◆ 遺族の怒りが人々の魂を震わせ、ワタミを包囲した
~和解の重さとこれから~ (労働情報)
「労働組合に入って闘うことで、お金だけではない解決ができて良かった」。居酒屋チェーン大手のワタミで正社員だった森美菜さん(当時26歳)を過労死で亡くした父親の豪さんは、ワタミ過労死裁判の和解が成立した2015年12月8日、これまでの闘いを振り返ってこう話した。
この日の裁判所にはワタミ創業者で森さんが過労死した当時社長だった渡辺美樹・自民党参院議員が出席した。ワタミと役員個人に過労死の法的責任があることを認める和解が成立した瞬間、黒のスーツとネクタイ姿の渡辺氏は立ち上がって「責任は私にあります」と遺族に頭を下げた。
和解条項には、
①会社と渡辺氏のホームページへの謝罪掲載、
②研修やボランティア活動、レポート作成などの時間を業務時間とする、
③賃金から渡辺氏の著書などの購入代金控除分の返金、
④未払い残業代と控除分賃金を該当する他の社員にも支払う、
⑤日本の司法ではまだ認められていない「懲罰的慰謝料」を含んだ損害賠償金の支払い、
⑥36協定更新時に時間外労働時間に関する規定を低減するように努める、
⑦労基署から是正勧告が出た場合には全従業員に周知する、などが盛り込まれた。
ワタミに入社してわずか2カ月後の2008年6月12日に森さんは亡くなった。その直後、渡辺氏が送ってきた弔電には「美菜様の心の病みを察知できなかった」と記されていた。娘が勝手に病気になって自殺したと言わんばかりの言葉が遺族には許せなかった。
マンションから墜落死した森さんの所持品には、直前にシャンプーや目覚まし時計を購入したレシートがあった。娘は明日も明後日も働こうと考えていたのだ。
しかし、過重労働と睡眠不足で意識が朦朧(もうろう)とする中で過労死してしまった。死にたくて死んだわけではない。それを遺族は証明したかった。
そういう意味で娘の過酷な労働実態を裏付ける和解内容となったことには大きな意味がある。
森さんの死を労災と国が認定した2012年2月から遺族側とワタミ側との交渉は始まった。ところが、ワタミ側は弁護士が出席するだけだった。交渉は早々と損害賠償金の算定に入ろうとしていた。
遺族にとっては釈然としなかった。「元気だった娘に何が起きたのか」「過労死するほどのワタミの労働とはどのようなものだったのか」。遺族がワタミ側の弁護士に尋ねても要領を得ない。責任を認めるでもなく、謝罪するでもない。
それなのにお金だけは払おうとするワタミ。このまま得体の知れないお金だけをもらって幕を引けば、「社会貢献する企業」という夢を抱いてワタミに入社した娘に申し訳が立たない。ワタミで今も働き続けている娘の同僚のことも気がかりだった。
遺族は2012年9月、東部労組に加入した。そして、私たちはワタミ本社を訪れ、渡辺氏ら経営者との直接交渉を申し入れた。「だれが、何が、娘を殺したのか」。アポイントなしの訪問にあわてて応対した管理職に、遺族は娘の死の”総括”を求めた。申入書を読み上げる時、豪さんの手は怒りで震えていた。
その後も両親と東部労組は経営者との面談を何度も求めたが、ワタミ側は拒絶し続けた。ワタミ側は逆に遺族を相手取って裁判所に民事調停を申し立てた。申し立て事項はただ一つ、「損害賠償額の確定」だった。思いがまったく伝わっていないことに遺族は失望した。
◆ ワタミに労組が必要だ
さらに遺族にショックを与えたのが、渡辺氏の参院選出馬である。
足元の過労死に向き合わず、自分たちと会いもせずに選挙に出るのか。2013年6月、東部労組と遺族は渡辺氏を公認した自民党本部前で抗議行動を行った。遺影を持った遺族を自民党職員は門前払いしようとした。いつもは冷静な豪さんが鬼気迫る表情で「毎日毎日泣いているんだよ、俺たちは!」「なんでワタミを候補にするんだよ!」とつかみかかった。
この場面は報道やインターネットを通して多くの人の魂を震わせた。遺族の怒りこそが闘いの原動力だった。
同時に、ワタミ過労死闘争は森さんと同じように過酷な労働に苦しむ人たちの闘いでもあった。この社会的包囲がなければ、ワタミ側が全面的に非を認めることはなかっただろう。
ワタミのように働く者を使い潰す「ブラック企業」が日本中で横行している。「365日24時間死ぬまで働け」というワタミ理念集の言葉は、自分たちが職場で日々受けている扱いのストレートな表現だった。
だからインターネットのツイッターやフェイスブックには連日、ワタミや渡辺氏への憎しみと恨みの声があふれた。自民党抗議には労働組合に入っていない労働者が全国から駆けつけていた。他人の死が決して他人事ではなかった。労働者という同じ境遇のもと「共通の敵」への怒りを燃やした。
東部労組は「よってたかって闘おう!」というスローガンをいつも掲げているが、まさにワタミをめぐる闘いは労働運動の原点と言える様相だった。
2013年12月に遺族が提訴した裁判で、渡辺氏は法廷に現れ「道義的責任について謝罪する」と言う一方で「法的責任の見解相違については司法の判断を仰ぐ」と争う姿勢を示していた。
そこから一転して今回の和解では法的責任を認めるに至ったのだ。多くの人たちの闘いがもたらした勝利である。
和解成立後の記者会見で母親の祐子さんは「今日の裁判所で渡辺美樹が娘の墓参りを希望していたが、今は絶対に来てほしくない」ときっぱりと言い切った。
遺族がこのタイミングで和解を選択したのは、判決では得ることが出来ない成果を勝ち取ることができると判断したためである。
ワタミで今も働いている人たち、他の企業で過酷な労働に苦しんでいる人たち、家族を過労死で亡くした同じ立場の遺族たちを励まし、今後の闘いに利益になると考えたから和解したのである。
遺族も私たちもワタミと渡辺氏をまったく許していない。
労働者が1人殺されているのだ。このことを私たちはずっと忘れてはならない。和解したからといってラグビー終了後の「ノーサイド」というわけにはいかないのだ。
遺族はワタミで働いている人たちが労働組合をつくることを望んでいる。私たちにとっての最大の課題もそこにある。まともな労働組合がない限り、労働者の生活と権利そして命は守られないからだ。
他方、ワタミの経営者はかつて週刊誌のインタビューで「ワタミの社員は家族であり、同志だ。そこに労使関係は存在しないので、労働組合が必要だとは考えていない」と答えている。
ワタミとの闘いは終わっていない。
『労働情報926・7号』(2016.1.1/1.15)
~和解の重さとこれから~ (労働情報)
須田光照(全国一般東京東部労働組合書記長)
「労働組合に入って闘うことで、お金だけではない解決ができて良かった」。居酒屋チェーン大手のワタミで正社員だった森美菜さん(当時26歳)を過労死で亡くした父親の豪さんは、ワタミ過労死裁判の和解が成立した2015年12月8日、これまでの闘いを振り返ってこう話した。
この日の裁判所にはワタミ創業者で森さんが過労死した当時社長だった渡辺美樹・自民党参院議員が出席した。ワタミと役員個人に過労死の法的責任があることを認める和解が成立した瞬間、黒のスーツとネクタイ姿の渡辺氏は立ち上がって「責任は私にあります」と遺族に頭を下げた。
和解条項には、
①会社と渡辺氏のホームページへの謝罪掲載、
②研修やボランティア活動、レポート作成などの時間を業務時間とする、
③賃金から渡辺氏の著書などの購入代金控除分の返金、
④未払い残業代と控除分賃金を該当する他の社員にも支払う、
⑤日本の司法ではまだ認められていない「懲罰的慰謝料」を含んだ損害賠償金の支払い、
⑥36協定更新時に時間外労働時間に関する規定を低減するように努める、
⑦労基署から是正勧告が出た場合には全従業員に周知する、などが盛り込まれた。
ワタミに入社してわずか2カ月後の2008年6月12日に森さんは亡くなった。その直後、渡辺氏が送ってきた弔電には「美菜様の心の病みを察知できなかった」と記されていた。娘が勝手に病気になって自殺したと言わんばかりの言葉が遺族には許せなかった。
マンションから墜落死した森さんの所持品には、直前にシャンプーや目覚まし時計を購入したレシートがあった。娘は明日も明後日も働こうと考えていたのだ。
しかし、過重労働と睡眠不足で意識が朦朧(もうろう)とする中で過労死してしまった。死にたくて死んだわけではない。それを遺族は証明したかった。
そういう意味で娘の過酷な労働実態を裏付ける和解内容となったことには大きな意味がある。
森さんの死を労災と国が認定した2012年2月から遺族側とワタミ側との交渉は始まった。ところが、ワタミ側は弁護士が出席するだけだった。交渉は早々と損害賠償金の算定に入ろうとしていた。
遺族にとっては釈然としなかった。「元気だった娘に何が起きたのか」「過労死するほどのワタミの労働とはどのようなものだったのか」。遺族がワタミ側の弁護士に尋ねても要領を得ない。責任を認めるでもなく、謝罪するでもない。
それなのにお金だけは払おうとするワタミ。このまま得体の知れないお金だけをもらって幕を引けば、「社会貢献する企業」という夢を抱いてワタミに入社した娘に申し訳が立たない。ワタミで今も働き続けている娘の同僚のことも気がかりだった。
遺族は2012年9月、東部労組に加入した。そして、私たちはワタミ本社を訪れ、渡辺氏ら経営者との直接交渉を申し入れた。「だれが、何が、娘を殺したのか」。アポイントなしの訪問にあわてて応対した管理職に、遺族は娘の死の”総括”を求めた。申入書を読み上げる時、豪さんの手は怒りで震えていた。
その後も両親と東部労組は経営者との面談を何度も求めたが、ワタミ側は拒絶し続けた。ワタミ側は逆に遺族を相手取って裁判所に民事調停を申し立てた。申し立て事項はただ一つ、「損害賠償額の確定」だった。思いがまったく伝わっていないことに遺族は失望した。
◆ ワタミに労組が必要だ
さらに遺族にショックを与えたのが、渡辺氏の参院選出馬である。
足元の過労死に向き合わず、自分たちと会いもせずに選挙に出るのか。2013年6月、東部労組と遺族は渡辺氏を公認した自民党本部前で抗議行動を行った。遺影を持った遺族を自民党職員は門前払いしようとした。いつもは冷静な豪さんが鬼気迫る表情で「毎日毎日泣いているんだよ、俺たちは!」「なんでワタミを候補にするんだよ!」とつかみかかった。
この場面は報道やインターネットを通して多くの人の魂を震わせた。遺族の怒りこそが闘いの原動力だった。
同時に、ワタミ過労死闘争は森さんと同じように過酷な労働に苦しむ人たちの闘いでもあった。この社会的包囲がなければ、ワタミ側が全面的に非を認めることはなかっただろう。
ワタミのように働く者を使い潰す「ブラック企業」が日本中で横行している。「365日24時間死ぬまで働け」というワタミ理念集の言葉は、自分たちが職場で日々受けている扱いのストレートな表現だった。
だからインターネットのツイッターやフェイスブックには連日、ワタミや渡辺氏への憎しみと恨みの声があふれた。自民党抗議には労働組合に入っていない労働者が全国から駆けつけていた。他人の死が決して他人事ではなかった。労働者という同じ境遇のもと「共通の敵」への怒りを燃やした。
東部労組は「よってたかって闘おう!」というスローガンをいつも掲げているが、まさにワタミをめぐる闘いは労働運動の原点と言える様相だった。
2013年12月に遺族が提訴した裁判で、渡辺氏は法廷に現れ「道義的責任について謝罪する」と言う一方で「法的責任の見解相違については司法の判断を仰ぐ」と争う姿勢を示していた。
そこから一転して今回の和解では法的責任を認めるに至ったのだ。多くの人たちの闘いがもたらした勝利である。
和解成立後の記者会見で母親の祐子さんは「今日の裁判所で渡辺美樹が娘の墓参りを希望していたが、今は絶対に来てほしくない」ときっぱりと言い切った。
遺族がこのタイミングで和解を選択したのは、判決では得ることが出来ない成果を勝ち取ることができると判断したためである。
ワタミで今も働いている人たち、他の企業で過酷な労働に苦しんでいる人たち、家族を過労死で亡くした同じ立場の遺族たちを励まし、今後の闘いに利益になると考えたから和解したのである。
遺族も私たちもワタミと渡辺氏をまったく許していない。
労働者が1人殺されているのだ。このことを私たちはずっと忘れてはならない。和解したからといってラグビー終了後の「ノーサイド」というわけにはいかないのだ。
遺族はワタミで働いている人たちが労働組合をつくることを望んでいる。私たちにとっての最大の課題もそこにある。まともな労働組合がない限り、労働者の生活と権利そして命は守られないからだ。
他方、ワタミの経営者はかつて週刊誌のインタビューで「ワタミの社員は家族であり、同志だ。そこに労使関係は存在しないので、労働組合が必要だとは考えていない」と答えている。
ワタミとの闘いは終わっていない。
『労働情報926・7号』(2016.1.1/1.15)
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