◆ 安倍政権によって教育行政はどうなる
-教育長は首長の指揮命令監督に服することに-
◆ 教育行政における責任体制の確立というが
自由民主党の教育再生実行本部が2012年11月21日公表した「中間取りまとめ」には、同本部に設置された5つの分科会のまとめとして「平成の学制大改革」、「「いじめ防止対策法』の制定」、「日本の伝統文化に誇りを持てる教科書を」、「大学ビッグバン~知と価値の創造~」、「教育行政における責任体制の確立」が記載されている。
さらに、最後の「教育行政における責任体制の確立」は次の4つから構成されている。
①教育行政の責任体制確立と、意思決定システム改革(地方教育行政法改正)
②適切な教育内容を確保するための改革(学校教育法改正)
③教員の質を確保するための改革(教育公務員特例法改正)
④教員の適性を厳格に判断する改革(教員免許法改正)
これはどこかで見たようなリストではないか。
そう、①②④は2007年にも大規模に「改正」された法律だ。
これらは2006年12月の教育基本法「改正」に連動して「改正」されものであり、新教育基本法下での教育支配の実現を目指したものだ。あの「改正」からせいぜい5年。安倍政権は2007年の法改正でもまだ不十分だったというのか。
◆ 教育委員会制度をどうしようというのか
地方教育行政法改正に注目して、教育再生実行本部が教育委員会制度をどうしようとしているか見てみよう。
①教育長は首長が任命することとし、教育行政の責任者とする。
②教育委員会を教育長の諮問機関とする。
③文科大臣の是正指示権を強化する。
「教育行政の責任体制確立と、意思決定システム改革」のためと言うが、この狙いはどこにあるのか。
◆ 首長直結の教育行政システム確立をねらう
「教育行政の責任体制確立」とは、首長の意を受けて行動する教育長による教育行政を指すようだ。しかし、教育委員会は教育長の諮問機関とされ、教育行政の意思決定システムから排除される。
教育委員会を通じて父母住民の教育意思の実現に基づく教育行政を確立することではなく、首長直結の教育行政システムこそ「責任体制確立」だと言うのだ。この「責任」は誰の誰に対する責任を言うのだろう。
「意思決定システム改革」とは、首長任命の独任制教育長が当該地方公共団体における教育行政の意思決定機関となることを意味する。
地方教育行政を合議制独立行政委員会である教育委員会に委ねた背景には、教育・教育行政の政治的・宗教的中立確保という要請があったはずだが、首長任命の独任制教育長制度ではそれがどう担保されるのか。
さらに、教育委員会の諮問機関化はこれまで以上に教育委員会にサロン化の道を歩ませることにほかならない。
となれば、早晩「教育委員会は諮問機関としての役割を果たしていないから、設置する意味はない」という主張が登場することは必定だ。
現在、教育委員会権限の大半は教育長に委任されており、教育委員会は地域名望家のサロン化しているから、上記のような法改正によっても現状は大きく変わるものではないという見方もあるだろう。
確かに、教育委員会制度の実態がそのようなものであることは否定しないが、現実に影響を与えない法改正では意味がない。むしろ、こういった現状に問題があるのだから、現実を改革するための法改正が必要なのだ。
ただし、その法改正は、あらゆる意昧で教育再生実行本部の提案するようなものではない。
◆ 教育再生会議と教育再生実行本部「中間取りまとめ」はほとんど同じ
安倍首相は内閣府に教育再生実行会議を設置し、自分自身の考えに近い人々を委員に任命した。
内閣府のウェブサイトに同会議のページがあり、議事録や当日配布資料が公開されている。これを調べてみると、同会議での発言内容は自民党の教育再生実行本部の「中間取りまとめ」とほとんど変わらない。
教育再生実行本部と教育再生実行会議、よく似た名称の組織が与党と政府に置かれているが、これでは二つ置く意味は見いだしがたい。違いと言えば、ときおり、文科省の意向を代弁する発言が見られる程度だろう。
同じような意見を言う人が集まって審議を重ねても、同じことが繰り返されるだけだ。実りある審議のためには、他と異なる意見を言う人を加える必要があり、それによって議論は活性化するのだが、それとはかけ離れた審議が繰り返されている。
「責任ある教育行政の体制」を確立すると言うにしては、いかにも責任感の感じられないやり方で突き進もうとしていることに危惧を感じる。
◆ 教育行政の独立性は吹き飛ぶ
この教育委員会制度改革の狙いはどこにあるのだろう。
地方教育行政の責任者として独任制教育長を首長が任命することになれば、教育長は役所の他の部長たちと同じように首長の部下として位置づけられ、首長の指揮命令監督に服することとなるだろう。
そうなれば、もはや教育行政の独立性は吹き飛んでしまう。
教育委員会を教育長の諮問機関にするというが、諮問機関には一般国民・住民の声を反映させるとともに、専門的見識を行政に生かすという意味もある。
しかし、首長の部下となった教育長には、首長の意向に反してでも、諮問機関の審議結果を重視することができるだろうか。
◆ 教育委員が非常勤であるからこそできることもある
犬山市の教育委員を務めていたとき、市長が幼稚園の授業料値上げについて教育委員会に意見を求めたことがあった。
事務局はもちろん、おそらく教育長も、教育委員会の会議では市長の提案が当然受け入れられるものと考えていた。
しかし、一人の教育委員の発言をきっかけに値上げは認められないという意見が多数を占めることとなり、最終的には5人全員の意見として市長案に反対することを決議した。
このとき、教育委員は市民の立場に立って立派にその職責を果たしたと思うが、それは教育委員が非常勤であるからこそできたことで、独任制教育長にはこんなことはできまい。
非常勤の教育委員は無責任だという意見を述べる論者が多いが、果たしてそれは事実に基づく議論なのだろうか。
『「子どもと教科書全国ネット21ニュース』89号(2013.4)
-教育長は首長の指揮命令監督に服することに-
中嶋哲彦 名古屋大学教授
◆ 教育行政における責任体制の確立というが
自由民主党の教育再生実行本部が2012年11月21日公表した「中間取りまとめ」には、同本部に設置された5つの分科会のまとめとして「平成の学制大改革」、「「いじめ防止対策法』の制定」、「日本の伝統文化に誇りを持てる教科書を」、「大学ビッグバン~知と価値の創造~」、「教育行政における責任体制の確立」が記載されている。
さらに、最後の「教育行政における責任体制の確立」は次の4つから構成されている。
①教育行政の責任体制確立と、意思決定システム改革(地方教育行政法改正)
②適切な教育内容を確保するための改革(学校教育法改正)
③教員の質を確保するための改革(教育公務員特例法改正)
④教員の適性を厳格に判断する改革(教員免許法改正)
これはどこかで見たようなリストではないか。
そう、①②④は2007年にも大規模に「改正」された法律だ。
これらは2006年12月の教育基本法「改正」に連動して「改正」されものであり、新教育基本法下での教育支配の実現を目指したものだ。あの「改正」からせいぜい5年。安倍政権は2007年の法改正でもまだ不十分だったというのか。
◆ 教育委員会制度をどうしようというのか
地方教育行政法改正に注目して、教育再生実行本部が教育委員会制度をどうしようとしているか見てみよう。
①教育長は首長が任命することとし、教育行政の責任者とする。
②教育委員会を教育長の諮問機関とする。
③文科大臣の是正指示権を強化する。
「教育行政の責任体制確立と、意思決定システム改革」のためと言うが、この狙いはどこにあるのか。
◆ 首長直結の教育行政システム確立をねらう
「教育行政の責任体制確立」とは、首長の意を受けて行動する教育長による教育行政を指すようだ。しかし、教育委員会は教育長の諮問機関とされ、教育行政の意思決定システムから排除される。
教育委員会を通じて父母住民の教育意思の実現に基づく教育行政を確立することではなく、首長直結の教育行政システムこそ「責任体制確立」だと言うのだ。この「責任」は誰の誰に対する責任を言うのだろう。
「意思決定システム改革」とは、首長任命の独任制教育長が当該地方公共団体における教育行政の意思決定機関となることを意味する。
地方教育行政を合議制独立行政委員会である教育委員会に委ねた背景には、教育・教育行政の政治的・宗教的中立確保という要請があったはずだが、首長任命の独任制教育長制度ではそれがどう担保されるのか。
さらに、教育委員会の諮問機関化はこれまで以上に教育委員会にサロン化の道を歩ませることにほかならない。
となれば、早晩「教育委員会は諮問機関としての役割を果たしていないから、設置する意味はない」という主張が登場することは必定だ。
現在、教育委員会権限の大半は教育長に委任されており、教育委員会は地域名望家のサロン化しているから、上記のような法改正によっても現状は大きく変わるものではないという見方もあるだろう。
確かに、教育委員会制度の実態がそのようなものであることは否定しないが、現実に影響を与えない法改正では意味がない。むしろ、こういった現状に問題があるのだから、現実を改革するための法改正が必要なのだ。
ただし、その法改正は、あらゆる意昧で教育再生実行本部の提案するようなものではない。
◆ 教育再生会議と教育再生実行本部「中間取りまとめ」はほとんど同じ
安倍首相は内閣府に教育再生実行会議を設置し、自分自身の考えに近い人々を委員に任命した。
内閣府のウェブサイトに同会議のページがあり、議事録や当日配布資料が公開されている。これを調べてみると、同会議での発言内容は自民党の教育再生実行本部の「中間取りまとめ」とほとんど変わらない。
教育再生実行本部と教育再生実行会議、よく似た名称の組織が与党と政府に置かれているが、これでは二つ置く意味は見いだしがたい。違いと言えば、ときおり、文科省の意向を代弁する発言が見られる程度だろう。
同じような意見を言う人が集まって審議を重ねても、同じことが繰り返されるだけだ。実りある審議のためには、他と異なる意見を言う人を加える必要があり、それによって議論は活性化するのだが、それとはかけ離れた審議が繰り返されている。
「責任ある教育行政の体制」を確立すると言うにしては、いかにも責任感の感じられないやり方で突き進もうとしていることに危惧を感じる。
◆ 教育行政の独立性は吹き飛ぶ
この教育委員会制度改革の狙いはどこにあるのだろう。
地方教育行政の責任者として独任制教育長を首長が任命することになれば、教育長は役所の他の部長たちと同じように首長の部下として位置づけられ、首長の指揮命令監督に服することとなるだろう。
そうなれば、もはや教育行政の独立性は吹き飛んでしまう。
教育委員会を教育長の諮問機関にするというが、諮問機関には一般国民・住民の声を反映させるとともに、専門的見識を行政に生かすという意味もある。
しかし、首長の部下となった教育長には、首長の意向に反してでも、諮問機関の審議結果を重視することができるだろうか。
◆ 教育委員が非常勤であるからこそできることもある
犬山市の教育委員を務めていたとき、市長が幼稚園の授業料値上げについて教育委員会に意見を求めたことがあった。
事務局はもちろん、おそらく教育長も、教育委員会の会議では市長の提案が当然受け入れられるものと考えていた。
しかし、一人の教育委員の発言をきっかけに値上げは認められないという意見が多数を占めることとなり、最終的には5人全員の意見として市長案に反対することを決議した。
このとき、教育委員は市民の立場に立って立派にその職責を果たしたと思うが、それは教育委員が非常勤であるからこそできたことで、独任制教育長にはこんなことはできまい。
非常勤の教育委員は無責任だという意見を述べる論者が多いが、果たしてそれは事実に基づく議論なのだろうか。
『「子どもと教科書全国ネット21ニュース』89号(2013.4)
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