(写真=福島地裁前に集まった原告・支援者)
☆ 改めて知った原発事故の被害の広さ、深さ
ALPS処理汚染水差止訴訟第3回公判が10月1日、福島地裁(小川理佳裁判長)で行われ、42席の傍聴席を求めて80人が列を作った。
この日は原告2人が意見陳述した。この訴訟の事務局も務めるいわき市の丹治杉江さんは「海のない群馬で生まれ育った私にとって、海は憧れだった。25年前にいわきに嫁いでから、海は生活環境そのもので、汚染水の海洋投棄によって世界中からここが汚れた海と言われないか心配。海洋投棄が始まってから、地元の魚であるメヒカリなどを食べない生活を送っている。国際的な線量限度の20倍に当たる20mSvの被ばくをさせられている私たちに、さらに汚染水の海洋投棄という「二重の加害行為」をすることは許されない」と国・東京電力の犯罪性を訴えた。
また、汚染水海洋放出に当たって、東電が「地元漁業者の理解なしには行わない」と文書で約束した件について、丹治さんは「理解とは同意を得ることだったはず。また、同意を得る対象がなぜ漁民だけなのか。消費者に同意は得ないのか」と、漁業者が同意しないままの放出や、漁民以外の意見を聴かない放出のあり方に疑問を投げかけた。
「マスコミを動員して、汚染水を放出しても基準を下回っているので安全というキャンペーンが繰り広げられているが、現在行われていることは核ゴミの投棄に変わりなく、こうした姿勢は民主主義を危うくする」として、危険な汚染水放出を安全と言い張る国・東電・メディアを批判。「原発事故で背負った課題を、さらに重くするようなことは避けたい。海洋投棄を許してしまったまま福島の真の復興はない」と、直ちに放出を停止するよう求めた。
いわき市で、菓子職人としてみずからの作った菓子を販売してきた長岡裕子さんは「小中高と競泳選手で、海水浴を楽しんできた。『常磐もの』と呼ばれる地元産の海産物を食べることも好きだ。事故後しばらくは常磐ものを避けていたが、時間が経過し、再び地元産の海産物を食べるようになってきたところだった。海は私にとってアイデンティティだったが、汚染水放出後は海を見るたびに心が沈むようになった。常磐ものの海産物を食べることも再び避け、千葉、西日本、北海道産などを探すようになった」と怒りを表明。「政府・東電への不信感は強まった」。
長岡さんは、いわきで取れた塩を原料として菓子を作り、店で販売してきたが、原発事故が起きてから、いわき沖で取れた海水から塩を製造していた業者が廃業し、みずからも菓子製造をやめざるを得なくなった。「地元産の塩を使うことが誇りだったのに、仕事をやめることになり、菓子職人としての誇りを失った。同業者も廃業し、復活の見込みはない」と述べた。福島で汚染水放出の話をすると「風評加害者」とやり玉に挙げられ、不安を口にできないことも息苦しいという。自分の思いを表に出せなかった長岡さんが、率直な思いを吐露した場面だった。改めて、原発事故はこんなところにまで影響を与えるのかと、その被害の広さ、深さに憤りを覚えた。
その後は原告代理人弁護士による意見陳述に移った。過去の公判で、汚染水の海洋放出を「許可」した国(原子力規制庁)は「国民ひとりひとりの個人的健康は法による保護を受けるべき一般的公益に当たらない」とする詭弁を弄してきた。こうしたすり替え、ごまかしだらけの国側主張に対して、私は「一般市民の健康を守ることが一般的公益に含まれないというなら、国が主張する一般的公益のひとつとしての「環境保護」とはそもそも何なのか。私たちの健康を守ることを抜きにして実現する「環境保護」に環境保護たる意味があるのか。疑問しかない」と批判している(「ALPS処理汚染水差し止め訴訟、第1回口頭弁論~平気で約束を破る東電に漁業者、市民は怒り 国側「反論」は支離滅裂」2024年3月17日付記事、http://www.labornetjp.org/news/2024/1710636314704staff01)。
今回の公判で、多くの原告、傍聴人から「難しくてよくわからない」という声が上がったのが、海洋放出の「処分性」をめぐる議論だった。法律用語、行政用語としての「処分」とは、国民の基本的人権に何らかの変動を生じさせるような行政機関(国・自治体など)の判断や行動を指す。企業が経済活動を継続できなくなるような不利益処分(許可取消など)はもちろん、自動車運転免許の交付(法による禁止の解除)のように、国民にとって利益となるような行政機関の判断・行動も処分という用語に含まれる。
ALPS処理汚染水差止訴訟では、国側は「原告側が発生したと主張している被害は具体性がなく、被害が発生したとはいえないので、放出認可は「処分」に該当せず、原告がその取り消しを求めることはできない」と主張し、原告適格を認めることなく原告側の訴えを却下するよう求めている。要するに「汚染水海洋放出によって、国・東電は国民の基本的人権を何ら侵害していないので、訴えの利益がない」と主張しているのだ。
こうした国・東電側の不当な主張を崩すには、汚染水海洋放出の認可が「処分」に当たることを証明する必要がある。そのためには汚染水海洋放出で原告の基本的人権が侵害されていることを証明しなければならない。
原告代理人は原告が汚染水海洋放出によって受けた被害を具体化する立証を行った。
① 汚染水が放出された海域の海産物を食べることで発生する可能性がある生命・身体の危険、
② 海との接触を制限されることで原告が受ける「精神的被害」(地元住民)や「福島やその周辺海域の海産物を選択する権利の侵害」(消費者)に加え、
③ 海産物が売れなくなることによる損害(漁業権侵害)
--の主に3点を、汚染水海洋放出によって原告が受けた「具体的被害」として立証し、国側主張に反論した。
このうち②については、昨年11月の第1回公判後、弁護団が原告に対して行ったアンケート調査を参考にした。海水浴や釣り、その他の海のレジャーに行く回数、地元産海産物を食べる回数などが、原発事故後、また汚染水海洋放出後にどのように変化したかを聞くもので、私も回答している。こうした海のレジャーや、海の景観を楽しむことを「平穏生活権」(人格権の一類型)と位置付けた上で、それができなくなったことを基本的人権の侵害と捉え、国の汚染水海洋放出「認可」によってこれらの被害が新たに生じた以上、その認可は「処分」に当たる、という原告代理人の主張はよく理解できる。形に表せるものや、数字で算出できるものしか「具体的被害」と認めないという国側の主張は、現実にこの間、原発事故をめぐって「精神的苦痛」に対する賠償が行われてきたという事実に照らしても不当なものである。
また①に関しては、「将来の被害発生の恐れだけでは具体的な基本的人権の侵害とは言えない」と国側が主張してくることを見越して、原告代理人はロンドン条約(1996年議定書)を根拠としている。同議定書は、「締約国は、……海洋環境に持ち込まれた廃棄物その他の物とその影響との間の因果関係を証明する決定的な証拠が存在しない場合であっても、当該廃棄物その他の物が害をもたらすおそれがあると信ずるに足りる理由があるときは、適当な防止措置をとるものとする」(第3条1項)として、条約加盟国政府に「予防措置」の義務を課している。また、結論としては原告敗訴だったもんじゅ差し止め訴訟の最高裁判決でも、国民の生命・身体の保護を原子炉等規制法の対象とする判示が行われている、とも主張した。これらの主張をした上で、原告側代理人は、漁業者以外にも「原告適格がある」とした。
公判後の報告集会では、この裁判のために実施したクラウドファンディングが、目標の1000万円を超える金額を集め成功したことが報告された。次回、第4回公判は2025年1月21日、第5回公判は2025年6月17日に行われる。
取材・写真・文責/黒鉄好(ALPS処理汚染水差止訴訟原告)
『レイバーネット日本』(2024-10-05)
http://www.labornetjp.org/news/2024/1001osensui
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