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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

コロナ禍で再開された学校、宮城県からの報告

2021年02月02日 | こども危機
 ◆ 学校は再開されたが
   ・・・日常は戻るのか
(週刊新社会)


 ◆ 変わった学習形態

 学習では、各教科について細かく指示されている。
 例えば、グループ学習は行わない。
 国語では音読は避ける。範読やスピーチの学習は、CDやビデオで。
 理科では、実験観察は少人数で、器具の共用はしない。
 音楽は合唱をしない。拍手や机をたたくなどのリズム学習を取り入れる。
 体育では、身体接触のあるチームプレーは避けるなどなどである。
 そして、パソコンなどのICT機器を取り入れた学習が推奨されている。
 しかし、ICT機器の活用やオンライン学習を指導できる教員は多くはない。

 ◆ さまざまな行事が中止になる

 さまざまな学校行事があるが、多くは中止になった。それでも子どもたちが楽しみにしている「修学旅行や野外活動」を工夫して行った学校もある。
 宮城では、中学校の修学旅行は東京方面で、2泊3日で「都内自主活動とディズニーランド」がメインだ。しかし、今年は2日間に短縮し、しかも1日目は岩手方面、2日目は蔵王での活動と両方とも日帰りで実施した学校があった。
 修学旅行の多くは「旅行会社丸投げ」が多いが、この旅行では、コロナ対策をしっかりし、2日間の活動計画を教員が細かく計画し実施した。コロナによる大変な労働強化である。
 野外活動も通常は宿泊を伴うが、日帰りで、野外炊飯はなしで、工作やオリエンテーリング活動であった。子どもたちにとっては一緒に宿泊することが楽しみであるが、コロナに奪われてしまった。
 運動会は、無観客で2日から3日間ぐらいに細切れで行った。子どもたちに充実感はあっただろうか。
 一方、職員は準備、片付けに何日も必要で大変だ。
 校内での見学を禁止された保護者は、フェンス越しの応援となった。コロナ対策として意味があったのだろうか。
 授業参観は、実施された。2つのグループに分けて、2時間目はAグループ、3時間はBグループのように、教員にとっては2時間分の「参観用授業」を準備することは、これまた倍の労力を使わなければならない。
 ◆ 心にどう影響するか心配

 このようなコロナの状況が、子どもたちの心にどのような影響を及ぼしているか、大変心配なところだ。
 思い出すのは、約10年前の東日本大震災の時のことだ。大震災が、2011年3月に発生して、年度末・新年度と今と同じように休校状態が続いた。
 その後、学校は再開されたが、子どもたちはちょっとした「地震の揺れ」にも敏感になり、すぐ机の下に潜り込んだり、不安な顔をしたりと、大地震が子どもたちの心に大きく影響したことは間違いなかった。
 そのためか、仙台では「学級崩壊・不登校」の状態が増えた。
 文科省の「学力テスト」を肯定する気はないが、その当時学習どころではなく、宮城の「学力低下状態」がその影響だと考えている。
 今回のコロナは、目に見えず、体感することもできない。言いしれない不安感は大人以上であると思う。事実、児童・生徒が感染した学校は、少なくて3日間、他の子どもにも感染したら1週間以上の休校を余儀なくされているところも出てきた。
 コロナは拡大こそすれ、終息はみえてこない。


 ◆ 子どもや職員をゆったり見守って

 学習の遅れを取り戻すために、夏休みを返上し、冬休みを短縮して学習が続けられている。想像だが、教員は学習進度のために児童生徒の理解が不十分でも、学習を進めてしまう状態になっているのではないだろうか。
 また、仙台などでは「いじめ・不登校」がコロナ禍に関連してかどうかは、はっきりしないが大きな問題になっている。
 市長や市教委からさまざまな施策が提起され、それをこなすだけで精一杯な状況である。職員のなかには「あきらめ」の感情が充満している。
 文科省は、学習内容理解のためには、2年間程を要しても構わないと通達しているが、富谷の市長などは「夏休みを短縮することで、学習内容は1年間で終える」と明言している。
 これは、高校・大学入試に不安を持たせないようにということなのかもしれないが、もっと子ども・職員の不安な心を考え、ゆったりと見守る方策が必要だと考える。
 (相沢瑞男)

『週刊新社会』(2021年1月19日)


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