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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

都教委個人情報漏洩裁判控訴審(続)

2006年10月06日 | 増田の部屋
 ● 対産経名誉毀損、控訴審第2回 ●
  10月17日(火)13:15~ 812号法廷


 地裁裁判官は「義務」という日本語の意味も解することができない人たちだったのでしょうか? 「本件議員らの都議会及び文教委員会での活動の限りで利用されると考えるのが通常」としても「第十一条の義務」を怠る法令違反をおかしたことこそは被告・都教委の過失です。「予見不可能」だからこそ規定されていた「義務」を果たさず、何重にも法令に違反して被告・都教委が原告の個人情報を3都議に漏洩した結果、彼らが「本件書籍出版」に悪用できたのです。「考える」「通常」の能力を保持していれば、被告の第11条違反の過失によって発生した「本件情報提供と、本件書籍出版によってこうむった原告の精神的苦痛との間に相当因果関係を認めることができ」るはずです。

 被告・都教委が法令を遵守していれば、すなわちコンプライアンスを守っていれば、私の被害・精神的苦痛の発生はありえなかったのです。地裁裁判官は「通常」の日本語の意味も解することができず、「通常」の「考える」能力も保持しない人たちだったのでしょうか?

<裁判官の暴論、その5>
 被告・都教委は、3都議には4種の原告個人情報文書・・・判決がプライバシー権を極小化して「消極的プラーバシー権=私生活情報のみ」と定義した、そのプライバシー権侵害も含む・・・を法令に違反して提供・漏洩しながら、伊沢けい子都議が開示請求したのには、「公開条例第7条2号違反」と明記して開示しませんでした。判決文はこれについて先述しましたように、被告・都教委(行政庁)が「任意に開示等する行為を直ちに違法行為とみなす」ことはできないと、「行政庁」の任意の、すなわち得手勝手な違法行為を「法令に違反したが、違法行為ではない」と是認しました。

 しかし、なぜ「同じ都議会議員」という地位にあるものに対して、「任意」な好き勝手な選り分けを行政庁がして、法令に従えば提供を禁じられている都議個人であっても、「任意」の都議個人には、法令に従えば禁じられている個人情報を提供しても「被告・都教委の法令違反行為が違法とはいえない」ことについては、第1審判決文には全く合理的説明がありません。

 判決文には「(3都議は)文教委員会委員として」という文言を多用しているところから見ると、「文教委員」の都議個人には、教員である原告に高い関心があるだろうから「任意」に好き勝手に法令違反して個人情報を漏洩してもよいが、伊沢都議は文教委員ではないから、これも「任意」に好き勝手に「条例違反だから個人情報を漏洩できない」と拒否しても「行政庁」は「任意」に、好き勝手にしてよろしい、と黙示の承認を与えているといえるでしょう。しかし、都議会議員は、どの委員会に所属していようと教育行政を含む行政権の乱用、違法行為をチェックする責務を持っています。現に伊沢都議は都議会本会議において、この違法な個人情報漏洩問題で都教委を追求してくれているのです。

 第1審の裁判官たちは、「都議会議員」というものは委員会所属かかわらず、行政全般(教育行政も含む)を『監視・チェックする責務をもっている』という事実に無知であったのでしょうか?

 <裁判官の暴論、その6>
 第1審判決文は、被告・都教委が法令によると「外部提供してはならない」対象であると規定されている都議個人に、法令によると「提供してはならない」と規定されている個人情報を、「措置を講ずることを求めなければならない」とする法令の義務規定に違反して、提供するという、通常はありえない行政による三重の法令違反を認定しながら、上記5点にわたる目にあまる貧困なる人権感覚・法令感覚に基づく暴論、詭弁を弄して、それでも「行政庁の『任意』の法令違反行為は違法ではない」!? などと強弁しました。

 これに加えて判決文には更なる暴論・詭弁があります。「暴論 その2」でも少し触れましたが、原告の四つの個人情報文書は「一般の人に未だ知られていない情報とはいうことができない」「当該文書の内容が広く知られている場合には、その情報が広く開示されることによって、私生活上の平穏が害されることはない」から被告・都教委(行政庁)が「任意」に、法令違反しても違法といえないと第1審判決は強弁しました。

 しかし「内容が広く知られていれば、『法令で開示が禁じられている個人情報文書そのもの』を、法令で「外部提供」が禁じられている都議個人に、法令で義務付けられている規定を無視して、すなわち何重にも「法令に違反して行政が提供するのは違法行為ではない」と、裁判官が判断してどうするのでしょうか?

 地公法上の懲戒処分情報については、被告・都教委(行政庁)が定期的にプレス発表しており、その場合は産経新聞に限らず、5大紙はたいてい記事にしていますので、この場合は、事実として『内容が広く知られている場合』に当たります。では、これらの処分辞令・処分理由書などの個人情報文書は、全て行政庁である被告・都教委が『任意』に、『任意』の都議会議員には『提供』しても、「法令違反ではなく、違法行為ではない」!? のでしょうか。第1審裁判官たちは、そう主張しているわけです。

 しかも、研修状況報告書は、当該本人である原告の開示請求には、全く非開示だったものです。本人には秘密にされていて本人が全く「内容を知らない」ものを「内容が広く知られているから、行政庁の任意に、任意の都議個人に法令で禁じられている個人情報文書そのものを漏洩しても違法行為ではない」とは・・・これが、本当に裁判官の判断することでしょうか。

 これでは、「個人情報保護」を法令で規定している意味がなくなります。このような暴論を裁判所が判決文に書き込んでいいのでしょうか。

<裁判官の暴論、その7>
 1審判決は、「プライバシー権に自己情報コントロール権が含まれるとしても、個々具体的に検討しなければならない」と書いておきながら、個々具体的に検討していません。

 研修状況報告書は、当該本人である原告の開示請求には、全く非開示だったものです。当然、何が書かれているか全く知らないのですから、「内容が誤っている」場合も、訂正要求をすることができませんでした。私は、3都議が法令に何重にも違反して被告・都教委から手に入れた個人情報文書を使って、私を誹謗中書するためだけに出版した俗悪本を見て、はじめて「研修状況報告書」の「内容」を知り、その「内容の誤り」を知ったわけです。

 「誤り」の具体例を3都議の俗悪本の中から、ほんの一つだけ挙げます。「十月十二日 教員と校長の問題を生徒に手紙で伝えた事実を把握し、このことは生徒たちからの信頼を失うことも指導した」(P176)などと、呆れ果てる記述があります。この「教員と校長の問題」というのは、私が夏休みの社会科の課題として、ある新聞社の「新聞切り抜きコンクールに応募すること。提出は登校日の8月25日」としてあったので、まじめに取り組んだ生徒たちの「新聞切り抜き帳」を応募先に8月30日だったか31日だったかに郵送しようとしたら、なぜか、当時の足立十六中・高橋和夫校長が「職務命令で禁止する」としたことに関連しています。

 被告・都教委が私に対するイヤガラセとして私に命じた「懲罰長期研修」は9月1日からでした。生徒の作品について、約束した社会科教員の職務を果たすことを、校長が「命令権」を振りかざして妨害したため、私は生徒との約束を果たせなくなったのです。まじめに課題に取り組んだ生徒たちの心と作品は、高橋校長によって踏みにじられました。そこで私は、生徒たちに「申し訳ありませんが、高橋校長の命令で、新聞切り抜きコンクールに応募できなくなりました」という事実を生徒たちへの手紙に書いて謝罪するという、当然の仕事をしたのです。

 それが、「このことは生徒たちからの信頼を失うことも指導した」などと記述されているとは、驚き呆れるしかありません。これは、ほんの一例で、このような「誤り」は数限りなくあります。このような「誤り」そのものの記述があることが私に開示されて分かっていたならば、当然、「自己情報コントロール権」を行使して訂正要求を出しました。開示されないものを、どうして「自己情報コントロール権」を行使できたでしょうか?

 判決文には最初に「プラーバシー権に自己情報コントロール権を含むとしても個々具体的に検討」と書きながら、この「研修状況報告書」についても、他の文書についても「自己情報コントロール権」について、全く検討していません。なぜでしょうか? 己が明確に書いていながら、それを個々具体的に行いもせず、「違法行為とはいえない」などと、無茶苦茶な暴論の果てに結論付けるのが裁判官なのでしょうか?

<本法廷への期待>
 原審判決は、被告・都教委(行政庁)に対して「法令違反をいくらしてもよろしい。『任意』である、自由裁量である。行政法律主義(行政は法律に違反してはならない、法令に従って政治を行わなければならない)は無視してよろしい。行政には法令に拘束されない無限の裁量権を認める。その被害者に対しては『お前の被害は軽微だから文句言うな』といってあげる」というものです。これは、すなわち、法治主義を裁判官が否定し、法を曲げるものとなっています。

 これが本当に「法の番人」として「法秩序を守り、人権を擁護すること」を使命とする裁判官の姿でしょうか? 裁判官が、ここまで卑屈になって法を曲げ、行政におもねらなければならない何かがあるのでしょうか? 「曲学阿世の徒」という言葉がありますが、裁判官が「曲法阿世の徒」になってしまえば、裁判所は国民の信頼を失うでしょう。この7点の、あまりにもひどい原審判決に明記(黙示)された暴論について、もし原審通りとするようなことがあるなら、本法廷においては、ぜひ、この7点について明確な合理的説明をしていただきたいです。

 9月21日、難波孝一裁判長は、憲法・教育基本法に則って、被告・都教委の「国旗・国歌」強制を違憲・違法と断じる名判決を出しました。被告・都教委の枚挙に暇のない違憲・違法行為は、この個人情報漏洩の原審判決に見られるように、これまで被告・都教委がどんなに明白な違法行為を繰り返しても、司法が無茶苦茶なこじつけ暴論判決を書いて、被告・都教委の違法行為に追随し、違法行為を正当化するお墨付きを与えてきたことにも大きな原因があります。

 去年8月31日付産経新聞朝刊は、被告・都教委(行政庁)だけが知っており、九段中校長も、もちろん当該である原告も知らなかった、原告の「長期研修」を報じていました。またもや、被告・都教委による違法な個人情報の提供・漏洩があったのです。これらは表面に出たから判明したものですから、氷山の一角に過ぎないでしょう。被告・都教委は個人情報漏洩の違法行為を性懲りもなく繰り返しているのです。これも原審裁判官が、法令に従えば明白な違法行為である行為を「行政庁が任意に行うのは違法ではない」というような無茶苦茶な暴論を判決に書くような事態が後押しをしているといっても過言ではありません。

 どうか、本法廷においては、中学生にでも分別があれば分かる被告・都教委の個人情報漏洩の違法行為の結果、強い精神的苦痛をこうむった原告の人権侵害を救済してくださるようお願いいたします。そして裁判所が広く国民の信頼を獲得できるような公正な判決を出すことによって、今後、被告・都教委が法令違反を繰り返さず、法令順守をした教育行政を進めていけるようになることを期待しております。

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