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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

「死刑のない社会へ」ひとくちアピール

2011年01月21日 | 平和憲法
 ▲ 「死刑のない社会へ」ひとくちアピール

 昨年12月19日(日)日比谷公会堂で開催された、死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90の集会「死刑のない社会へ」では、宮城、名古屋、京都、大阪、広島など各地域での活動、韓国、EUなど世界から日本へのメッセージ、宗教者、日弁連、国会議員などの関係団体、元死刑囚や死刑囚の家族など、19人の方から「ひとくちアピール」があった。

 死刑台から生還した免田栄さん、赤堀政夫さん、無期懲役確定から冤罪をはらした菅家利和さんのアピールは、当事者の声だけにそれぞれ迫力があった。
 そのうち、免田栄さんの「ひとくちアピール」を紹介する。
 免田栄さんは、戦後混乱期の1948年12月に熊本県人吉市で起きた殺人事件で逮捕され、死刑が確定したが6回再審請求し、1983年7月、34年6か月ぶりに釈放された。日本ではじめて死刑台から生還した方だ。もう85歳のお年だが、自分の体験を踏まえ、力強く死刑廃止をアピールした。
●免田栄さんの「ひとくちアピール」
 わたしは強盗殺人および同未遂で、熊本地裁八代支部から死刑判決を受けた。警察での取り調べは虫けら同然で、警官は「天皇陛下から拝命を受けた。お前らのような水呑み百姓といっしょにするな」といった。わたしが死刑囚になったのは占領軍の時代だった。
 わたしと福岡事件の方と2人で話し合い野球をすることにした。トンキーズ、シャープスというチームをつくり、ユニフォームまでつくった。みんなで毎日明るく運動をした。
 しかし毎朝8時半から、30分か1時間くらいが死刑囚の命を左右する時間だった。その時間は、30人ほど死刑囚がいるのに人の気配がなくなり刑務所内は静まりかえった。そして次から次へ、早ければ半年、遅くても2年くらいで死刑が執行されていった。
 そうした状況のなか、何としてもこの確定事件を勝ちのびなければと再審請求することにした。小学校しか出ていない人間が六法全書を開いて再審請求するのは容易なことではなかった。よかったのは学徒出陣で満洲に送られ、帰国して刑務所職員となった人が手助けしてくれたことだった。苦労した人だったので思いやりがあった。そして一度再審に成功した。ところが検察が証拠を隠し、証人に偽証させたので再審は取り消された。
 でも負けてはいけないと、日弁連、検察、裁判所の三者に「再審のなかに正義の柱を立ててほしい」と手紙を出した。支援してくれた人もいた。
 34年ぶりに無罪判決が出た時はうれしかった。だが残念なことに私はまだ死刑囚のままだ。というのは、普通の裁判なら有罪を取消し無罪になるのだが、再審には一審取消という条文がないのだ。
 人はそれぞれ生きる権利をもっている。自分の権利を守ると同時に、人の権利をよく理解しあい民主的な社会にすることが重要だ。正直いって天皇制は廃止し、これからの社会を築くべきだ。わたしは今年85歳になったが、死刑廃止、人権向上のため、これからの人生を努力していきたい。
              * * *

 原田正治さんは保険金目的で弟を殺害された遺族である。それなのに死刑廃止運動に加わり、2007年に被害者と加害者との出会いを考える「オーシャンの会」を設立した。加害者はすでに死刑を執行されたが、原田さんは「本当に悲しいことだ」という。
●原田正治さん(オーシャンの会)の「ひとくちアピール」
 1983年1月弟を殺された。死刑廃止に関わるようになったのは被害者の接見運動がきっかけだった。被害者はなぜ加害者と接見できないのか。被害者の権利として加害者と面会することは当然の権利だと考える。被害者と加害者が面会することにより謝罪する気持ちがわき、そして謝罪を受ける当然の権利が生じる。加害者は真のいやしを得ることができるし、被害者は心の安堵をもうけることができる。接見は非常に大事だ。
 にもかかわらず2001年12月加害者の死刑執行があった。本当に悲しいことだ。しかしこれからも接見運動と被害者の救済運動を続ける。
 裁判のあとの死刑判決で必ず「被害者感情をもってすれば極刑はやむをえない」「国民感情をもってすれば当然の結果」だという言葉が唱えられる。しかし被害者の権利どころか被害者を全部置き去りにしている。接見もできない。被害者にあやまる機会がない。そして被害者も謝罪を受ける場がどこにもない。
 そこで3年前に被害者と加害者の出会いを考える会、「オーシャンの会」をつくった。今後も被害者と加害者の出会いの場をつくり、被害者の権利や実状を訴える運動を行い、この運動を死刑廃止運動と結び付けていきたい。
          * * *

 10年くらい前、人権と報道連絡会のシンポジウムで坂上香さんから、被害者遺族と死刑囚の家族がいっしょに死刑廃止のツアーをするアメリカの「ジャーニー・オブ・ホープ」という団体のことを聞いたことがある。そのときは本当に驚いた。アメリカはいわゆる先進国のなかでは日本とただ2国だけ死刑を存置している国だ。ところが隣国の韓国でも同じような運動をしている人がいることを知った。高貞元さんはドキュメンタリー映画『赦し・その遥かなる道』の登場人物でもある。高さんは日本語でアピールした。
●高貞元(コ・ジョンウォン)さん
 2003年10月9日わたしは母と妻と子どもを殺された。わたしは生きる気力をなくし自殺を考える苦しい毎日を過ごした。しかしどうせ死ぬのなら、被害者を許してから死のうと考えるようになった。加害者自身の成長過程がとても恐ろしいものだったことを知ったからだ。
 ところが不思議なことに、許しを行ったら生きる意欲が湧いてきた。そして加害者におカネを差し入れたり手紙のやりとりをした。いまわたしは被害者家族といっしょにグループをつくってがんばっている。完全に心が癒されたわけではないががんばっている。
 死刑を執行しても被害者の気持ちは癒されない。ぜひとも世界における被害者への支援をもっと考えてほしい。
●李永雨(イ・ヨンウ)神父
 神父として13年のあいだに10人あまりの死刑囚に会った。また刑務所を出所した人に会い彼らが社会復帰し自立するためいっしょに生活してきた。そして高さんとともに、被害者のための自助努力の手助けをしてきた。こうした仕事をするうえで日本のフォーラム90のことがとても大きな力になった。死刑囚一人ひとりに対し、熱情と愛情をもちいっしょに活動してきたし、またボランティアの姿をみてとても感銘を受けている。
 矯正活動をして感じたことは、人間に対する新たな認識である。刑務所に閉じ込められた人、死刑囚も、犯罪者以前に一人の人間だった。彼らは犯罪者や殺人者である以前に傷ついた人たちだった。人生をすばらしく生きていきたいと夢をもち、もう一度機会が与えられれば人生を改めて生きていきたいと願う人たちだった。
 一方、被害者の家族と会ったときは非常に心が痛みこわかった。痛みをわかち合いながら、被害者の集まりが必要なのか切実に感じるようになった。痛みに一人で耐えるより互いに慰めあうときに本当に癒されることを確認できた。真の治療は、許しと和解だということを学んだ。
 わたしが皆さんとここに集うのは死刑廃止の目的だけではないと思う。死刑廃止を超え、人が人を殺さない、人間が人間らしく生きられる社会をつくることだと思う。一人ひとりの命が、何とも代えられない大事なものであることをいっしょに分かち合いたい。その始まりが死刑廃止である。死んで当たり前という命さえも大事にする、そういう世の中をいっしょにつくっていこう。
 李神父の通訳をしたパク・ビョンシクさんは、日本への9年の留学体験をもつ。20年前の日比谷集会のときちょうど留学中だった。パクさんから韓国の状況について話があった。
 「韓国では97年に23人の大量死刑執行があった。しかしそれ以降執行は停止され2007年「事実上の死刑廃止国」となった。日本の存置派の人は「死刑がないとこわい」と感じているかもしれない。韓国では13年間執行がなくても治安の問題はとくにない。
 国民感情では7対3で存置の人が多い。しかし興味深いことに中学生対象の調査では3対7と逆転する。13年間停止しているので、子どもたちは死刑を想像すらしないということだ。わたしは、9年4か月の留学生活で日本人の心は温かくやさしいことを実感した。みなさんの温かい心で死刑をなくそう。そして韓国で死刑のない国がつくれたら、おいしいマッコリをいっしょに飲もう」
 ひとくちアピールの最後は、死刑廃止を推進する議員連盟の村越祐民さん(民主党衆議院議員)だった。村越さんは「国会でもそろそろ政策として死刑廃止を進めていく時期にきている。2011年には裁判員法、裁判所法を議員立法で改正し、裁判員裁判では全員一致でないと死刑判決を出せないようにしたい」と述べた。そして会場から激励の大きな拍手を受けた。
☆国家による「刑罰」としての死刑をストップさせるには、中山千夏さんがおっしゃるようにたしかに政治主導をまつほかない。保坂展人氏が議員在職中、事務局長を務めた超党派の死刑廃止を推進する議員連盟がその中心となる。
 民主党政権に代わり、たしかに千葉景子法相の「裏切り」もあったが、それでも長勢甚遠や鳩山邦夫の大量執行時代と比較すれば状況は大いに好転している。このチャンスにぜひ議連のメンバーを増やし、1月末からの通常国会で「裁判員裁判では全員一致でないと死刑判決を出せない」ように法改正してほしいものだ。死刑執行は、文字どおり取り返しがつかないものなのだから。
『多面体F』より(2011年01月13日 集会報告)

http://blog.goo.ne.jp/polyhedron-f/e/5fc62ef4a8baf2e4ae5d9ca8c76671bc

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