◆ N先生を分限免職にさせないため、お力をお貸しください
大阪市立U小学校N先生は、2020年3月、大阪市教育委員会により「指導が不適切な教員」として認定され、同年4月からのステップアップ研修(指導改善研修)を命じられました。現在もステップアップ研修受講中です。
この認定と研修命令は、大阪市教委が、校長の意見だけを取り上げ、職場同僚教職員の反対の声を無視して行った不当なものでした。
ステップアップ研修は、指導が不適切と認定された人が職場から離されて教育センターで受ける研修です。
4か月の研修結果を判定し、改善していないとされれば、1年を限度に延長、1年で指導改善が認められなければ分限免職とする制度です。2006年の教育基本法改悪を受けて法律で義務付けられました。
大阪市では、義務付け前の2004年から実施され、以降、2021年度末までに56人が指導不適切教員と認定され、職場に戻った人は10人、分限免職6人。
分限免職になるよりはと選んだと思われる自主退職がほとんどです。
建前は、指導を改善して職場に戻すことですが、実態を見れば、やめさせるための制度と言えます。
N先生は、ステップアップ研修最後の3期目に入ったところで精神面での不調を原因として休職し、今年3月22日から復帰して研修を継続受講しています。
復帰にあたって、私たちを含む多方面から要請を行なった結果、研修は、健康面への配慮や「指導」のあり方の改善が感じられるようになりました。
しかしながら、3月25日、「このままだと分限免職」とする「警告書」が大阪市教委からN先生に渡されました。
N先生は、4月7日、この「警告書」に対する「弁明書」を提出しています。ぜひこの「弁明書」をお読みください。
「N先生を分限免職にするな」の声をさらに広げたいと思います。そして、その声を大阪市教委に届ける方途を考えたいと思っています。お力をお貸しください。
2022年4月18日
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
2022(令和4)年3月25日付で発出された警告書に対する弁明書を提出します。
教育委員会所管の学校における指導が不適切である教員と認定され、ステップアップ研修第2期終了時点で、このままでは分限免職との警告書を渡された立場の者として、指導が不適切である教員と認定された過程、ステップアップ研修の在り方、評価の仕方について問題と感じていることを述べます。これは、私だけの問題ではない、と思っています。
大阪市立○○小学校「○○○○」前校長(以下校長)が、私を指導が不適切である教員として申請した事実、またその過程に対する異議があり、現在も認定されたこと自体を受け入れがたいです。
事の発端は、2018(平成30)年度の校内人事配置に関し、本人に何らの打診もなく説明もなく、一度も経験したことのない特別支援学級担任に配置したこと、さらに、私よりはるかに知識や経験のある方がいるにもかかわらず、主任として配置したことです。障がいに応じた児童理解や教科指導の仕方、身体介助、個別の支援計画の作成等、特別支援教育に関して分からないことだらけであることに身体的にも精神的にも疲れました。要求されることに対し、応えようにも応えられず、できない自分を責める毎日でした。
同年6月、思い余って病気休暇の取得を申し出たところ、「校長としてサポートしていくから」との話があり、申し出を撤回しました。しかし、主治医との面談、産業医との面談への付き添いはあったものの、その後、勤務状態の改善につながるような、日々の心身の安定が図られるような対応はなされませんでした。
最近になって、同年6月28日付で、私を対象者として、「支援を要する教員調査票」が提出されていたことを知りました。「指導力に関して課題を有する教員」「疾病等により指導力が発揮できない教員」の〇が打たれており、その後、私には何も告げないまま、こっそりと、資質向上推進室の指導員との間で私への対応が相談されていたのです。既にその頃から、私に対する指導力向上のはたらきかけを外部に頼っていたのかという、失望感がわき上がっています。
同年10月22日、校長より、「私は特別支援教育には明るくないので、教育センターの指導員に学校訪問をしてもらい、アドバイスを受けてみてはどうか。このことで、指導力の向上が図られるはずである」という打診がありました。担当している特別支援学級児童の理解と指導に役立つのであればと受け入れました。
しかし、それは、私に対する指導員の直接指導を受け入れさせるための虚偽説明であったことが、資質向上推進室の指導員と校長との、私に関するやり取りの記録「対応方針:新規No.267-③④」から明らかになっています。当然、その後の指導員による訪問指導は、私の悩みや困難を感じていることの解決につながるものではありませんでした。
自分自身も状況の改善がまったく感じられないまま、翌年1月、目標管理シートの期末評価の項目をすべて1として提出し、児童及び他の教職員に迷惑をかけたくないので、来年度は特別支援学級担任には配置しないでほしい旨を伝えました。また、再度同じ人事配置になった場合は、退職も考えている旨も併せて伝えました。しかし、その時、私の気持ちを慮る様子はありませんでした。
その後の同年2月7日付「対応方針:新規 No.267-⑦」では、「校園長の意向」として、「校外研修の申請をしたい」に〇が打たれています。校長として、自ら教員の指導力向上に努めようとする意思の放棄であったと感じています。
次年度2019(平成31)年4月1日、校長は、申し出を完全に無視し、何の打診もしないまま私を再度特別支援学級主任に配置しました。もうこれ以上勤務はできないと感じ、同日、退職届を提出しました。妻に説得され、退職申出を撤回しましたが、校長には、ここまで相手を追い込んでいることに対する罪悪感を覚えている様子は見えませんでした。
年度が替わっても教育センターの指導員による訪問指導が続きましたが、前年度から変わらぬ校長の姿勢への不信感、また、依然として悩みや困難を感じていることの解決にはつながらないことから、訪問指導の効果への疑問が募っていました。
心身の不調は続き、毎朝出勤を逡巡する日々が続きました。帰宅する途中、毎日のように、明日こそは休もうとの思いが浮かんでいました。しかし、休むことで他の教員の負担を増やすことになるのは申し訳ないとの気持ちから、主治医から処方された薬を服用しつつ、必死の思いで勤務していました。児童への教科指導や対応への悩みは深まるばかりでした。自分は教員には向いていないとの否定的な気持ちが強まっていくのを感じていました。
7月31日付「対応方針:新規 No.267」に、「校長は、林間指導が終わり、当該教員にステップアップ研修を受けさせることを決断した」とあります。それならそれで、この時点で、自分の方針を伝えるのが校長の義務であり責任であると考えますが、伝えることにより、私が病気休暇の取得、病気休職、さらには退職の申し出をした場合、人手不足に拍車がかかることを恐れたのか、本当のことを言うことはありませんでした。
記録によれば、10月1日に、校長室にて、15:50~16:20(30分間)、教頭同席の下、事実確認の予告を行った、とされています。「教育委員会所管の学校における指導が不適切である教員の研修に関する規則」第4条に規定された「事実確認」(指導不適切教員認定の手続きの一環としてある授業観察と面談)の予告です。私自身は日時を覚えていません。
ただこの時も、「これまでの訪問指導の延長である。あなたの指導力向上のために授業を見に来てもらう」といった趣旨の説明をされただけです。「指導が不適切である教員認定」「ステップアップ研修」などといった言葉はまったく聞かされていません。
ましてや、教育公務員特例法や教育委員会所管の学校における指導が不適切である教員の研修に関する規則の条文を示す、これまでにステップアップ研修対象者とされた教員数や分限免職者数、職場復帰者の数を示すといったこともありませんでした。これも、前記のとおり、私の病気休暇の取得等を恐れてのことなのかもしれませんが、明らかに「教育委員会所管の学校における指導が不適切である教員の研修に関する規則」に違反しています。
2020(令和2)年3月16日の「令和元年度第1回指導力向上支援・判定会議」に提出された2020年2月25日の意見書面談記録に、以下のやり取りが記録されています。
A 手続き的なこととして、10月1日には、申請書に書かれているような手続きを進めるという説明は受けていない。このことは手続き上の瑕疵にならないのか。10月1日には、このような手続きに進んでいくということの説明もされていない。条文「教育委員会所管の学校における指導が不適切である教員の研修に関する規則」を見せてもらって、自分も読むことができていれば、私も自分なりに考えることができ対応できた。初めて(観察)授業のときに「今後の進展によってはステップアップ研修に進んでいく場合もあります。」と言われた。それまでは分かっていなかった。分かっていなかったことは私の落ち度なのか。
Q 落ち度とかではなく、授業観察だけでステップアップ研修が決まるわけではない。校長からあなたに指導力面で課題があり、10月1日からの授業観察を通して指導を受けるという説明はなかったのか。
A 校長からは「私は支援のオーソリティーではないので、支援に詳しい先生に支援に来てもらって指導を受けた方がよい。」と言ってもらった。
Q 手続き上として、10月1日の授業観察の予告の際に、規則を見せなかったのは特に問題とならないと捉えている。予告の際に「教育委員会から授業観察をしてもらい支援をしてもらう。」と校長が伝え、規則の趣旨も校長が伝えているので手続き上問題はない。
大阪市教育委員会事務局が「事実確認の予告」という規則について、「教育委員会からの支援」と説明してもいいという捻じ曲げた理解をしていることは大きな問題だと思います。
同月28日の第1回授業観察の指導講評時に、当時の教育センター資質向上支援室総括指導主事から、この授業観察が、指導が不適切な教員認定につながるものであることを伝えられたときは、校長からついに見捨てられたと感じました。校長は、年度末、記憶違いがなければ修了式の日に、「規則の条文などをきちんと示してお伝えすべきだった」との謝罪の言葉を述べていましたが、とうてい許す気持ちにはなれませんでした。
全8回の授業観察が行われましたが、通常勤務と並行しての授業観察の準備と実施、振り返りレポートの作成は、普段以上に心身の疲労を体感するものでした。納得がいかないままの授業観察を何度投げ出そうかと考えたか分かりません。しかし、休んではいけない、勤務を続けねばという強迫観念に近い義務感から、不本意ながらも最終日まで授業観察を受けました。
翌年2月6日、校長が、指導が不適切である教員に係る申請書を提出しました。それに対し、申請がなされたことは承服しがたい旨を記載した意見書を提出しました。意見書には、申請されるのはおかしいとの内容が記載された、職場の同僚6名から寄せられた文書を添付しました。しかし、これらは一顧だにされず、3月16日開催の「令和元年度第1回指導力向上支援・判定会議」を経て、指導が不適切である教員に認定され、校外におけるステップアップ研修対象者とされるに至りました。「指導力向上支援・判定会議」は、会議録も作成されていない杜撰な運営がされていることを、支援をしてくれている方から聞かされました。人ひとりの人生を左右するような会議のあり方として不適切ではないかと感じています。
「研修に行かされるくらいなら退職する」と考えていましたが、妻の願いもあり、わずかな現場復帰可能性にかけてみようと翻意し、4月1日からのステップアップ研修を、期間途中での病気休暇取得、病気休職を経たものの、現在まで受講しています。これまで支援し励ましてくださった方々に感謝しつつ、どのような結果が待ち受けていようとも、必ず最後まで研修を受けきると決めています。
私の教員としての資質に関し、校長、指導員、指導力向上支援・判定会議委員の言としてしばしば挙げられている言葉として、「児童等に対する教育的愛情に欠ける」というのがあります。
大阪教育大学小学校教員養成5年課程(第2部)入学年の7月に父が他界、38歳で遺された母の収入も少なく、弟も大学進学を諦め高卒で就職するなど、家庭的・経済的事情もあり、大学卒業後は、20年間、民間で働きました。ある時、大阪市の教員採用試験受験年齢が引き上げられていること、志望者を対象に、教師養成講座が開講されることを知りました。それまでの勤務先を退職して受験勉強をし、2010(平成22)年4月、念願が叶い、43歳で、一般受験者最年長の男性採用者となりました。諦めなければ夢は実現するのだと実感することができました。
しかし、20年の月日の流れは、世の中を大きく変えていました。最初の赴任校では、正直、これが今の子どもなのかと驚きを禁じえませんでした。大学の教育実習で出会った子どもたちから受けた印象とは大きく異なっていることに戸惑いました。
また、男女の性役割観や、児童・生徒に対する対応のあり方(特に..り方)の変化になかなか合わせられずに今日に至っています。現任校での初年度、授業中に暴れていた児童を制止するために教室に入ったところ、椅子を投げつけられて非常に驚いたことがあります。大人に対する礼儀のあり方について、自分の考え方はもはや時代遅れなのかと感じることも多々あります。
しかし、他国との戦闘状態、あるいは内戦状態にはない日本、教育制度が整っており、貧困による児童労働を強いられない日本で学ぶことのできる権利を大切にしてほしい、という願いは、他の教員と変わらないと思っています。自分の命も他人の命も大切にしてほしいと願っています。
教員として出遅れた点は認めつつ、児童の幸せにつながるよう今後も働きたいと願っています。これまで、こうした思いをうまく伝えられなかったこと、表に出せなかったことが、「児童等に対する教育的愛情に欠ける」という評価につながってしまっているのだろうと思います。大変悔しく思っています。この点を必ず払拭したいと思っています。
警告書に記載されている様々な課題については、今後の研修を通じて改善していきたいと思っています。研修開始以来、ずっと心身の状態が不安定だったことを原因とさせていただきますが、自己の責任においてなすべき準備等ができなかったことについては、さらなる自覚をもって改善していきたいと思っています。ただ、研修のあり方については、要望したいことがあります。
教育センターでの研修に関しては、学習指導、生活指導、学級経営等、いずれの内容についても、「課題を与えて自力解決をさせ、事後に指導を入れる」ことばかりではなく、事前に、各課題の解決にあたっての「望ましい方策・あり方」をきちんと講義したり実演したりしてほしい、ということです。現任校で特別支援学級担任・主任として悩んだことの多くは、なすべき仕事にどう対応したらいいのか事前の知識がなかったことに由来するものでした。
「~という当該教員の課題が見受けられる」のならば、その課題解決のために必要な知識や技能を教授していただきたいです。「そのような研修ではない」ということならば、今後、そのような研修に変えていただきたいです。
在籍校研修に関して、児童理解を学ぶことや教職員との連携に取り組むことができなかったとあります。しかし、初めから決められたスケジュールの中、別室(図工準備室)を研修教室として与えられ、児童・教職員との関りを持ちづらい状況であったことは、改善していただきたいと思います。
「分限免職や依願退職に導く研修」ではなく「現場復帰を目的とする研修」であるのならばなおさらです。「教員としての資質に欠ける」と一方的にみなすのではなく、私自身「自己の資質向上のために、教員としての先輩である指導員との信頼関係の下、正しい知識を得たい、学びたい」と強く願っていることを汲み取った対応を要望するものです。
大阪市立U小学校N先生は、2020年3月、大阪市教育委員会により「指導が不適切な教員」として認定され、同年4月からのステップアップ研修(指導改善研修)を命じられました。現在もステップアップ研修受講中です。
この認定と研修命令は、大阪市教委が、校長の意見だけを取り上げ、職場同僚教職員の反対の声を無視して行った不当なものでした。
ステップアップ研修は、指導が不適切と認定された人が職場から離されて教育センターで受ける研修です。
4か月の研修結果を判定し、改善していないとされれば、1年を限度に延長、1年で指導改善が認められなければ分限免職とする制度です。2006年の教育基本法改悪を受けて法律で義務付けられました。
大阪市では、義務付け前の2004年から実施され、以降、2021年度末までに56人が指導不適切教員と認定され、職場に戻った人は10人、分限免職6人。
分限免職になるよりはと選んだと思われる自主退職がほとんどです。
建前は、指導を改善して職場に戻すことですが、実態を見れば、やめさせるための制度と言えます。
N先生は、ステップアップ研修最後の3期目に入ったところで精神面での不調を原因として休職し、今年3月22日から復帰して研修を継続受講しています。
復帰にあたって、私たちを含む多方面から要請を行なった結果、研修は、健康面への配慮や「指導」のあり方の改善が感じられるようになりました。
しかしながら、3月25日、「このままだと分限免職」とする「警告書」が大阪市教委からN先生に渡されました。
N先生は、4月7日、この「警告書」に対する「弁明書」を提出しています。ぜひこの「弁明書」をお読みください。
「N先生を分限免職にするな」の声をさらに広げたいと思います。そして、その声を大阪市教委に届ける方途を考えたいと思っています。お力をお貸しください。
2022年4月18日
「大阪市教育委員会関係審議会の適正運営を実現する会」(Nさんを職場にもどす会)
連絡先:松田(090-1138-5776)
Matsuda.f.1208@gmail.com
連絡先:松田(090-1138-5776)
Matsuda.f.1208@gmail.com
@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@@
2022(令和4)年4月7日
大阪市教育委員会 様学校名 大阪市立○○小学校
職 名 主務教諭
氏 名 ○ ○ ○ ○ 印
職 名 主務教諭
氏 名 ○ ○ ○ ○ 印
◎ 弁 明 書
2022(令和4)年3月25日付で発出された警告書に対する弁明書を提出します。
教育委員会所管の学校における指導が不適切である教員と認定され、ステップアップ研修第2期終了時点で、このままでは分限免職との警告書を渡された立場の者として、指導が不適切である教員と認定された過程、ステップアップ研修の在り方、評価の仕方について問題と感じていることを述べます。これは、私だけの問題ではない、と思っています。
大阪市立○○小学校「○○○○」前校長(以下校長)が、私を指導が不適切である教員として申請した事実、またその過程に対する異議があり、現在も認定されたこと自体を受け入れがたいです。
事の発端は、2018(平成30)年度の校内人事配置に関し、本人に何らの打診もなく説明もなく、一度も経験したことのない特別支援学級担任に配置したこと、さらに、私よりはるかに知識や経験のある方がいるにもかかわらず、主任として配置したことです。障がいに応じた児童理解や教科指導の仕方、身体介助、個別の支援計画の作成等、特別支援教育に関して分からないことだらけであることに身体的にも精神的にも疲れました。要求されることに対し、応えようにも応えられず、できない自分を責める毎日でした。
同年6月、思い余って病気休暇の取得を申し出たところ、「校長としてサポートしていくから」との話があり、申し出を撤回しました。しかし、主治医との面談、産業医との面談への付き添いはあったものの、その後、勤務状態の改善につながるような、日々の心身の安定が図られるような対応はなされませんでした。
最近になって、同年6月28日付で、私を対象者として、「支援を要する教員調査票」が提出されていたことを知りました。「指導力に関して課題を有する教員」「疾病等により指導力が発揮できない教員」の〇が打たれており、その後、私には何も告げないまま、こっそりと、資質向上推進室の指導員との間で私への対応が相談されていたのです。既にその頃から、私に対する指導力向上のはたらきかけを外部に頼っていたのかという、失望感がわき上がっています。
同年10月22日、校長より、「私は特別支援教育には明るくないので、教育センターの指導員に学校訪問をしてもらい、アドバイスを受けてみてはどうか。このことで、指導力の向上が図られるはずである」という打診がありました。担当している特別支援学級児童の理解と指導に役立つのであればと受け入れました。
しかし、それは、私に対する指導員の直接指導を受け入れさせるための虚偽説明であったことが、資質向上推進室の指導員と校長との、私に関するやり取りの記録「対応方針:新規No.267-③④」から明らかになっています。当然、その後の指導員による訪問指導は、私の悩みや困難を感じていることの解決につながるものではありませんでした。
自分自身も状況の改善がまったく感じられないまま、翌年1月、目標管理シートの期末評価の項目をすべて1として提出し、児童及び他の教職員に迷惑をかけたくないので、来年度は特別支援学級担任には配置しないでほしい旨を伝えました。また、再度同じ人事配置になった場合は、退職も考えている旨も併せて伝えました。しかし、その時、私の気持ちを慮る様子はありませんでした。
その後の同年2月7日付「対応方針:新規 No.267-⑦」では、「校園長の意向」として、「校外研修の申請をしたい」に〇が打たれています。校長として、自ら教員の指導力向上に努めようとする意思の放棄であったと感じています。
次年度2019(平成31)年4月1日、校長は、申し出を完全に無視し、何の打診もしないまま私を再度特別支援学級主任に配置しました。もうこれ以上勤務はできないと感じ、同日、退職届を提出しました。妻に説得され、退職申出を撤回しましたが、校長には、ここまで相手を追い込んでいることに対する罪悪感を覚えている様子は見えませんでした。
年度が替わっても教育センターの指導員による訪問指導が続きましたが、前年度から変わらぬ校長の姿勢への不信感、また、依然として悩みや困難を感じていることの解決にはつながらないことから、訪問指導の効果への疑問が募っていました。
心身の不調は続き、毎朝出勤を逡巡する日々が続きました。帰宅する途中、毎日のように、明日こそは休もうとの思いが浮かんでいました。しかし、休むことで他の教員の負担を増やすことになるのは申し訳ないとの気持ちから、主治医から処方された薬を服用しつつ、必死の思いで勤務していました。児童への教科指導や対応への悩みは深まるばかりでした。自分は教員には向いていないとの否定的な気持ちが強まっていくのを感じていました。
7月31日付「対応方針:新規 No.267」に、「校長は、林間指導が終わり、当該教員にステップアップ研修を受けさせることを決断した」とあります。それならそれで、この時点で、自分の方針を伝えるのが校長の義務であり責任であると考えますが、伝えることにより、私が病気休暇の取得、病気休職、さらには退職の申し出をした場合、人手不足に拍車がかかることを恐れたのか、本当のことを言うことはありませんでした。
記録によれば、10月1日に、校長室にて、15:50~16:20(30分間)、教頭同席の下、事実確認の予告を行った、とされています。「教育委員会所管の学校における指導が不適切である教員の研修に関する規則」第4条に規定された「事実確認」(指導不適切教員認定の手続きの一環としてある授業観察と面談)の予告です。私自身は日時を覚えていません。
ただこの時も、「これまでの訪問指導の延長である。あなたの指導力向上のために授業を見に来てもらう」といった趣旨の説明をされただけです。「指導が不適切である教員認定」「ステップアップ研修」などといった言葉はまったく聞かされていません。
ましてや、教育公務員特例法や教育委員会所管の学校における指導が不適切である教員の研修に関する規則の条文を示す、これまでにステップアップ研修対象者とされた教員数や分限免職者数、職場復帰者の数を示すといったこともありませんでした。これも、前記のとおり、私の病気休暇の取得等を恐れてのことなのかもしれませんが、明らかに「教育委員会所管の学校における指導が不適切である教員の研修に関する規則」に違反しています。
2020(令和2)年3月16日の「令和元年度第1回指導力向上支援・判定会議」に提出された2020年2月25日の意見書面談記録に、以下のやり取りが記録されています。
A 手続き的なこととして、10月1日には、申請書に書かれているような手続きを進めるという説明は受けていない。このことは手続き上の瑕疵にならないのか。10月1日には、このような手続きに進んでいくということの説明もされていない。条文「教育委員会所管の学校における指導が不適切である教員の研修に関する規則」を見せてもらって、自分も読むことができていれば、私も自分なりに考えることができ対応できた。初めて(観察)授業のときに「今後の進展によってはステップアップ研修に進んでいく場合もあります。」と言われた。それまでは分かっていなかった。分かっていなかったことは私の落ち度なのか。
Q 落ち度とかではなく、授業観察だけでステップアップ研修が決まるわけではない。校長からあなたに指導力面で課題があり、10月1日からの授業観察を通して指導を受けるという説明はなかったのか。
A 校長からは「私は支援のオーソリティーではないので、支援に詳しい先生に支援に来てもらって指導を受けた方がよい。」と言ってもらった。
Q 手続き上として、10月1日の授業観察の予告の際に、規則を見せなかったのは特に問題とならないと捉えている。予告の際に「教育委員会から授業観察をしてもらい支援をしてもらう。」と校長が伝え、規則の趣旨も校長が伝えているので手続き上問題はない。
以上
大阪市教育委員会事務局が「事実確認の予告」という規則について、「教育委員会からの支援」と説明してもいいという捻じ曲げた理解をしていることは大きな問題だと思います。
同月28日の第1回授業観察の指導講評時に、当時の教育センター資質向上支援室総括指導主事から、この授業観察が、指導が不適切な教員認定につながるものであることを伝えられたときは、校長からついに見捨てられたと感じました。校長は、年度末、記憶違いがなければ修了式の日に、「規則の条文などをきちんと示してお伝えすべきだった」との謝罪の言葉を述べていましたが、とうてい許す気持ちにはなれませんでした。
全8回の授業観察が行われましたが、通常勤務と並行しての授業観察の準備と実施、振り返りレポートの作成は、普段以上に心身の疲労を体感するものでした。納得がいかないままの授業観察を何度投げ出そうかと考えたか分かりません。しかし、休んではいけない、勤務を続けねばという強迫観念に近い義務感から、不本意ながらも最終日まで授業観察を受けました。
翌年2月6日、校長が、指導が不適切である教員に係る申請書を提出しました。それに対し、申請がなされたことは承服しがたい旨を記載した意見書を提出しました。意見書には、申請されるのはおかしいとの内容が記載された、職場の同僚6名から寄せられた文書を添付しました。しかし、これらは一顧だにされず、3月16日開催の「令和元年度第1回指導力向上支援・判定会議」を経て、指導が不適切である教員に認定され、校外におけるステップアップ研修対象者とされるに至りました。「指導力向上支援・判定会議」は、会議録も作成されていない杜撰な運営がされていることを、支援をしてくれている方から聞かされました。人ひとりの人生を左右するような会議のあり方として不適切ではないかと感じています。
「研修に行かされるくらいなら退職する」と考えていましたが、妻の願いもあり、わずかな現場復帰可能性にかけてみようと翻意し、4月1日からのステップアップ研修を、期間途中での病気休暇取得、病気休職を経たものの、現在まで受講しています。これまで支援し励ましてくださった方々に感謝しつつ、どのような結果が待ち受けていようとも、必ず最後まで研修を受けきると決めています。
私の教員としての資質に関し、校長、指導員、指導力向上支援・判定会議委員の言としてしばしば挙げられている言葉として、「児童等に対する教育的愛情に欠ける」というのがあります。
大阪教育大学小学校教員養成5年課程(第2部)入学年の7月に父が他界、38歳で遺された母の収入も少なく、弟も大学進学を諦め高卒で就職するなど、家庭的・経済的事情もあり、大学卒業後は、20年間、民間で働きました。ある時、大阪市の教員採用試験受験年齢が引き上げられていること、志望者を対象に、教師養成講座が開講されることを知りました。それまでの勤務先を退職して受験勉強をし、2010(平成22)年4月、念願が叶い、43歳で、一般受験者最年長の男性採用者となりました。諦めなければ夢は実現するのだと実感することができました。
しかし、20年の月日の流れは、世の中を大きく変えていました。最初の赴任校では、正直、これが今の子どもなのかと驚きを禁じえませんでした。大学の教育実習で出会った子どもたちから受けた印象とは大きく異なっていることに戸惑いました。
また、男女の性役割観や、児童・生徒に対する対応のあり方(特に..り方)の変化になかなか合わせられずに今日に至っています。現任校での初年度、授業中に暴れていた児童を制止するために教室に入ったところ、椅子を投げつけられて非常に驚いたことがあります。大人に対する礼儀のあり方について、自分の考え方はもはや時代遅れなのかと感じることも多々あります。
しかし、他国との戦闘状態、あるいは内戦状態にはない日本、教育制度が整っており、貧困による児童労働を強いられない日本で学ぶことのできる権利を大切にしてほしい、という願いは、他の教員と変わらないと思っています。自分の命も他人の命も大切にしてほしいと願っています。
教員として出遅れた点は認めつつ、児童の幸せにつながるよう今後も働きたいと願っています。これまで、こうした思いをうまく伝えられなかったこと、表に出せなかったことが、「児童等に対する教育的愛情に欠ける」という評価につながってしまっているのだろうと思います。大変悔しく思っています。この点を必ず払拭したいと思っています。
警告書に記載されている様々な課題については、今後の研修を通じて改善していきたいと思っています。研修開始以来、ずっと心身の状態が不安定だったことを原因とさせていただきますが、自己の責任においてなすべき準備等ができなかったことについては、さらなる自覚をもって改善していきたいと思っています。ただ、研修のあり方については、要望したいことがあります。
教育センターでの研修に関しては、学習指導、生活指導、学級経営等、いずれの内容についても、「課題を与えて自力解決をさせ、事後に指導を入れる」ことばかりではなく、事前に、各課題の解決にあたっての「望ましい方策・あり方」をきちんと講義したり実演したりしてほしい、ということです。現任校で特別支援学級担任・主任として悩んだことの多くは、なすべき仕事にどう対応したらいいのか事前の知識がなかったことに由来するものでした。
「~という当該教員の課題が見受けられる」のならば、その課題解決のために必要な知識や技能を教授していただきたいです。「そのような研修ではない」ということならば、今後、そのような研修に変えていただきたいです。
在籍校研修に関して、児童理解を学ぶことや教職員との連携に取り組むことができなかったとあります。しかし、初めから決められたスケジュールの中、別室(図工準備室)を研修教室として与えられ、児童・教職員との関りを持ちづらい状況であったことは、改善していただきたいと思います。
「分限免職や依願退職に導く研修」ではなく「現場復帰を目的とする研修」であるのならばなおさらです。「教員としての資質に欠ける」と一方的にみなすのではなく、私自身「自己の資質向上のために、教員としての先輩である指導員との信頼関係の下、正しい知識を得たい、学びたい」と強く願っていることを汲み取った対応を要望するものです。
以上
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます