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中教審の“令和の日本型学楼教育”答申素案にパブコメ募集中

2020年12月21日 | こども危機
 ◆ 中教審が“令和の日本型学楼教育”の答申素案を公表
   法・きまりは“守る”だけ、義務教育でも修得主義導入の危険
(マスコミ市民)
永野厚男(教育ジャーナリスト)

 中央教育審議会は2021年1月14日の初等中等教育分科会で、“令和の日本型学校教育の構築を目指して”と題する答申案を確定する。
 文部科学省は20年12月4日、同分科会の集中審議時「本日から12月21日まで、答申素案に対する意見公募を実施する」と宣告し、HPに応募要領を掲載した。通常の30日間のパブリックコメントの、半分の短期間しか設けない、その対象となる90頁近い答申素案は、「ツールとしてのICTを基盤としつつ、日本型学校教育を発展させ、2020年代を通じて実現を目指す学校教育」(14頁)で、目指すべき姿は「全ての子供たちの可能性を引き出す、個別最適な学びと、協働的な学びの実現」(14頁)だと美辞麗句。
 だが、その内容は自民党と癒着してきた同省特有の、国家主義や政治性を孕(はら)んでいる。
 紙幅の関係で4点に絞るが、答申素案86頁の教員免許更新制は、『週刊金曜日』20年12月4日号で分析・批判したので、ネット等で検索頂ければ幸いである。
 ◆ 法律や規則は「守る」だけで、「変え」なくていいの?

 答申素案は4頁で、「文部科学省が全国の小・中学校において毎年実施している全国学力・学習状況調査において、『人の役に立つ人間になりたいと思うか』、『学校のきまり(規則)を守っているか』などの規範意識に関する質問に肯定的に回答した児童生徒の割合は9割程度と高い水準になっている」と、誇っている。
 しかし法律や規則は、「守る」だけでは一人一人の人権が、大切にされなかったり脅かされたりする危険性がある。
 文科省が「大綱的基準として法的拘束力あり」とする学習指導要領(2017年3月官報告示)の道徳は、中学は「遵法精神、公徳心」のキーワードの下、「法やきまりの意義を理解し、それらを進んで守るとともに、そのよりよい在り方について考え、自他の権利を大切にし、義務を果たして、規律ある安定した社会の実現に努めること」と、規定している(小学校も「規則の尊重」のキーワードの下、ほぼ同様の文言)。
 これについて2頁分充てた文科省著作の解説書(中学)は、ほとんどを「法やきまりの遵守」「義務を果たせ」という主張に終始。
 「互いの権利の主張が調和し両立できるようにする」との記述は1行あるものの、「一人一人の人権の大切さ」の記述はない。また、「適正な手続を経てこれら(注、法やきまりを指す)を変えることも含め、その在り方について考えることが必要である」と、悪い法律や規則を変えてよいと読み取れる記述も1~2行だけ。
 これでは、個人や住民・市民が、国家権力との関係でノーの声を上げ、誤った施策(“君が代”強制や沖縄の米軍新基地建設等)をやめさせる権利や、その行使(請願権を含む参政権、情報公開請求権等)の必要性(小中高校等の学校内で言えば、ブラック校則を変える権利や必要性)に、児童・生徒が気付く余地は少なくなってしまう。
 こうした偏った指導要領や解説書に則った授業や生活指導をする教職員(校長・教育委員会指導主事らを含む)は少なくなく、これが「法律や規則は変えちゃいけない、ただ守るだけが9割」という高い数字を作り出してしまっているのだ。
 ◆ 「日本人の国民性調査」から、都合よい“長所”だけ言及

 答申素案4頁の脚注は、統計理数研究所(統数研)が15年2月公表した「日本人の国民性調査(第13次調査)」で「日本人の長所として挙げられるものを具体的な10個の性質の中からいくつでも選んでもらったところ、“勤勉”、“礼儀正しい”、“親切”を挙げる人が7割を超えた」と記述。
 しかし、統数研調査の「10個の性質」全てをネット検索すると、答申素案が載せていない、「自由を尊ぶは、全体12%、20歳代(10歳代は未調査なので以下、児童生徒に近い20歳代を掲げる)13%、「独創性に富むは、全体8%、20歳代7%」「理想を求めるは、全体16%、20歳代17%」という、異常な低さだ。
 この体(てい)たらくは、道徳や社会で「個人の尊厳より愛国心」「自由・権利よりも義務」を教化し、卒業・入学式ではコロナ禍でも”君が代”を強制する、文科省や東京・大阪等の教育委員会の国家主義のなせる業(わざ)である。
 因(ちな)みに、文科省の“君が代”への異常なこだわりは、教職員らが20年3月1日、千代田区内で開催した「日の丸・君が代ILO/ユネスコ勧告実施市民会議発足集会」で、社民党の吉川元(はじめ)衆院議員が連帯メッセージの一部で、次の通り暴き出した。
 「2月、議員会館での立憲・国民・社民など野党共同会派の文部科学部会で、新型コロナ・ウイルス対策で、卒業式の時間短縮や規模縮小が要請されている点について、出席者が文科省に質問したところ、初等中等教育局の担当者が、校長の式辞は紙で配布して省略することは可能だが、“君が代”斉唱は学習指導要領で指導対象になっているから、省略は困難と、平然と答えていた」。
 ◆ 主権者教育で、国政等の論争的テーマの設定を抑制させかねない懸念

 答申素案18頁は、“令和の日本型学校教育”なるものは、各学校段階で「以下のような学びの姿が実現することを目指す」としている。
 このうち高校については、選挙権年齢や成年年齢の18歳への引き下げにより、生徒の大半が在学中に有権者となることから、「主権者の一人としての自覚を深めることを含め、《略》学ぶことと自己の将来とのつながりを見通しながら、社会的・職業的自立に向けて必要な基盤となる資質・能力や、地域の課題等についての認識を深め、その解決を社会の構成員の一人として担う等、社会の形成に主体的に参画するために必要な資質・能力を身に付けられるよう」(以下、傍線は筆者)と記述している。
 ここで筆者が疑問に思うのは、中学・社会で国政の基本を含む憲法や、国連など国際機構の役割、地球環境問題等の学習を終え、高校進学後は公民科でそれらを深化させる学習をするのに、なぜ答申素案は(「等」という語を付けてはいるものの)、「地域の課題」に限定しているのか、ということだ。
 思うに、憲法9条や“国旗・国歌”、自衛隊の集団的自衛権行使、PKO等、国政や国際機構に関する論争的テーマについては、深掘りし「認識を深め」させる授業をやると、政治的「中立性」が問題になってきますよと、答申素案は教育現場に暗黙のプレッシャーをかけようとしているのではないか。
 現に主権者教育に関し、小松親次郎・文科省初等中等教育局長(当時)が15年10月29日に出した通知は、「多様な見方や考え方のできる事柄、未確定な事柄、現実の利害等の対立のある事柄等を取り上げる場合には、生徒の考えや議論が深まるよう様々な見解を提示することなどが重要であること」と記述。
 ところがこの直後、「その際、特定の事柄を強調しすぎたり、一面的な見解を十分な配慮なく取り上げたりするなど、特定の見方や考え方に偏った取扱いにより、生徒が主体的に考え、判断することを妨げることのないよう留意すること」と、ダメ押しするように続けている。
 実は小中の道徳指導要領も、「第3指導計画の作成と内容の取扱い」の「2第2の内容の指導に当たっては、次の事項に配慮するものとする」において、「多様な見方や考え方のできる事柄について、特定の見方や考え方に偏った指導を行うことのないようにすること」と、前出・小松氏通知に類似した“規定”をしている。
 この道徳指導要領の“規定”を、櫻井歓(かん)日大芸術学部教授は、月刊誌『教育』2020年10月号で、「『多様な見方や考え方』を尊重するとしつつ、『特定の見方や考え方に偏った指導』の排除と称し、社会の現状に対する批判的視点を持つ論争的テーマの設定を抑制することになる懸念あり。本来、権力(注、政府等)からの教育の自由を意味する『中立性』が、教員を自己規制させる(注、萎縮効果の)規範へと変質している」といった趣旨で、分析している。
 この論文を読んだ筆者が、「道徳指導要領同様、主権者教育でも文科省は、社会の現状に対する批判的視点を持つ論争的テーマの設定を抑制させ、良心的教員への萎縮効果を狙っているのではないでしょうか」と取材すると、櫻井さんは「そうです。国民主権を規定した憲法のもと、既存の規範や秩序を問い直し、より良い社会を作り出す批判意識など、立憲的教養を育むことが重要です」と語った。
 ◆ 義務教育段階で修得主義導入は、おかしい

 高校では、これまで、そして現在も、一定の出席するべき日数、授業に出た上で(履修主義)、一定の成果を確認して単位の修得を認定する制度(修得主義)を採っている。
 定期試験でいわゆる赤点だったり、提出物の提出状況が良くなくても、補習等で成果が見られれば、多くの学校側は進級・卒業させているが、それをも拒否した生徒は原級留置、つまり留年となることがある。
 一方、小中、つまり義務教育段階の進級や卒業の要件は年齢主義であり、普通に出席していれば進級・卒業できる(病気等で長期入院しても、多くの校長は卒業証書を出している)。
 答申素案25頁は「義務教育段階から原級留置を行うことは、児童生徒への負の影響が大きいことや保護者等の関係者の理解が得られないことから受け入れられにくいと考えられる」と記述。
 ところが直後に、義務教育段階でも、「進級や卒業の要件としては年齢主義を基本に置きつつも、教育課程を履修したと判断するための基準については、履修主義と修得主義を適切に組み合わせ、それぞれの長所を取り入れる教育課程の在り方を目指すべきである」とも主張しており、今後、監視が必要だ。中教審委員からも「小中で修得主義導入はおかしい」という意見が出ている。
『マスコミ市民』(2021年1月)

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