(かりもがり)を東階の上においてするのは、
すなわち死んでもなお(主人として)
?(そ)(きざはし。主人が客に対して登る東方の階段。客は西の階段から登る)
にあるようなものとするのだ。
<殷>人が殯を両階の間においてするのは、すなわち客と主人がこれをはさむのだ。
<周>人が殯を西階の上においてするは、すなわちなおこれを客とするようなものだ。
そして私丘(きゅう)は<殷>人である。
私は前日の夜に夢を見た。座って二つの柱の間に祭られる』、と。
『賢い君主は興らなかった。そして天下はどうして私を第一の位の者にしなかったのか。
私はやがて死のうとしている』、と。
その通り病になって寝ること七日で亡くなった。」
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この記述について、梅園は次のように言っているのです。
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私晋(すすむ:梅園の名前)は「檀弓」を読んで、
つねに後の儒者たちがこの章を正しく理解しなかったことを嘆く。
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その上で、梅園は孔子の具体的な言動を、何人かの有名な人物の言動と比較しながら検討し、孔子を批判しています。
一例を挙げれば、周の太公望(出世など考えず釣りをしていたところを周の文王に見出され、周建国の功臣となる)との比較であり、そこでは、次のように結論づけています。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
当時、諸侯の国、どの国が危なかったろうか。
どの国が乱れていただろうか(どの国もそうではなかった)。
(しかし)どの国が孔子を用いただろうか(どの国も用いなかった)。
どの国に道義があったろうか。
それでもなお(孔子は用いられることを求め)天下を広くめぐることを止めなかった。(そして)言った。
『いやしくも私を用いる者があれば、一年でやめてもいい。三年ならば成果を上げるだろう』、と。
(孔子が)世の中に望むことはこのようなものだった。
これでは(孔子は)忙しく(世に)へつらいをする者ではないか。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
また、『論語』に出てきますが、狂接輿(きょうせつよ)、桀溺(けつでき)、荷篠丈人(かじょうじょうにん)らの孔子に対する批判を紹介したあとで次のように述べています。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
後世の人は名前だけでこれ(孔子)を信じている。その(具体的な)言行を考えない。
文章に従って義を生み出している。彼(後世の人)はこの矛盾を問わない。
聖人(のこと)を議論する者を見て、一様にこれを非だとする。
ただ孔子のことを議論する者を知らないだけではない。結局は孔子を知らないのだ
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
そうして、孔子の最後の言葉を批判して次のように述べています。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
『鳳鳥(ほうちょう)は至らず河圖(かと)も出てこない。私はおしまいだ』とは、
自身が盛んな時代を見ることができないと嘆くのである。
『賢い君主は興らず、天下のいずれの国も私を第一位の者としない』とは、
学んだことが行われないのを苦痛に感じたものである。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
以上のように梅園の孔子に対する批判は容赦ないものでした。
ただあまりに長期間孔子の名声が高かったためか、最後に次のようにまとめています。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
孔子はたしかに周の道を興すことに期待することがあった。
これはおちぶれて喪家(そうか)の狗(いぬ)のようになった原因であった。
(狂)接輿たちの憂愛を思わなかったのではない。
危乱に対処すべきでないのにそれを避けなかったのではない。
ただ周の道にとらわれて、最後まで(その志を)果たすことができず、斃(たお)れて後に休止した。
ああ、ついにその志を(自分が生きている)当時に得なかったといえども、
後世の述作をする者が、皆法(規範)をここに取るのであれば、
その功積は周公旦(武王を助けて殷を滅ぼし、周の礼を定めた)の下ではないだろう。
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要するに、梅園は、孔子といえども決して神聖化することなく、具体的に孔子の言動を検討・批判し、
<忙しく(世に)へつらいをする者>とか、
<おちぶれて喪家(そうか)の狗(いぬ)のようになった>
と、大胆に孔子を批判しているのです。
次回は(4)「女性の立場に対する理解と擁護」です。
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★ 『卒業式ビラまき報告集会』(実行委員会主催)のお知らせ
<日時>2016年4月30日(土)18:30~21:00
<場所>阿佐ヶ谷地域区民センター、第五集会室
<内容>・卒業式ビラまきの特徴と教訓について
・今後の運動の発展について
<資料代>300円
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「千葉高教組『日の丸・君が代』対策委員会」のホームページ
http://homepage3.nifty.com/hinokimi/
「ひのきみ全国ネット」のウェブサイト
http://hinokimi.web.fc2.com/
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