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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

再発防止研修差し止め裁判

2005年07月17日 | 日の丸・君が代関連ニュース
澤藤弁護士の事務局長日記より二題。

  澤藤統一郎弁護士の日記です。

2005年07月13日(水)
服務事故再発防止研修命令に執行停止申立


昨年に引き続き今年も、都教委は「日の丸・君が代」強制に抵抗した教員を懲戒処分としただけでなく、被処分者全員を対象に服務事故再発防止命令を発している。戒告処分を受けたものには「集合研修」だけ。減給処分以上の者には「専門研修」が加わる。

服務事故再発防止研修とは、セクハラや交通事故などの「非行」あった者に対して、反省を促し、事故の再発を予防しようという制度。しかし、君が代不起立で処分を受けた教員のほとんどが、処分を不当として法的な手続きで争っている。この人たちに、何をどう反省しようというのか。

歴史観、教育観、政治信条から君が代強制には従えないという人に対しては、思想的な転向を迫るに等しい。信仰上の理由から君が代に敬意を表することはできないという人には、改宗を迫るものではないか。本当の目的は、信念を貫くものへの嫌がらせである。分断し孤立させていじめようという、陰湿で卑劣な多重処分。研修命令処分取消の本案訴訟を提起するとともに、執行停止を申し立てた。予定された研修の日程は7月21日である。この日までに、決定を出してもらわねば間に合わない。

ここまでは昨年と同様の事態。昨年と異なることがいくつかある。
まず、新行政訴訟法が今年の4月1日から施行となった。執行停止の要件が緩和されている。執行停止の要件緩和は、行政訴訟制度の活用の増大を趣旨とするもの。まさしく、本件のごとき事案のために法改正が行われたと解される。

昨年の執行停止は、「思想良心の自由に抵触する、内心に踏み込んだ研修が行われれば違憲違法の可能性を払拭し得ないが、まだどのような研修が行われるか、具体的には明らかではない」として却下された。この理由に裁判官の良心を感じるものではあるが、「現実に思想良心を踏みにじられるまで争えない」ということでは、執行停止制度の趣旨に悖るものと言わざるを得ない。
今年は、去年と違って、昨年の研修の実態を主張できる。昨年、現実にこんな不当な研修が行われた。今年も繰り返される。これを前提に差し止めを、と申し立てている。

さらに、昨年に比較して減給や停職の被処分者が大幅に増えた。不当性の高い専門研修命令の対象者が増えているということだ。

訴訟は、民事11部、19部、36部の労働専門部3か部に分かれて係属し、執行停止もこの3か部に申立となった。昨日から本日にかけて、申立人代理人の裁判官面会が行われている。

昨年は、研修強行に対する抗議行動と執行停止申立が、「日の丸・君が代」強制反対運動全体の雰囲気を大きく昂揚させる実績を作った。本年も、ぜひそうしたい。今週中には、よい決定があるだろうと心待ちしている。


2005年07月15日(金)
今年も、再発防止研修に裁判所の枷
  

数えてみれば、弁護士生活は35年目である。この間、勝ったり負けたり、一喜一憂を繰り返してきた。常に自分の側に正義があると思い、自分が勝つべきだと思い続けてきた。が、なかなか思う通りにはならない。

この国の立法府は到底まともとは言えない。私は常に政治的少数派であり、多数派の横暴に切歯扼腕せざるを得ない。行政府も同じ。歴史の進歩に逆行しているといわざるを得ない。だから、せめては司法がまともであって欲しい。法の理念というものが厳正に実現される場であって欲しい。多数派の思惑に左右されることなく、人権を擁護する裁判のできるところであって欲しい。憲法が、絵に描いた餅としてではなく、現実に機能するシステムであって欲しい。

社会の強者やマジョリティは立法府を動かす。行政はマジョリティに奉仕する。司法に期待するのは弱者であり、マイノリティである。たった一人の絶対的少数派のためにこそ司法は存在する。そもそも、司法とはそのような場であり、法曹とはそのような感覚を持つ集団である。‥はずなのだ。

そう思って弁護士となり、そう思いつつ35年を過ごしてきた。が、現実はあまりにも厳しい。「行政追随のこんな裁判所なら、そんなものは要らん」と言いたくなることがしばしば。今日もそんな日。人間、多忙で疲れるよりは、仕事がうまく行かないときに疲れる。ああ、疲れがたまる。

石原都政下の異常な教育行政。「日の丸・君が代」強制への抵抗者に、さらに嫌がらせを重ねて抵抗運動を潰そうというのが、服務事故再発防止研修命令。不起立・不斉唱・君が代伴奏拒否などを理由に処分を受けた教員を対象として、反省させ、再教育し、再発防止をはかるという。こちらに権力あれば、知事や教育長にこそ、たっぷりと憲法教育を受けさせたいところだが、現実はままならない。

30人の都内の教員が申し立てた執行停止申立が事件数として6件、地裁民事11,19,36部の労働専門部に分散して係属し、本日決定が出た。結果は全部却下である。溜息も出ようというもの。こんな、反憲法的な無茶苦茶をやろうとすることが、どうして裁判所によって止められないのか。裁判所は、石原教育行政暴走の消極的共犯者ではないかと言いたくもなる。

とは言うものの、現在の裁判所が裁判官の良心のままに思い切った判断のできる状態にないことについての覚悟はある。そのような醒めた目で、主文ではなく、理由をよく見れば、まずまずの判断も見えてくる。たとえば、相手方の主張を否定する次の一節。

相手方は、「本件懲戒処分が合憲適法である以上、本件研修を命ずることに違憲違法はない」「そもそも本件研修は、申立人の思想・信条という内心の領域に立ち入るものでもなく、不利益を与えるものでもないから処分性がない」と言う。しかし、都議会における教育長答弁、「専門研修」の状況を考慮すると、「申立人の主張が、現時点において、本案事件の審理を経る必要もないほどに理由がないと断じることはできない。」

さらに、研修内容に警告を発する次の一節。
「確かに、本件研修が,単に職務命令に違反した教職員に対し,その再発防止を目的として指導を行うというにとどまらず,研修の意義,目的,内容等を理解し,職務命令に従う義務があること自体は認めつつ,自己の思想,信条に反することはできないと表明する者に対して,なおも職務命令や研修自体について,その見解を表明させ,自己の非を認めさせようとするなど,その内心の自由に踏み込み,著しい精神的苦痛を与える程度に至るものであるならば,これは,教職員の水準の維持向上のために実施される研修の本質を逸脱するものとして,教職員の権利を不当に侵害するものと判断される余地はある。」

昨年の地裁民事19部「須藤決定」は、都教委の暴走に大きな歯止めとなった。彼らは、結局やりたい研修をやれなかった。反対に反対運動の士気が大いに上がった。

私の要求レベルからは、却下決定には承服しかねる。しかし、どの決定も、教委側になんのポイントも与えてはいない。却下になったのは、すべて形式的な要件を欠くというに留まる。まだどのような研修が行われるか必ずしも明らかではなく、差し止めしなければ回復できないような損害が切迫しているとまでは言えない、というのだ。ニュアンスとしては、「研修は違憲・違法としても‥、差し止めなければならないほどひどいことが行われることがまだはっきりしていない」というのが、却下の理由。

石原教育行政は裁判所によって差し止め命令こそ受けなかったものの、またまた大きな枷をはめられた。教員の内心に立ち入る研修をしてはいけない。執拗に、繰りかえし、不起立の理由を問い質してもいけない。そのような研修は、違憲違法なのだ。心せよ、教育委員諸君。教委の職員諸君。そして、知事よ、教育長よ。

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