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【僕、国歌歌わないもん】(石原慎太郎)
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東京五輪に 【国旗も国歌も必要ない】(ビートたけし)
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対米従属で「世界征服」を夢想するデマゴギー政治家安倍首相を倒そう!
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▲ 都立高校の卒業式が始まりました。ビラまきの報告です。
(3月4日)
<練馬工業高校>
8時少し前から9時55分まで、2人で撒く。 約250枚。
教職員と生徒の受け取りはあまりよくない。
自転車通学の生徒には撒けなかった。
8時過ぎに出勤してきた校長はチラシを受け取りながら「敷地内に入らないように」と言った。
8時10分頃、副校長が出てきた。
チラシを渡すと受け取り、手にしていたファイルに挟み込んだ。
副校長が一人で、校門に「平成27年度卒業式」の甲板を出す。
副校長は自転車通学の生徒に邪魔だから、端の方で撒いてと言ってきた。
8時30分頃、校長と二人で、門の前で撒くな、あっちに行ってと言ってきた。
副校長はチラシを受け取った生徒に対して「ちらかさないように」といちいち言っていた。
ちらかすとはいったいどういうことを指しているのか、生徒はそこらへんに捨てるという意味なのか。
そこらへんに捨てるのは普段、学校がなにも言わないからで、今日ばかり「ちらかさないで」と言ったってしょうがないんじゃないか。
そうでなければ、生徒への威圧だ。
11時を過ぎてから、副校長は「ビラは生徒からもらったから返す」と言ってきた。
なんたる副校長か。そういう態度は都教委向けか。その心理はどんなものか。
なんか情けなく、教育はこうして堕落していくと思った。
戦争への道はこうして掃き清められると思った。
校長は安倍首相が「任期中に憲法を改正する」という時代に、卒業生にどんな話をするのか。ききたいものだ。
保護者が一人、「これは学校が作ったものか。そうでないならいらない」と言って返してきた。
<西高>
(ここは昨年12月14日、『高校生のみなさんへのメッセージ 民主主義って何だ?これだ!』というビラをまいた際、
社会科の教員が「自分たちが政治教育をやっているからビラはまかないでくれ」と言ってきた高校です。)
「杉並1000人委員会」の仲間が2人ビラまきに協力して下さり、3人で211枚まきました。
ここは進学校で、生徒たちは(特に女子生徒)は殆ど華やかな和服姿でやってきました。
一緒にビラを撒いてくれた、かつてこの学校を卒業した方は、自分たちの時代との変わりように、「ちゃらちゃらして気分が悪かった」と言っていました。
学校側の対応は、警備の教員が3人、「交通量が多く危ないから、門から少し離れたところでまいてくれ」「静かな卒業式をやりたいから止めてくれ」などと言ってきました。
その後副校長が出てきて、「敷地に入らないで下さい。交通事故が起きないよう気を付けてください。」と言ってきました。
そこで、「この学校では政治教育が行われているようですね。」と言うと、「そうですやっています」と言うので、「この学校はリベラルな学校だと聞きました。このビラまきも政治教育です。」と答えておきました。
卒業生は「8クラス」と言うことでしたから320人前後だと思います。
進学校としては比較的ビラの受け取りはよかったと思います。
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例年、管理職たちは、「生徒にはまかないでください」と言ってきましたが、それでは、あまりにも露骨に生徒に対する言論統制が明らかになると思ったのか、今年から「18歳選挙権」になるためか、2校ともそういうことは言いませんでした。
しかし、生徒たちから政治を遠ざけようとしている姿勢は相変わらずでした。
<練馬工業>の報告には
「教育はこうして堕落していくと思った。戦争への道はこうして掃き清められると思った。校長は安倍首相が「任期中に憲法を改正する」という時代に、卒業生にどんな話をするのか。ききたいものだ。」
とありましたが、まさにその通りです。
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メール(66)(2月27日)で、
▲ 『獄中メモは問う 作文教育が罪にされた時代』
(著者:佐竹直子、道新選書、2014年12月6日第一刷・2015年9月10日第四刷)
という本を、千葉のKさんに送って頂いたことを紹介しました。
この本は、<現在の日本社会>と<私たちの生き方>を考えるうえで極めて重要な本でした。
戦時中(1940~1941年)、北海道で50人を超える教員が治安維持法違反容疑で特別高等警察(特高)に連行されました。『北海道綴方教育連盟事件』です。
筆者は2013年8月20日、当時逮捕された元教員の故松田文次郎さんが、釧路の刑務所に拘留中に書いたとみられる『獄中メモ』に約70年ぶりに出会います。
著者は「はじめに」のところで、次のように言っています。
「・・そこには、元教員たちが特高から暴力や脅しで捜査当局に都合のいい供述を強いられた上、長期の拘禁生活で心身を痛めつけられ、さらに本来は公正であるべき裁判所の予審判事にすらも、当局が描いた事件のシナリオに合うように調書を改ざんされていった過程が、生々しく記されていた。
綴方事件の経過をたどる取材を進めるにつれ、有罪判決が確定した11人はいずれも、子供たちや同僚にも慕われた熱心な教員であったことが分かってきた。教育研究や実践で高い評価を受けていた人も多い。しかし突然、教壇を追われた。釈放されてもマチで後ろ指をさされ、大半が戦後も教職には戻れなかった。」
「本書は、綴方事件発生から約70年ぶりに見つかった『獄中メモ』を手がかりに関係者を訪ね歩き、事件の背景や、事件に巻き込まれた教員たちとその家族、教え子や同僚、弁護人らの姿を追った記録である。」
また、「おわりに」では次のように述べています。
「ほぼ1年半を費やした取材は当初、難航した。・・・しかし、2013年11月に北海道新聞夕刊釧路根室版で『獄中メモは問う』と題して連載を始めてから、状況は変わった。記事掲載のタイミングが偶然、特定秘密保護法案の国会審議と重なった。特定秘密となる情報の範囲や処罰対象などに拡大解釈の余地が指摘される特定秘密保護法と、治安維持法が拡大適用された時代をダブらせ、『今こそ、この事件を掘り起こしてほしい』『あの時代に戻るな』という声が読者から多数寄せられ、取材に協力の手を差し伸べてくれる人たちが次々と現れた。
・・・協力してくれた方は北海道にとどまらず東京、埼玉、栃木、大阪、滋賀・・と全国に広がり、80人近くに及んだ。報道の仕事に携わり20年になるが、今までに体験したことのない大きなうねりに驚きながらの取材だった。」
「記事連載中の2013年12月に特定秘密保護法は成立した。2014年に入ってからは、集団的自衛権の行使を容認する憲法解釈の変更が、国民的な論議がないまま進められた。取材ノートの中にある、国を挙げて戦争へと突き進み治安維持法に国民が弾圧された時代を、まるで現代が追いかけて再現しているように思えてならなかった。」
「・・事件発生から73年を経て見つかった『獄中メモ』。そこに記された、治安維持法が猛威を振るった時代の姿を、戦争の傷痕の一として記録し、社会に発信することを、事件で人生の歯車が狂った亡き元教員たちと、取材に協力してくれた多くの方たちから私は託された、と思っている。
本書に込めたメッセージは、ここに込めた事件関係者や遺族、教え子らの言葉がすべてである。読んでくれた方一人一人がそれぞれこの事件を現代に置き換え、自分に置き換え、今をどう生きるかを考えてほしいと、強く願う。」
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千葉のKさん、このように重要な本を送ってくれて本当にありがとうございました。
この本の中には私が実際に会い、世話になった方(中井喜代之さん)も出ていました。
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「都教委包囲首都圏ネットワーク」のブログのアドレス
http://houinet.blogspot.jp/
「千葉高教組『日の丸・君が代』対策委員会」のホームページ
http://homepage3.nifty.com/hinokimi/
「ひのきみ全国ネット」のウェブサイト
http://hinokimi.web.fc2.com/
【僕、国歌歌わないもん】(石原慎太郎)
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東京五輪に 【国旗も国歌も必要ない】(ビートたけし)
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対米従属で「世界征服」を夢想するデマゴギー政治家安倍首相を倒そう!
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▲ 都立高校の卒業式が始まりました。ビラまきの報告です。
(3月4日)
<練馬工業高校>
8時少し前から9時55分まで、2人で撒く。 約250枚。
教職員と生徒の受け取りはあまりよくない。
自転車通学の生徒には撒けなかった。
8時過ぎに出勤してきた校長はチラシを受け取りながら「敷地内に入らないように」と言った。
8時10分頃、副校長が出てきた。
チラシを渡すと受け取り、手にしていたファイルに挟み込んだ。
副校長が一人で、校門に「平成27年度卒業式」の甲板を出す。
副校長は自転車通学の生徒に邪魔だから、端の方で撒いてと言ってきた。
8時30分頃、校長と二人で、門の前で撒くな、あっちに行ってと言ってきた。
副校長はチラシを受け取った生徒に対して「ちらかさないように」といちいち言っていた。
ちらかすとはいったいどういうことを指しているのか、生徒はそこらへんに捨てるという意味なのか。
そこらへんに捨てるのは普段、学校がなにも言わないからで、今日ばかり「ちらかさないで」と言ったってしょうがないんじゃないか。
そうでなければ、生徒への威圧だ。
11時を過ぎてから、副校長は「ビラは生徒からもらったから返す」と言ってきた。
なんたる副校長か。そういう態度は都教委向けか。その心理はどんなものか。
なんか情けなく、教育はこうして堕落していくと思った。
戦争への道はこうして掃き清められると思った。
校長は安倍首相が「任期中に憲法を改正する」という時代に、卒業生にどんな話をするのか。ききたいものだ。
保護者が一人、「これは学校が作ったものか。そうでないならいらない」と言って返してきた。
<西高>
(ここは昨年12月14日、『高校生のみなさんへのメッセージ 民主主義って何だ?これだ!』というビラをまいた際、
社会科の教員が「自分たちが政治教育をやっているからビラはまかないでくれ」と言ってきた高校です。)
「杉並1000人委員会」の仲間が2人ビラまきに協力して下さり、3人で211枚まきました。
ここは進学校で、生徒たちは(特に女子生徒)は殆ど華やかな和服姿でやってきました。
一緒にビラを撒いてくれた、かつてこの学校を卒業した方は、自分たちの時代との変わりように、「ちゃらちゃらして気分が悪かった」と言っていました。
学校側の対応は、警備の教員が3人、「交通量が多く危ないから、門から少し離れたところでまいてくれ」「静かな卒業式をやりたいから止めてくれ」などと言ってきました。
その後副校長が出てきて、「敷地に入らないで下さい。交通事故が起きないよう気を付けてください。」と言ってきました。
そこで、「この学校では政治教育が行われているようですね。」と言うと、「そうですやっています」と言うので、「この学校はリベラルな学校だと聞きました。このビラまきも政治教育です。」と答えておきました。
卒業生は「8クラス」と言うことでしたから320人前後だと思います。
進学校としては比較的ビラの受け取りはよかったと思います。
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例年、管理職たちは、「生徒にはまかないでください」と言ってきましたが、それでは、あまりにも露骨に生徒に対する言論統制が明らかになると思ったのか、今年から「18歳選挙権」になるためか、2校ともそういうことは言いませんでした。
しかし、生徒たちから政治を遠ざけようとしている姿勢は相変わらずでした。
<練馬工業>の報告には
「教育はこうして堕落していくと思った。戦争への道はこうして掃き清められると思った。校長は安倍首相が「任期中に憲法を改正する」という時代に、卒業生にどんな話をするのか。ききたいものだ。」
とありましたが、まさにその通りです。
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メール(66)(2月27日)で、
▲ 『獄中メモは問う 作文教育が罪にされた時代』
(著者:佐竹直子、道新選書、2014年12月6日第一刷・2015年9月10日第四刷)
という本を、千葉のKさんに送って頂いたことを紹介しました。
この本は、<現在の日本社会>と<私たちの生き方>を考えるうえで極めて重要な本でした。
戦時中(1940~1941年)、北海道で50人を超える教員が治安維持法違反容疑で特別高等警察(特高)に連行されました。『北海道綴方教育連盟事件』です。
筆者は2013年8月20日、当時逮捕された元教員の故松田文次郎さんが、釧路の刑務所に拘留中に書いたとみられる『獄中メモ』に約70年ぶりに出会います。
著者は「はじめに」のところで、次のように言っています。
「・・そこには、元教員たちが特高から暴力や脅しで捜査当局に都合のいい供述を強いられた上、長期の拘禁生活で心身を痛めつけられ、さらに本来は公正であるべき裁判所の予審判事にすらも、当局が描いた事件のシナリオに合うように調書を改ざんされていった過程が、生々しく記されていた。
綴方事件の経過をたどる取材を進めるにつれ、有罪判決が確定した11人はいずれも、子供たちや同僚にも慕われた熱心な教員であったことが分かってきた。教育研究や実践で高い評価を受けていた人も多い。しかし突然、教壇を追われた。釈放されてもマチで後ろ指をさされ、大半が戦後も教職には戻れなかった。」
「本書は、綴方事件発生から約70年ぶりに見つかった『獄中メモ』を手がかりに関係者を訪ね歩き、事件の背景や、事件に巻き込まれた教員たちとその家族、教え子や同僚、弁護人らの姿を追った記録である。」
また、「おわりに」では次のように述べています。
「ほぼ1年半を費やした取材は当初、難航した。・・・しかし、2013年11月に北海道新聞夕刊釧路根室版で『獄中メモは問う』と題して連載を始めてから、状況は変わった。記事掲載のタイミングが偶然、特定秘密保護法案の国会審議と重なった。特定秘密となる情報の範囲や処罰対象などに拡大解釈の余地が指摘される特定秘密保護法と、治安維持法が拡大適用された時代をダブらせ、『今こそ、この事件を掘り起こしてほしい』『あの時代に戻るな』という声が読者から多数寄せられ、取材に協力の手を差し伸べてくれる人たちが次々と現れた。
・・・協力してくれた方は北海道にとどまらず東京、埼玉、栃木、大阪、滋賀・・と全国に広がり、80人近くに及んだ。報道の仕事に携わり20年になるが、今までに体験したことのない大きなうねりに驚きながらの取材だった。」
「記事連載中の2013年12月に特定秘密保護法は成立した。2014年に入ってからは、集団的自衛権の行使を容認する憲法解釈の変更が、国民的な論議がないまま進められた。取材ノートの中にある、国を挙げて戦争へと突き進み治安維持法に国民が弾圧された時代を、まるで現代が追いかけて再現しているように思えてならなかった。」
「・・事件発生から73年を経て見つかった『獄中メモ』。そこに記された、治安維持法が猛威を振るった時代の姿を、戦争の傷痕の一として記録し、社会に発信することを、事件で人生の歯車が狂った亡き元教員たちと、取材に協力してくれた多くの方たちから私は託された、と思っている。
本書に込めたメッセージは、ここに込めた事件関係者や遺族、教え子らの言葉がすべてである。読んでくれた方一人一人がそれぞれこの事件を現代に置き換え、自分に置き換え、今をどう生きるかを考えてほしいと、強く願う。」
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千葉のKさん、このように重要な本を送ってくれて本当にありがとうございました。
この本の中には私が実際に会い、世話になった方(中井喜代之さん)も出ていました。
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