パワー・トゥ・ザ・ピープル!!アーカイブ

東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

教育改革が学校を壊す<前編>

2011年11月25日 | 暴走する都教委
 『科学的社会主義』(11月号)から
 ◎ 教育改革が学校を壊す<前編>
伊藤光隆

 一 政治主導の教育改革は中曽根臨教審から始まった
 ▽ 「ゆとり教育」の始まり

 ゆとり教育の始まりは、1997年の小・中学校の学習指導要領改訂告示である。キャッチフレーズは、「ゆとりと充実」である。
 戦後、徐々に学習内容が増加していき、その当時、進みが速い授業を批判して「新幹線教育」と呼んだり、「七・五・三教育」(小学校で七割、中学校で五割、高校では三割の子しか授業を理解していない)とか、「落ちこぼれ」(授業についていけない子)などという言葉が飛び交っていた。
 そこで、知育偏重を弱める改訂をという触れ込みで学習内容の二割削減を実行したのだった。
 六時間目の授業を全廃し「ゆとりの時間」(教科以外の時間)を設けたり、授業の時間を五分間延ばして(小学校は四〇分を四五分に、中学校は四五分を五〇分に)充実を図るという改訂が「ゆとりと充実」である。
 しかし、授業が五分延びたために小学校では一〇分休みが五分となってしまい、遊んだり友だちとおしゃべりをすることができなくなってしまった。
 ゆとりと言いながら学校生活にゆとりがなくなってしまったのである。
 また、「受験戦争」には手をつけなかったので、学校で減ってしまった知識獲得のための塾通いが増えてしまった。
 ▽ 「ゆとり教育」の背景
 1981年に「土光臨調」(臨時行政調査会)が発足し、「官から民へ」「中央(国)から地方へ」「大きな政府から小さな政府へ」という政治主導の流れが出来る。
 国鉄の分割・民営化等も断行された。その流れの中で、一九八四年に「中曽根臨教審」(臨時教育審議会)が起ち上げられた。今につながる「政治主導の教育改革」の流れの開始である
 「教育の自由化」が強く叫ばれ、学区の自由化六・三・三・四制の見直し競争重視など、当時は唐突に思われたが、現在では品川区などをはじめ全国で盛んに行われている「教育改革」の先取りであった。
 「ゆとり教育」は、「新幹線教育の是正」「落ちこぼれをなくす」などという名目で始められたが、その本質は、教育界の「行政改革」なのである。
 二 教育改革の旗頭 品川区の現状
 ▽ 「学校選択制」の幻想

 全国の中でいち早く教育改革に取り組んだ品川区の現状をみてみよう。
 まず、教育改革を推進する起爆剤として「学校選択制」が導入され、小学校では二〇〇〇年度の入学から、中学校では二〇〇一年度の入学から実施された。では、品川区では今、どの程度の規模で学校選択が行われているのだろうか。
 品川区が公表している二〇〇九年度の中学校入学時に関する学校選択率は、全登録者数(2135人)に占める学校選択をした生徒数(596人)の割合が27.9%である。さらに、この年の私立・国立中学進学者571人を除くと、選択率は44.2%に跳ね上がる。
 一方、小学校入学時の選択率は、36.4%である。中学校に比べ選択率の平均値は低いが、選択率の学校間格差が非常に大きく、八割以上の子が転出している学校もある。まさに廃校の危機といえるほどの甚大な影響を受けている。
 また、ここ一〇年間の、選択による転入者数と転出者数の変化をみてみると、小・中学校ともおよそ八割の学校が「選ばれる学校」と「選ばれない学校」に固定化されてしまっている。
 学校選択制が始まった当初、品川区教育委員会は重点支援校を決めて支援(恫喝=選ばれないのは教師の責任!)を行っていたが、「選ばれない学校」が「選ばれる学校」に変わることは難しいようだ。選ばれないのはそこの学校の教師のせいではなく、近くに施設設備のよい学校ができたり、地域の経済的な格差や様々な困難が重なって「荒れ」が生じてしまったり、等々、一度「選ばれない学校」の烙印を押されてしまうと子どもたちが他校へ流れてしまい、回復の主体を担う力を育てることができなくなってしまう。
 「選ばれる学校」も、特別教室を普通教室にしたり、すし詰め教室となるなど、余裕のない大変窮屈な空間に受け入れて教育しなければならない問題が生じている。
 さらに、学校選択制は入学者数の確定が難しいため、次年度の学級数や教員数がなかなか決まらず、次年度の体制づくりや教職員の異動に悪影響を及ぼしている。学校選択制を導入し、学校同士の競争を煽れば教育改革が前進し、すべての学校が良くなるなどというのは、全くの幻想である
 ▽ 有名進学高校への進学者数を競い合う「小中一貫教育」
 品川区では、小中一貫校が六校、完成しようとしている。六・三制から九年制への義務教育(学校)の再編である。
 一貫校以外の小学校・中学校でも、品川区独自の小中一貫教育要領に基づいた教育課程となっている。つまり、区内すべてめ小・中学校で九年制の一貫教育を行っているのである。
 小中一貫教育導入のねらいは、小学校と中学校の連携を強めて「中一プロブレム」(中一ギャップ)を克服すること(「中一プロブレム」の専門的な分析に基づく小中一貫教育の有効性についての説明はない)と、学習指導要領や小・中学校の教育課程を見直して、内容の充実・発展を図るということであった。
 「市民科」という新しい教科も作られた。小中一貫校では五年生から、部活動に参加したり、中間・期末テストを実施したり、中学生と一緒に運動会を行ったり、教科担任制になったりしている。学校生活が中学校スタイルに染められているのだ。これは何を意味するのか。
 区内の各中学校では、有名進学高校への進学者数が学校の評価となり、競争させられているという。小中一貫教育、九年制義務教育のゴールはこんなものなのだ。
 学校五日制にも関わらず土曜日授業が増え、夏休みも短縮されつつある。労働条件の大幅な後退である。職場では、不満が渦巻いている。
 (続)

『科学的社会主義』(11月号)
印刷所 東京都板橋区南常盤台1-25-11 新社会文化出版会

コメント    この記事についてブログを書く
« 橋下氏、おばちゃんに握手を... | トップ | 教育改革が学校を壊す<後編> »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

暴走する都教委」カテゴリの最新記事