『科学的社会主義』(11月号)から
◎ 教育改革が学校を壊す<後編>
▽ 思考停止から無関心になりつつある学校現場
一九九九年六月から品川区の教育長となった若月秀夫氏は、「品川の教育改革『プラン21』」を策定し、改革を進めるための起爆剤として学校選択制を導入した。子どもが集まる「特色ある学校づくり」に汗を流せと。
初めは校長たちも驚き、「隣の学校とパソコンの台数が違う」「校庭の広さが違う」等々、主に条件面の違いから学校選択制に対する不平・不満を述べていた。だが、すぐに希望した子ども(保護者)の数で「勝ち組」「負け組」に分かれること、それが校長としての自分への明確な評価であることに気付くと、PTAをも巻き込んだ、なりふり構わぬ児童・生徒の獲得競争へと突き進んだ。
私立学校かと見間違うような学校紹介パンフレットも競って作成・配布された。校長の方針に積極的に従わない教職員は、異動や退職を迫られることさえあった。品川区への異動は「品流し」と言われて、東京都内の全教職員に恐れられた。
学校現場でのまともな議論もなく、トップ・ダウンで推し進められる教育改革に対し、初めの数年は教育改革の形をとりつつ、今まで積み重ねてきた教育をなんとかして守ろうとする力が働いていたが、その後、改革のあまりのスピードに、現場では思考停止状態になっていたように思う。
最近は、教育改革の内実を知らない若い教職員が増えてきたこともあり、教育改革に反対・賛成というよりは、そもそも興味・関心を示さない無関心状態が広がりつつあるように感じる。
教育委員会も教育改革の停滞に危機意識を持っているようだが、対応策は見い出せないようだ。新自由主義に基づく教育改革を即刻、止めればよいだけのことなのだが。
三 品川区の教育改革は、なぜ全国へ広がったのか
▽ 成果だけしか上に上がらないトップ・ダウン方式
中央教育審議会(中教審)の委員なども務めた若月教育長は、文部科学省とタッグを組み、教育改革を推進している。文部科学省の官僚が、品川区の中学校の校長になるほどである。
これだけで十分、全国へ広げられるのだが、広げるためには、改革の成果が必要となる。(もちろん、見せかけだけの成果でよいのだが。)
品川区の教育改革は、教育長が校長を改革推進のリーダーとなるよう恫喝も含めて指導し、校長が教職員を指導・恫喝して現場での改革を推進させるという、典型的なトップ・ダウン方式である。
現場でのまともな話し合いがない、ただ押しつけられる改革に、矛盾や問題点の指摘、疑問などがいっぱい出されても、校長から教育委員会に上がっていくことはなかった。
なぜなら、校長は教育長から改革の課題を校長会やヒアリング等で明示されている立場である。それがうまくいっていないとなると、リーダーとしての校長の力量不足として激しく叱責され、業績評価にも直結してしまう。だから、改革の成果のみを教職員から集めることとなる。
こうして、成果の報告のみが上に上がっていく仕組みが完成したのである。
教育長が改革への強力な指導をすれば、すぐに成功の報告が上がってくるというシステムが完成し、成果とともに品川区の教育改革が、構造改革・新自由主義の風に乗って全国へと広がっていったのである。
四 教育改革が学校を壊す
▽ 都教委の教育改革は教員への攻撃
東京都教育委員会(都教委)は、人事考課制度(業績評価)や職階制(主幹・主任教諭等)を導入して教員管理を強め、組合の弱体化を図ってきた。同時に、校長の権限の強化・拡大を推し進めてきた。
学校現場の教職員集団は、鍋ぶたのように一握りの管理職以外は皆対等・平等の関係で、協力・協働して仕事を進めてきた。
しかし、トップ・ダウンで教育改革を推進したい勢力にとっては、それが邪魔である。教育委員会の思惑通りに動く人間を増やしたい。反対する組合の団結も弱めたい。
そこでまず、八年前に管理職の補佐をする「主幹教諭」をつくった。主幹教諭は係長に該当する。管理職になるためには、主幹教諭にならなければいけない。小・中学校では主幹教諭を二名置くと決め、賃金も高めにしたが、なり手が足りない。
そこで、さらに賃下げ攻撃とセットにして三年前に主任教諭制度をつくり、「賃下げが嫌なら主任教諭になるしかない」とささやき、大量の主任教諭をつくることに成功した。
かつて、主任制反対闘争を闘った世代には、賃下げを選択した仲間も多かった。(もちろん、賃下げ反対闘争を闘ったうえでのことである。)
一方、人事考課制度が導入されて十一年が経つ。校長の経営方針に基づいた自己申告書を提出し、年三回は校長と面接を行い、成果や課題の確認、異動の確認等を行う。
面接の前に、校長は授業観察を行う。校長の評価が低いと賃金に影響が出たり、研修を受けたりしなければならなくなる。校長の権限強化の一環である。ただし、校長に対して評価の開示請求をする権利は確保している。
都教委による教員への攻撃の結果、話し合いによる協力・協働の職場から、管理職による命令や指示に基づく職場へと変わりつつある。
校長の判断を求める機会が増えたように感じる。都教委の教育改革は、制度を変えながら教員の思想を変える攻撃である。そして、それは同時に、学校がさまざまな問題を抱えながらも、子どもたちの「育ち」を豊かなものにするためにつくってきた協力・協働に基づく教職員集団をバラバラにし、学校を壊すこととなる。
これでもまだだめだと言わんばかりに、都教委は、副校長の多忙化解消を隠れ蓑にして、「経営支援部」を各学校の中に起ち上げようと企てている。
副校長の下に主幹教諭や事務職員、一般教員を置き、学校の組織(校務分掌)を教育から経営に大きく変えようとしている。
学校を破壊するだけでは飽きたらず、公教育をも破壊しようとしているようだ。
▽ 教育改革に反対し、人間らしさを取り戻そう
新自由主義に基づく教育改革も、制度導入による教職員管理の教育改革も、競争を煽り、教職員の団結を弱め、労働条件を悪化させる。学校で働く仲間は、皆疲れている。体調を崩す仲間も多い。教育改革に反対し、職場から人間らしさを取り戻す闘いに、一人でも多くの仲間を組織しよう。
(了)
『科学的社会主義』(11月号)
印刷所 東京都板橋区南常盤台1-25-11 新社会文化出版会
◎ 教育改革が学校を壊す<後編>
伊藤光隆
▽ 思考停止から無関心になりつつある学校現場
一九九九年六月から品川区の教育長となった若月秀夫氏は、「品川の教育改革『プラン21』」を策定し、改革を進めるための起爆剤として学校選択制を導入した。子どもが集まる「特色ある学校づくり」に汗を流せと。
初めは校長たちも驚き、「隣の学校とパソコンの台数が違う」「校庭の広さが違う」等々、主に条件面の違いから学校選択制に対する不平・不満を述べていた。だが、すぐに希望した子ども(保護者)の数で「勝ち組」「負け組」に分かれること、それが校長としての自分への明確な評価であることに気付くと、PTAをも巻き込んだ、なりふり構わぬ児童・生徒の獲得競争へと突き進んだ。
私立学校かと見間違うような学校紹介パンフレットも競って作成・配布された。校長の方針に積極的に従わない教職員は、異動や退職を迫られることさえあった。品川区への異動は「品流し」と言われて、東京都内の全教職員に恐れられた。
学校現場でのまともな議論もなく、トップ・ダウンで推し進められる教育改革に対し、初めの数年は教育改革の形をとりつつ、今まで積み重ねてきた教育をなんとかして守ろうとする力が働いていたが、その後、改革のあまりのスピードに、現場では思考停止状態になっていたように思う。
最近は、教育改革の内実を知らない若い教職員が増えてきたこともあり、教育改革に反対・賛成というよりは、そもそも興味・関心を示さない無関心状態が広がりつつあるように感じる。
教育委員会も教育改革の停滞に危機意識を持っているようだが、対応策は見い出せないようだ。新自由主義に基づく教育改革を即刻、止めればよいだけのことなのだが。
三 品川区の教育改革は、なぜ全国へ広がったのか
▽ 成果だけしか上に上がらないトップ・ダウン方式
中央教育審議会(中教審)の委員なども務めた若月教育長は、文部科学省とタッグを組み、教育改革を推進している。文部科学省の官僚が、品川区の中学校の校長になるほどである。
これだけで十分、全国へ広げられるのだが、広げるためには、改革の成果が必要となる。(もちろん、見せかけだけの成果でよいのだが。)
品川区の教育改革は、教育長が校長を改革推進のリーダーとなるよう恫喝も含めて指導し、校長が教職員を指導・恫喝して現場での改革を推進させるという、典型的なトップ・ダウン方式である。
現場でのまともな話し合いがない、ただ押しつけられる改革に、矛盾や問題点の指摘、疑問などがいっぱい出されても、校長から教育委員会に上がっていくことはなかった。
なぜなら、校長は教育長から改革の課題を校長会やヒアリング等で明示されている立場である。それがうまくいっていないとなると、リーダーとしての校長の力量不足として激しく叱責され、業績評価にも直結してしまう。だから、改革の成果のみを教職員から集めることとなる。
こうして、成果の報告のみが上に上がっていく仕組みが完成したのである。
教育長が改革への強力な指導をすれば、すぐに成功の報告が上がってくるというシステムが完成し、成果とともに品川区の教育改革が、構造改革・新自由主義の風に乗って全国へと広がっていったのである。
四 教育改革が学校を壊す
▽ 都教委の教育改革は教員への攻撃
東京都教育委員会(都教委)は、人事考課制度(業績評価)や職階制(主幹・主任教諭等)を導入して教員管理を強め、組合の弱体化を図ってきた。同時に、校長の権限の強化・拡大を推し進めてきた。
学校現場の教職員集団は、鍋ぶたのように一握りの管理職以外は皆対等・平等の関係で、協力・協働して仕事を進めてきた。
しかし、トップ・ダウンで教育改革を推進したい勢力にとっては、それが邪魔である。教育委員会の思惑通りに動く人間を増やしたい。反対する組合の団結も弱めたい。
そこでまず、八年前に管理職の補佐をする「主幹教諭」をつくった。主幹教諭は係長に該当する。管理職になるためには、主幹教諭にならなければいけない。小・中学校では主幹教諭を二名置くと決め、賃金も高めにしたが、なり手が足りない。
そこで、さらに賃下げ攻撃とセットにして三年前に主任教諭制度をつくり、「賃下げが嫌なら主任教諭になるしかない」とささやき、大量の主任教諭をつくることに成功した。
かつて、主任制反対闘争を闘った世代には、賃下げを選択した仲間も多かった。(もちろん、賃下げ反対闘争を闘ったうえでのことである。)
一方、人事考課制度が導入されて十一年が経つ。校長の経営方針に基づいた自己申告書を提出し、年三回は校長と面接を行い、成果や課題の確認、異動の確認等を行う。
面接の前に、校長は授業観察を行う。校長の評価が低いと賃金に影響が出たり、研修を受けたりしなければならなくなる。校長の権限強化の一環である。ただし、校長に対して評価の開示請求をする権利は確保している。
都教委による教員への攻撃の結果、話し合いによる協力・協働の職場から、管理職による命令や指示に基づく職場へと変わりつつある。
校長の判断を求める機会が増えたように感じる。都教委の教育改革は、制度を変えながら教員の思想を変える攻撃である。そして、それは同時に、学校がさまざまな問題を抱えながらも、子どもたちの「育ち」を豊かなものにするためにつくってきた協力・協働に基づく教職員集団をバラバラにし、学校を壊すこととなる。
これでもまだだめだと言わんばかりに、都教委は、副校長の多忙化解消を隠れ蓑にして、「経営支援部」を各学校の中に起ち上げようと企てている。
副校長の下に主幹教諭や事務職員、一般教員を置き、学校の組織(校務分掌)を教育から経営に大きく変えようとしている。
学校を破壊するだけでは飽きたらず、公教育をも破壊しようとしているようだ。
▽ 教育改革に反対し、人間らしさを取り戻そう
新自由主義に基づく教育改革も、制度導入による教職員管理の教育改革も、競争を煽り、教職員の団結を弱め、労働条件を悪化させる。学校で働く仲間は、皆疲れている。体調を崩す仲間も多い。教育改革に反対し、職場から人間らしさを取り戻す闘いに、一人でも多くの仲間を組織しよう。
(了)
『科学的社会主義』(11月号)
印刷所 東京都板橋区南常盤台1-25-11 新社会文化出版会
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