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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

憲法と私

2011年10月27日 | 日の丸・君が代関連ニュース
 ★ 連続3波! 最高裁要請行動に参加しましょう
 10月31日(月)15:00~ 東京の教育を考える元校長・教頭の会
 11月 2日(水)11:30~ 都高教退職者会
 11月 7日(月)15:00~ 予防訴訟をすすめる会 (報告集会:社会文化会館)

 『都高退教ニュース』から【憲法と私】
 ◎ 日本国憲法について思うこと…裁判を経験して
岩木俊一(予防訴訟原告/被処分第二次訴訟原告・会員)

 1.「憲法」という時
 長い間、日本国憲法というと、最初に思い浮かべるのは9条でした。
 憲法9条は、前文とともに高校時代の政治経済の授業で覚えました。大学時代のヴェトナム反戦闘争や安保反対闘争でも、「ブルジョワ憲法」などと批判されつつも、9条が反戦・平和の闘いの最大のバックボーンであることは疑いもありませんでした。社会科の教員として憲法を読み直し、生徒に語るときもやはり9条に重点を置いていました。
 歴史的に見ても基本的人権の尊重、国民主権、平和主義の所謂三原則の中で、前二者が欧米の市民革命の成果を継承するのに対して、前文と9条の平和主義は人類の普遍的ともいうべき反戦平和思想の到達点を表すものでした。
 そして、「戦争の放棄」を規定した9条1項、「戦力の不保持、交戦権の否認」を規定した9条2項には近代日本の侵略戦争・植民地支配の歴史、帝国主義・軍国主義の歴史への深い反省を感じました。
 もちろん、憲法を学ぶにつれて9条が日本軍国主義復活を恐れるアメリカの意向を反映し、天皇制の存続とのバーターであったことも知りました。
 また、朝鮮戦争の勃発富東西冷戦の激化の中で警察予備隊(自衛隊の前身)が設置され、戦後保守政権の解釈改憲の流れの中で軍事大国化が進み、さらに冷戦終結後は日米軍事同盟の拡大・深化の中で自衛隊の海外派兵にまで至り、9条の有名無実化が進んできた事実も認識しています。
 それでも軍備拡大・日米軍事同盟の深化や、自衛隊の海外派兵を批判する根拠は9条にあります。
 そして、改憲論の最大の標的が常に9条であり、しかも国民投票法の制定によって改憲の危機がこれまで以上に高まっている現在、日本国憲法といえば何はともあれ9条という認識は一層切実なものとなっています。
 2.憲法19条と裁判
 一方で、2003年以後、私の中で「憲法といえば9条」という思考=認識回路に変化が生じました。10・23通達を見た時からです。
 「国旗掲揚及び国歌斉唱の実施に当たり、教職員が本通達に基づく校長の職務命令に従わない場合は、賑務上の責任を問われる…」(「10・23通達」)
 「式典会場において教職員は、会場の指定された席で国旗に向かって起立し、国歌を斉唱する」(「10・23通達」・別紙「実施指針」)

 という文言に触れて、「こんなことが許されるはずがない」と思いました。人の心を踏みにじる通達・実施指針の文言に対して、「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない」という憲法19条、なんと頼もしく感じられたことでしょうか。
 その時から19条や20条(信教の自由)は私の中で大きな存在を占めるようになりました。ファシスト・改憲論者石原知事の下で発せられた10・23通達に対し、憲法19条を根拠とすれぼ裁判になっても勝てる、そう思いました。
 19条のいう「思想及び良心」は当然にも個人の思想・良心です。「侵してはならない」とは国家権力や行政に対する禁止規定です。
 支配者の独断・恣意を排して個人の権利を守るために、「権力は法に規定されたこと以外はしてはならない」という意味での「法の支配」の原則もまた市民革命の成果として存在します。
 予防訴訟や処分撤回を裁判に訴える際、「裁判所すなわち司法権力は支配機構の一部である」、「国家権力の秩序維持機能を担う機構に過ぎない」といった言葉を忘れたわけではありません。
 自衛官合妃訴訟や靖国合祀訴訟、戦争被害者の補償請求訴訟などを見聞きすれば、とても楽観視できる状況にはありませんでした。
 それでも、裁判所は『憲法の番人』であり、三権分立の趣旨からして裁判所が行政権力の行き過ぎに対してチェック機能を果たすことは当然ある、最高法規である憲法に即して主張すれば、10・23通達・職務命令に対する違憲判断が出るだろうとの期待がありました。
 そしてまた、あの当時、都教委による権利の侵犯をくい止め、自己の権利を守る手段は他にはなかったのです。
 3、最高裁という不条理
 しかし、「きっと勝てる」から、「勝てるはずなのに…」そして「どうして勝てないのか?」と裁判の進行とともに自信は揺らぎ、裁判所に対する不信がつのってきました。
 とりわけ、この間の一連の最高裁判決を見るにつけ裁判所=司法に対する懐疑・不信の思いは深まるばかりです。
 最近読んだ本の中に、
 日本の最高裁が、圧倒的に多くの場合に合憲判断を下していること、・・・、さらに、付随的審査制の建前から言えば憲法判断をするまでもなく他の論点をきめ手として判断してよい場合でも、あえて合憲判断をする会を積極的にとらえていることは重要である。最高裁はそうすることによって、政治部門に対する正統化機能をいとなんでいるのであり、批判的世論と下級審の違憲判決によって疑いをかけられた法令の正統性を回復してやっているのである。(樋口陽一・山内敏弘他『新版憲法判例を読み直す…下級審判決からのアプローチ』日本評論社p6下線は引用者)
 という指摘を見い出した時、裁判とりわけ最高裁に対する認識が甘かったのでは、との自責の念を抱きました。
 「予防訴訟東京地裁判決」の後の「ピアノ最高裁判決」、そして今年3月の「被処分第一次訴訟東京高裁判決」の後の、5月末以後の一連の「日の丸・君が代」関連訴訟での最高裁判決を考えると、
 「そうすることによって・・・批判的世論と下級審の違憲判決によって疑いをかけられた法令の正統性を回復してやっている・・」という指摘があまりに当てはまり過ぎるのです。
 法務省、警視庁、そして国会議事堂とともに最高裁は皇居の防壁であるかのように内堀通りに面して立っています。
 中世の城砦を思わせるその外観はブルボン朝絶対王政のシンボルとして革命の際、パリ民衆に攻撃・占拠されたバスティーユ牢獄に似ています。
 さらに、この間、何度かの傍聴に際し、ボディーチェック、所持品チェック、座席の指定(ここでも!)など傍聴者(=主権者)を潜在的危険分子の如く扱う厳重な監視・管理体制の下で最高裁に入って、ふと、ダンテ『神曲地獄篇』の一節を思い出しました。
 そこには「この門より入る者、一切の希望を捨てよ」と書かれています。
 そして、一連の判決です。期待は幻滅へと変わりました。「通達・職務命令は憲法よりも重し」として、原告の訴えをことごとく退けています。
 天皇制のシンボルとしての日の丸・君が代の果たしてきた歴史・思想に一切触れることなく、「一般的・客観的には」、「通常想定される」、「慣例上の儀礼的所作」など符牒の如き用語と、「思想・良心に対する直接的制約/間接的制約」なる不可解な概念操作によって、「日の丸・君が代」、そしてその強制を合憲とし正統化したのです。
 かつて「もの言える裁判」原告も指摘していましたがF・カフカの小説『審判』を追体験するような思いがしました。最高裁判決を読んでいると、謂われなき処分、行政を追認する判決、それによって奪われる人間的尊厳、後に残る屈辱感など、『審判』に描かれた不気味な世界が浮かび上がります。
 しかも、最高裁はその判決内容を問われることがないのです。事実上の「無答責」です。「無答責」とは大日本帝国憲法第三条の「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」を盾に昭和天皇の戦争責任を免責しようとする言説です(この論は天皇の大元帥としての軍事的責任、国際法上の責任、さらには道義的責任を無視するものとして批判されています)。最高裁も「終審裁判所」(憲法81条)なるがゆえに、その判決は合憲性や合法性をなんら検証されることなく、憲法解釈として法的効力を生じます。そしてその結果についての責任は問われないのです。
 4.再び憲法にかえって
 「この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。」(第11条下線は引用者、以下同)
 「この憲法が日本国民に保章する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であって、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。」(第97条)
 憲法は基本的人権を『侵すことのできない永久の権利』として繰り返し規定しています。
 「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」(第12条)
 と国民の努力も求めています。
 これら理想主義的な条文と、「この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ」(第99条)べき裁判官が「判例改憲」とでも言うべき憲法無視・人権抑圧の判決を連発する現実との、あまりの落差に絶望的な思いさえします。
 「権利の保障が確保されず、権力の分立が規定されないすべての社会は、憲法を持つものでない」(「フランス人権宣言」第16条)に即して言うなら日本国憲法はいまだ本当の意味での憲法になっていないということかもしれません。
 憲法は現在も「幾多の試練」にさらされているのです。私達が憲法を生きた現実のものとする道は、「不断の努力」以外にないのではないでしょうか。試練を前に立ちすくむことなく、歩み続けようとの思いを新たにしています。
 〈補註〉
 ①日本国憲法及び大日本帝国憲法の引用は、三省堂『解説教育六法2005』による。
 ②「天皇無答責論」については、岩波書店『岩波天皇・皇室辞典』を参照した。
 ③フランス人権宣言の引用は、岩波文庫『人権宣言集』の三(a)フランス「人および市民の権利宣言」(1789年)による。

『都高退教ニュース』(No.79 2011/9/5)

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