● 人種差別を禁じることができない 日本という国 (Wedge)
特定の人種や民族に対し差別をあおる、いわゆるヘイトスピーチを禁止する法案、「人種差別撤廃施策推進法案」が今の国会で審議されている。民主党などの野党が提案し、差別に苦しむ人たちは早期の成立を望んでいるが、先月6日の参議院法務委員会で審議されて以降、動きが止まっている。
● ヘイトスピーチは「表現の自由」ではない
安全保障関連法案ばかりが重要と考えているのか、自民党・公明党の与党側は今国会での採決を見送る方針だという報道もあった。ヘイトスピーチと「表現の自由」の兼ね合いを危惧する声もあるが、人種差別という禁止して当然のことを禁じることもできない国に、世界中から多くの人が集まるオリンピック・パラリンピックを開催する資格はあるのだろうか。
今月2日、法案を成立させようと院内集会が開かれた。関西学院大学の金明秀教授は、過去に自身が入居をめぐって差別を受けたことを紹介した上で、マイノリティーの差別の実態調査を精緻に調べる必要があると訴えた。
金教授によると、地方自治体は差別があるかどうかを調査しているが、マイノリティーではなくマジョリティーの一般大衆に質問しているため、人種差別の実態が浮き彫りなっていないという。在日外国人などのマイノリティーを政府が中心となって調査をするための根拠として、この法案が絶対に必要だと強調した。
なぜ調査するための法律が必要なのか。日本政府はこれまで、日本では深刻な差別扇動が行われていないという立場を一貫して取り続けている。しかし、東京の新大久保や大阪の鶴橋など日本各地で行われてきた「在日特権を許さない市民の会」などの右派系市民グループによるデモや街宣を目撃したことがある人なら、誰もが日本政府の立場は「おかしい」と思うはずだ。在日の韓国人・朝鮮人などに向けて「ゴキブリ、蛆虫」「殺せ」「叩き出せ」と叫ぶ。
書くだけでも反吐が出る文言だ。こんなことがまかり通ってしまっている国に深刻な差別扇動は行われていないと断言する政府には首をかしげざるを得ない。だからこそ、実態を調査するための根拠として法律が必要なのだ。
採決に慎重な姿勢を示す与党側。その根拠の1つとして「表現の自由」があるという。確かに、権力側の恣意的な解釈によって法規制が乱用される可能性は全くないとは言えないのかもしれない。しかし、法案では「人種等を理由とする差別」の「『人種等』とは、人種、皮膚の色、世系又は民族的若しくは種族的出身」と明確に規定している。ここまで規定しているのだから、そんな簡単に乱用されるわけがないと考えるのが普通だし、何よりも先に記したデモや街宣での言動、さらにはインターネット上を飛び交う差別的な書き込みにより苦しんでいる人は多い。筆者も“被害”に遭った人たちの話を実際に聞いてみると、日本人では想像できないほどに打撃を受けていると感じた。
● 言葉の暴力ではない これは暴力だ!
右派系市民グループに所属するある男性は、「根拠を持って我々はやっている」などと自身を正当化するが、「ゴキブリ、蛆虫」「殺せ」発言に正当性など存在するはずがない。しかも、こうしたデモや街宣をやろうと思った理由が「ストレートに感情を表現しているから」とのことで、言われる側の心情を全く考えていないので手に負えない。
この問題を長く取材し、『ネットと愛国』などの著書がある安田浩一氏は、ある集会で、「これは言葉の暴力ではない。これは暴力なんです。絶対に許してはいけない」と語気を強める。しかも、最近ではヘイトスピーチでも何でもない表現や発言をヘイトスピーチとして捉え、ヘイトスピーチの法規制が表現の自由を脅かすという誤解を生んでいる雰囲気があることに危惧を示していた。
筆者の記憶では、2013年の春ごろからヘイトスピーチという言葉を見かけるようになった。そのころからヘイトスピーチを行うデモに対し反対行動をする動きも活発化した。そして法規制を求める声が被害者や関係者だけでなく国会議員からも聞かれた。あれから2年以上が経過しているのに、相変わらず「表現の自由がどうだ」とか言って遅々として進んでいない現状に筆者は愕然としている。
当初は筆者も法規制には慎重であるべきだという考えを持っていたが、差別を扇動するデモを何度も目の当たりにするうちに、法規制は必要だと考えるようになった。2年前にも人種差別を禁止する雰囲気を醸成し、その実態を調査するために法律が必要だという意見が出ていた。しかし、いまだに同じことを訴えなければいけない人たちがいる。
審議されている法案には罰則はなく、その効果を疑問視する意見もあるが、まずは「人種差別は絶対に許してはいけない」という社会を作り出す意味で法案の速やかな成立は当然のことだと思うのだが。
2日の院内集会では、民主党、共産党、社民党などの野党議員が出席して、早期の成立に向けて頑張りたいなどと力を込めたが、与党議員の出席はなし。自民党議員の秘書が出席していたと集会の主催者は話していたが、慎重とされる与党議員こそ耳を傾けるべきではないか。
堅苦しく書いてきたが、つまりは「積極的平和主義」だかなんだかわかりにくい法案に血眼になるより、人が尊厳を保って生きていくことができる当たり前の法律を作るほうがわかりやすいと思う。それとも、戦争ができる国にするためには人間の尊厳など必要がないということなのだろうか。
人種差別を撤廃するための法案が継続審議、もしくは廃案となるような国が、「美しい国、日本」などと世界に誇ることができるはずがない。
桐生知憲 (ジャーナリスト)
『Wedge - Yahoo!ニュース』(9月9日)
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150909-00010000-wedge-asia
特定の人種や民族に対し差別をあおる、いわゆるヘイトスピーチを禁止する法案、「人種差別撤廃施策推進法案」が今の国会で審議されている。民主党などの野党が提案し、差別に苦しむ人たちは早期の成立を望んでいるが、先月6日の参議院法務委員会で審議されて以降、動きが止まっている。
● ヘイトスピーチは「表現の自由」ではない
安全保障関連法案ばかりが重要と考えているのか、自民党・公明党の与党側は今国会での採決を見送る方針だという報道もあった。ヘイトスピーチと「表現の自由」の兼ね合いを危惧する声もあるが、人種差別という禁止して当然のことを禁じることもできない国に、世界中から多くの人が集まるオリンピック・パラリンピックを開催する資格はあるのだろうか。
今月2日、法案を成立させようと院内集会が開かれた。関西学院大学の金明秀教授は、過去に自身が入居をめぐって差別を受けたことを紹介した上で、マイノリティーの差別の実態調査を精緻に調べる必要があると訴えた。
金教授によると、地方自治体は差別があるかどうかを調査しているが、マイノリティーではなくマジョリティーの一般大衆に質問しているため、人種差別の実態が浮き彫りなっていないという。在日外国人などのマイノリティーを政府が中心となって調査をするための根拠として、この法案が絶対に必要だと強調した。
なぜ調査するための法律が必要なのか。日本政府はこれまで、日本では深刻な差別扇動が行われていないという立場を一貫して取り続けている。しかし、東京の新大久保や大阪の鶴橋など日本各地で行われてきた「在日特権を許さない市民の会」などの右派系市民グループによるデモや街宣を目撃したことがある人なら、誰もが日本政府の立場は「おかしい」と思うはずだ。在日の韓国人・朝鮮人などに向けて「ゴキブリ、蛆虫」「殺せ」「叩き出せ」と叫ぶ。
書くだけでも反吐が出る文言だ。こんなことがまかり通ってしまっている国に深刻な差別扇動は行われていないと断言する政府には首をかしげざるを得ない。だからこそ、実態を調査するための根拠として法律が必要なのだ。
採決に慎重な姿勢を示す与党側。その根拠の1つとして「表現の自由」があるという。確かに、権力側の恣意的な解釈によって法規制が乱用される可能性は全くないとは言えないのかもしれない。しかし、法案では「人種等を理由とする差別」の「『人種等』とは、人種、皮膚の色、世系又は民族的若しくは種族的出身」と明確に規定している。ここまで規定しているのだから、そんな簡単に乱用されるわけがないと考えるのが普通だし、何よりも先に記したデモや街宣での言動、さらにはインターネット上を飛び交う差別的な書き込みにより苦しんでいる人は多い。筆者も“被害”に遭った人たちの話を実際に聞いてみると、日本人では想像できないほどに打撃を受けていると感じた。
● 言葉の暴力ではない これは暴力だ!
右派系市民グループに所属するある男性は、「根拠を持って我々はやっている」などと自身を正当化するが、「ゴキブリ、蛆虫」「殺せ」発言に正当性など存在するはずがない。しかも、こうしたデモや街宣をやろうと思った理由が「ストレートに感情を表現しているから」とのことで、言われる側の心情を全く考えていないので手に負えない。
この問題を長く取材し、『ネットと愛国』などの著書がある安田浩一氏は、ある集会で、「これは言葉の暴力ではない。これは暴力なんです。絶対に許してはいけない」と語気を強める。しかも、最近ではヘイトスピーチでも何でもない表現や発言をヘイトスピーチとして捉え、ヘイトスピーチの法規制が表現の自由を脅かすという誤解を生んでいる雰囲気があることに危惧を示していた。
筆者の記憶では、2013年の春ごろからヘイトスピーチという言葉を見かけるようになった。そのころからヘイトスピーチを行うデモに対し反対行動をする動きも活発化した。そして法規制を求める声が被害者や関係者だけでなく国会議員からも聞かれた。あれから2年以上が経過しているのに、相変わらず「表現の自由がどうだ」とか言って遅々として進んでいない現状に筆者は愕然としている。
当初は筆者も法規制には慎重であるべきだという考えを持っていたが、差別を扇動するデモを何度も目の当たりにするうちに、法規制は必要だと考えるようになった。2年前にも人種差別を禁止する雰囲気を醸成し、その実態を調査するために法律が必要だという意見が出ていた。しかし、いまだに同じことを訴えなければいけない人たちがいる。
審議されている法案には罰則はなく、その効果を疑問視する意見もあるが、まずは「人種差別は絶対に許してはいけない」という社会を作り出す意味で法案の速やかな成立は当然のことだと思うのだが。
2日の院内集会では、民主党、共産党、社民党などの野党議員が出席して、早期の成立に向けて頑張りたいなどと力を込めたが、与党議員の出席はなし。自民党議員の秘書が出席していたと集会の主催者は話していたが、慎重とされる与党議員こそ耳を傾けるべきではないか。
堅苦しく書いてきたが、つまりは「積極的平和主義」だかなんだかわかりにくい法案に血眼になるより、人が尊厳を保って生きていくことができる当たり前の法律を作るほうがわかりやすいと思う。それとも、戦争ができる国にするためには人間の尊厳など必要がないということなのだろうか。
人種差別を撤廃するための法案が継続審議、もしくは廃案となるような国が、「美しい国、日本」などと世界に誇ることができるはずがない。
桐生知憲 (ジャーナリスト)
『Wedge - Yahoo!ニュース』(9月9日)
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150909-00010000-wedge-asia
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