最高裁判決に寄せて
一思想・良心の自由を認めぬ判決に憤る一
♪司法に寄せた想い
子どもたちと共に、人の心を豊かにし勇気づける音楽をしたいと音楽の教員を続けてきた私は、人の心を束ねるために歌わされる「君が代jを弾くことができませんでした。
1999年、「君が代」をピアノ伴奏せよとの職務命令、そして処分。体調を崩し、退職も考えました。しかし、子どもたちと共に楽しい音楽の授業をしたい、教育や音楽、文化を政治の具にさせてはならないとの思いは強く、憲法19条「思想・良心の自由」を問う裁判に踏み切りました。
私のように何の力もない者が何をしても無駄ではないかという想いを抱えての7年間でもありました。また、次々と処分が出される、この押しつぶされるような閉塞状況。司法に寄せた想いは強く、最高裁上告に際し、子どもの未来、この国の未来に司法は責任があり、子どもたちの未来のために、基本的人権を尊重する立場をとって欲しいと訴えました。
そして、今日の判決です。
判決が何故この時期なのでしょうか。卒業式・入学式が目前に迫ったこの時期。9・21、予防訴訟(「君が代斉唱」時に起立する義務、伴奏する義務があるかを問う裁判)で、原告の主張を全面的に受け入れ、憲法判断を示す難波判決が出されて数ヶ月。そして教育基本法が、多くの「改正」反対の声を聴くことなく、国家・政府による教育への介入を無制限に許すものへ変えられてしまったこの時期。職務命令を是認し、思想・良心の自由を認めぬ判決が出されたことに政治的意図を感じ、大きな憤りと司法への不信を隠せません。
♪思想・良心の自由という宝ものを私たちのものにしたい
職務命令、処分がなかったらこれほど深く考えなかったであろう、個人の尊厳、そして思想・良心の自由。
憲法に基づくのなら、「日の丸・君が代」は強制されるものではなく思想・良心の自由が認られるのは当然のことです。その当たり前を現実のものにすることがどんなに困難なことなのかをあらためて思っています。
この7年、「行政改革」は社会に大きなひずみをもたらし、年間3万人という自殺者を出し続ける国になってしまいました。弱い者を切り捨て、大きな格差を作り出しました。暴動など起こすことなく、そんな国でも愛し、一旦緩急あれば国のために戦える人間をつくるための「教育改革」。もの言わぬ子どもたちをつくるため、もの言う教員たちの口を、処分や異動・人事考課制度などで封じ、教育の自由を奪ってきました。私は、このような「教育改革」の動きに対し沈黙したくなかったのです。
この判決は、自由に心の表現ができる音楽を否定し、権力の道具に貶めるものであり認められません。そして、教員への「日の丸・君が代」の強制は、教育への不当な支配であり、子どもたちが個人として尊重され育つ教育の自由の侵害に繋がり「子どもの権利条約」を踏みにじるものです。また、学習指導要領の国旗国歌条項にも義務づけられていない「君が代」ピアノ伴奏の職務命令を認めることは、子どもたちに寄り添いながら教職員や保護者などで協力して創りあげていく教育活動を否定するものです。
♪これから
教育は、かつて、そして今も社会や政治のゆがみのっけを多く負わされてきました。東京の学校は、教員の自死や病気休職者の増加、パワーハラスメントの横行など惨たんたる有様です。
しかし子どもたちをはじめ、多くの方たちとの出会いが私を支え、退職することなく仕事を続けることができました。互いの手を離さず繋がれば、この困難な時代を越えていかれると信じています。
絶望してはいられません。こんな時代だからこそ子どもたちの笑顔があふれる学校を希求していきたいと思います。
2007年2月27日
上告人 福岡陽子
最高裁判決に寄せて
1999年の入学式、音楽専科の福岡さんに「君が代」のピアノ伴奏をせよ、という職務命令が出されましたが、彼女は自分の思想・信条から弾くことはできませんでした。自分の気持ちを大切にしたいというごく自然な意思表明をしたに過ぎないのに、都教委から「戒告処分」が出され、7年間にわたる彼女の苦闘が始まりました。
私たちは、都人事委員会、東京地裁、高裁で、思想信条の自由、子どもの人権、教育の良心について訴えてきました。しかし、事実さえも歪曲して認定する判決内容で、音楽や文化を政治の具にしてはならないという福岡さんの願いは踏みにじられ続けました。悔しさ、憤りの中で、考えてもいなかった最高裁の大きな壁に挑むことを選択しました。それは、学校を「逆らわず、考えず、黙って従う」場にしてはならない、という思いを新たにすることでした。
最高裁上告にあたり、憲法学者、音楽家、音楽教育に携わる方々の支援を得て意見書や署名を提出し、憲法に沿った判断が出されことに望みを繋ぎました。しかし、昨年12月、教育基本法が改悪された時、待ってましたとばかりにピアノ裁判の判決を出すのでは、と危倶しました。昨年9月の東京地裁、予防訴訟裁判全面勝訴を打ち砕くためにも、この機会を利用するのではと考えました。やはり、でした。しかも、卒・入学式を目前にしたこの時期の判決です。極めて作為的であり、政治的であると断じざるを得ません。口頭弁論を開くことなく判決を言い渡すという通知に、憤り、暗雲立ちこめる司法の現実を噛みしめました。
その一方で、福岡さんと共に歩んできた7年間のことが走馬灯のように浮かんできました。その中に、・処分が報道されるや否や、校長室に駆けつけてくださった保護者、地域の方々、裁判への提訴に躊躇する私たちの背中を押してくださった支援者の皆さんの姿があり、改めて感謝の気持ちで満たされました。皆さんに支えられたからこそ、小さな対策委員会でしたが、一歩ずつ前に進むことができました。
福岡さんの闘いは、私たち対策委員にとっても自分の学校現場での在り方が問われるものであり、多くのことを学び考えさせられました。今、子どもの人権も教師の人権も蔑ろにする攻撃は露骨極まりなく、学校現場は上意下達の管理によって、考えず従うことが当たり前になっています。最高裁の判決にひるむことなく、教育への政治支配に抗していかなければと思います。学校を「逆らわず、考えず、黙って従う」場にしてはならない、と福岡さんが訴え続けてきた言葉を胸に刻んで!
2007年2月27日 日野・「君が代」処分対策委員会
一思想・良心の自由を認めぬ判決に憤る一
♪司法に寄せた想い
子どもたちと共に、人の心を豊かにし勇気づける音楽をしたいと音楽の教員を続けてきた私は、人の心を束ねるために歌わされる「君が代jを弾くことができませんでした。
1999年、「君が代」をピアノ伴奏せよとの職務命令、そして処分。体調を崩し、退職も考えました。しかし、子どもたちと共に楽しい音楽の授業をしたい、教育や音楽、文化を政治の具にさせてはならないとの思いは強く、憲法19条「思想・良心の自由」を問う裁判に踏み切りました。
私のように何の力もない者が何をしても無駄ではないかという想いを抱えての7年間でもありました。また、次々と処分が出される、この押しつぶされるような閉塞状況。司法に寄せた想いは強く、最高裁上告に際し、子どもの未来、この国の未来に司法は責任があり、子どもたちの未来のために、基本的人権を尊重する立場をとって欲しいと訴えました。
そして、今日の判決です。
判決が何故この時期なのでしょうか。卒業式・入学式が目前に迫ったこの時期。9・21、予防訴訟(「君が代斉唱」時に起立する義務、伴奏する義務があるかを問う裁判)で、原告の主張を全面的に受け入れ、憲法判断を示す難波判決が出されて数ヶ月。そして教育基本法が、多くの「改正」反対の声を聴くことなく、国家・政府による教育への介入を無制限に許すものへ変えられてしまったこの時期。職務命令を是認し、思想・良心の自由を認めぬ判決が出されたことに政治的意図を感じ、大きな憤りと司法への不信を隠せません。
♪思想・良心の自由という宝ものを私たちのものにしたい
職務命令、処分がなかったらこれほど深く考えなかったであろう、個人の尊厳、そして思想・良心の自由。
憲法に基づくのなら、「日の丸・君が代」は強制されるものではなく思想・良心の自由が認られるのは当然のことです。その当たり前を現実のものにすることがどんなに困難なことなのかをあらためて思っています。
この7年、「行政改革」は社会に大きなひずみをもたらし、年間3万人という自殺者を出し続ける国になってしまいました。弱い者を切り捨て、大きな格差を作り出しました。暴動など起こすことなく、そんな国でも愛し、一旦緩急あれば国のために戦える人間をつくるための「教育改革」。もの言わぬ子どもたちをつくるため、もの言う教員たちの口を、処分や異動・人事考課制度などで封じ、教育の自由を奪ってきました。私は、このような「教育改革」の動きに対し沈黙したくなかったのです。
この判決は、自由に心の表現ができる音楽を否定し、権力の道具に貶めるものであり認められません。そして、教員への「日の丸・君が代」の強制は、教育への不当な支配であり、子どもたちが個人として尊重され育つ教育の自由の侵害に繋がり「子どもの権利条約」を踏みにじるものです。また、学習指導要領の国旗国歌条項にも義務づけられていない「君が代」ピアノ伴奏の職務命令を認めることは、子どもたちに寄り添いながら教職員や保護者などで協力して創りあげていく教育活動を否定するものです。
♪これから
教育は、かつて、そして今も社会や政治のゆがみのっけを多く負わされてきました。東京の学校は、教員の自死や病気休職者の増加、パワーハラスメントの横行など惨たんたる有様です。
しかし子どもたちをはじめ、多くの方たちとの出会いが私を支え、退職することなく仕事を続けることができました。互いの手を離さず繋がれば、この困難な時代を越えていかれると信じています。
絶望してはいられません。こんな時代だからこそ子どもたちの笑顔があふれる学校を希求していきたいと思います。
2007年2月27日
上告人 福岡陽子
最高裁判決に寄せて
1999年の入学式、音楽専科の福岡さんに「君が代」のピアノ伴奏をせよ、という職務命令が出されましたが、彼女は自分の思想・信条から弾くことはできませんでした。自分の気持ちを大切にしたいというごく自然な意思表明をしたに過ぎないのに、都教委から「戒告処分」が出され、7年間にわたる彼女の苦闘が始まりました。
私たちは、都人事委員会、東京地裁、高裁で、思想信条の自由、子どもの人権、教育の良心について訴えてきました。しかし、事実さえも歪曲して認定する判決内容で、音楽や文化を政治の具にしてはならないという福岡さんの願いは踏みにじられ続けました。悔しさ、憤りの中で、考えてもいなかった最高裁の大きな壁に挑むことを選択しました。それは、学校を「逆らわず、考えず、黙って従う」場にしてはならない、という思いを新たにすることでした。
最高裁上告にあたり、憲法学者、音楽家、音楽教育に携わる方々の支援を得て意見書や署名を提出し、憲法に沿った判断が出されことに望みを繋ぎました。しかし、昨年12月、教育基本法が改悪された時、待ってましたとばかりにピアノ裁判の判決を出すのでは、と危倶しました。昨年9月の東京地裁、予防訴訟裁判全面勝訴を打ち砕くためにも、この機会を利用するのではと考えました。やはり、でした。しかも、卒・入学式を目前にしたこの時期の判決です。極めて作為的であり、政治的であると断じざるを得ません。口頭弁論を開くことなく判決を言い渡すという通知に、憤り、暗雲立ちこめる司法の現実を噛みしめました。
その一方で、福岡さんと共に歩んできた7年間のことが走馬灯のように浮かんできました。その中に、・処分が報道されるや否や、校長室に駆けつけてくださった保護者、地域の方々、裁判への提訴に躊躇する私たちの背中を押してくださった支援者の皆さんの姿があり、改めて感謝の気持ちで満たされました。皆さんに支えられたからこそ、小さな対策委員会でしたが、一歩ずつ前に進むことができました。
福岡さんの闘いは、私たち対策委員にとっても自分の学校現場での在り方が問われるものであり、多くのことを学び考えさせられました。今、子どもの人権も教師の人権も蔑ろにする攻撃は露骨極まりなく、学校現場は上意下達の管理によって、考えず従うことが当たり前になっています。最高裁の判決にひるむことなく、教育への政治支配に抗していかなければと思います。学校を「逆らわず、考えず、黙って従う」場にしてはならない、と福岡さんが訴え続けてきた言葉を胸に刻んで!
2007年2月27日 日野・「君が代」処分対策委員会
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