パワー・トゥ・ザ・ピープル!!アーカイブ

東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

憲法の伝道師(2)

2007年03月17日 | 増田の部屋
 模擬!?「紙上討論」 (続き)

⑨ 憲法が「いったい何なのか」なんて問いただすことは、ほとんどなかったけれど、増田先生の授業を受けてみると、自分の中では眠っていた潜在的に今まで習っていた言葉の本当の意味が、少し意識化されました。憲法が「最高法規」というのは習った記憶がありましたが、今、改めて授業を受けてみると、今、世の中には「憲法違反」となっていることがいかに多いか、と思いました。また、自分を含めてほとんどの人が、これに何の疑問も持たずに、毎日過ごしているんだなあ、と・・・
 前文には三つのエッセンスが込められていて、こんな素晴らしいことが、なぜ、もっと流布していかないのか疑問です。でも、最初の部分の英文「We, the Japanese people」が日本語に訳されるときに「日本国民(日本国籍を持つもの)」となって「日本人民(日本に住む全ての人々)」とならなかったのは、やはり、引っかかります。こうも、他から優位に立たなければ気がすまないのか? と・・・
 また、大日本帝国憲法から日本国憲法に変わっても、人間の心の中には、まだまだ大日本帝国憲法が大部分を占めているのだなあ、とも感じさせられました(両方の憲法を並べると、構成が、ほとんど似た形式になっている、というのも納得)。いかに人間は慣れていたものから、新しいものを受け入れるのが、難しいのか、ということも感じます。あとは、マスコミの責任も関係してくるんだ、と思いました。いろいろなものがセットになって、人々の心の中を操作し、形成していくんだなあ、と・・・

増田から
 最後の「いかに人間は慣れていたものから、新しいものを受け入れるのが、難しいのか」という点ですが、一般的に「人間誰しもそうだ」ということのほかに、その性質を利用した戦後日本政府&天皇により、教育及びマスコミとタイアップして、「大日本帝国憲法と日本国憲法は、そう大きく違わないのだ!(特に「天皇」は!?)」と、「日本国民」を洗脳し続けてきたことが大きいと、私は思います。
 そうならないためにこそ、47年教育基本法は、その前文において「われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。」と規定され、公立私立を問わず、教科を問わず、全ての教員は、その教育活動の全てにおいて「憲法教育=主権者教育をする」責務を持っていたのです。でも、遺憾ながら、その責務を自覚しながら教育活動を行ってきた教員は、そう多くはない事実がある、とも私は思っています。


⑩ 私自身、憲法も、これから書きますことも完全に消化していないのですけれど、「日本国憲法第9条を世界遺産にする」という考えを、とても良いと思います。憲法と少し離れるかもしれませんが、子どもを育てるということ、学校でも自然の摂理に従って育てることが大切なことと思います。教育は公立は無く(ママ)、宗教教育が基本であるべき、と思います。生まれてから死ぬまで、人間とはどういうものかを学び、「野獣」の人から、「神」の人に変わっていく、そのことが平和につながると思います。どう思われますか?
 憲法を変える動きがありますが、戦争放棄は絶対に変えてはいけないと思います。日本を世界の中で、本当に戦争をしない国にしたいです。福祉国家を望みます。

増田から
「教育は公立は無く(ママ)」というところ、ちょっと意味を掴みかねるのですが、日本で「宗教教育」というと、「天皇教=国家神道」ということであるという点を、看過してはいけないと思います。「民主主義国家においては、公立学校では宗教教育はできない」ということを前提としていらっしゃるような感じですが、私立学校では、お金がかかりすぎますから、「公立学校をなくすべし」という主張でしたら、暴論に過ぎると思います。
 私は無宗教ですが・・・実家が浄土真宗でしたので、真宗に親近感があります。特に親鸞聖人の「王を拝まず」に共感しています・・・深い信仰者の、謙虚さ、無私の社会奉仕、他者のために己の命を投げ出すことも実行できること(アウシュビッツのコルベ神父など)に対して、心からの敬意を覚えますが、公立学校では、三大宗教(仏教、キリスト教、イスラム教)の基礎知識(創始者や、その教義の中心)を教えながら、異なる宗教(無宗教も含め)に対する寛容さを教えることが大切だと考えます。

 「人間とはどういうものかを学び」ということは、とても重要で、お考えに賛成です。憲法及び47年教育基本法に則って、歴史と社会の真実を、きちんと教師が教え切れれば、それを、生徒たちは、おのずと学んでいき、『「神」の人』までは至らなくとも、『「野獣」の人』段階を脱することはでき、『平和を作り出していける人』になる努力をできるようになる、と私は、これまでの教え子たちのことを考えると、かなりの自信があります。
 でも、他の人たちの意見を聞いて見ましょうね!


⑪憲法の本質が、よくわかりました。前文を三段に分けて、それぞれのテーマを抜き出すことで、前文がくっきりと立ち上がってくるように感じました。日本国憲法前文って、素敵だな! 前文を暗誦するのも楽しそう。松元ヒロみたいに、思いを込めて朗誦できるようになってみよう! 私は、お話(昔話等)を覚えて語ることがあるので、つくづく感じていることですが、覚えることにより、文の読みが格段に深まっていきます。

前文を暗誦する、というのは素晴らしい主権者教育だと思います。たった1時間の授業を通じても、増田先生が主権者を育てようとしてきた、ということが、よく理解できました。主権者の自覚を持つことは、自信にもつながるし、学びへの意欲にもつながるし、すごく大切なことだと思います。でも、私たちも十分な主権者教育を受けてはこなかったのです。それが私たちの弱さになっていると思いました。そして憲法を愛する主権者を育てようとしたからこそ、増田先生がクビにされた、ということも、よくよく納得できました。

午前中の映画上映会(戦地出張)の中で、石破防衛庁長官が「基本的人権は大事だけれども、国が保障しているからこそ、人権・自由を享受できるんだから、その国が危機にあるときには人権が制限されることもやむをえない」と言っていました。「保障する?」「国が?」すごく、ムッとして、いやな感じ! この嘘をあばけるよう、勉強したいです。

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