○ 判決を聞いて一言(2) ○
◆意図的な事実誤認による不当判決。よくもぬけぬけと恥じらいもなくこのような判決を下したなと腹わたが煮えくり返る。民主主義とか人権とか何も感じられない。司法は権力の手先であることがまた示された。これも戦争への一里塚か。私達は総力を結集して闘わなければならない。(都教高OB・予防訴訟の会:Y・T)
◆この裁判は、東京都教育委員会の強引な国旗国歌の指導に対してはなんのコメントもなく、2分遅れの卒業式に威力妨害罪をかぶせるなど、こわい世の中の動きそのものを表わしていると思います。これからも共にがんばりましょう。
◆本日の不当判決は許しがたい。検察の求刑は常軌を逸していたが、村瀬裁判長等の権威(保持)主義が判決にもあらわれた。控訴審では田中教頭の制止がなかった事実を論理的に立証して下さい。時系列で明確にできると思うのです。藤田さんはじめ大変ですが、最後まで頑張りましょう。(K・I)
◆権力の言うがままに、司法は不当判決を連発している。裁判長のか細い声が、自らに正当性が無いことを雄弁に語っていた。厳しい状況にはあるけれども、藤田さんとともに私達教職員はねばり強く闘っていきます。藤田さんいつか勝利のうまい酒をみんなで飲みましょう。(被処分者の会:M・T)
◆日頃の権力的な訴訟指揮(最初からのあのものものしいボディチェックは何だ!)から、無罪はないかも知れないと思っていたが、やっぱり。何で、有罪にできるんだ、という感は弁護士さんの話を聞いてもなお拭い切れない。高裁はなお質が悪そうで、苦しいかもしれないけれど、へこたれずにやっていきましょう。(K・S)
◆報告集会に参加し勇気づけられました。弁護士さんの正しいことに立ち向かう姿勢に感動しました。最後まで頑張りたいと強く思いました。
◆この判決は納得できない。今後共に少しのことしかできないが、協力していくつもりです。藤田さんがんばれ!!(H・T)
◆言論弾圧の包囲網が今日また強く迫って来た。教育の何たるか、学ぶとはどういうことなのか、誰もがそれぞれの想いを紡ぎ出そうとしている。その行為を避けるどころか、暴力的に封殺しようとしている。教育の死、裁判の死を宣言した今日の判決を悲しく想う。(Y・S)
◆国民の権利を侵害する勢力に加担する裁判所の危うさ、恐ろしさを今更ながら感じた。(H・H)
◆「ウソをつくことの罪」ということを考えさせられます。そして、人が生きるとき最も重要な「想像力」ということを考えさせられます。「想像力」は、ほうっておいても育つものではありません。「想像力」には自分の頭を研ぎ澄まし、「自己否定できる勇気」が必要です。「自己否定できる勇気」なんて、そんじょそこらの「勇気」ではありません。野田正彰氏の著書にあるように「戦争の罪責」を告白して亡くなっていった方々と自らの行為を断罪することなく、加藤周一氏がいみじくも言っている「戦後、好々爺のうちに、亡くなっていった」人とどちらが、人間として立派なのでしょう。全ての根源は「自己否定できる勇気」を自らが持てるかどうかにかかっています。(Z・N)
◆「本日集まったのは特別な人たち」とう大迫弁護士のことばは、残念ながら事実だと思います。息の長い闘いですが、地域で、憲法の保障している表現の自由とはどういうことかを広げていく、並々ならぬ努力を一人一人がしていくことの重要さを感じます。そしてこのように結集することで、お互いが自らの正しさを確かめあってまた周囲の人々へ働きかけていく力にしたいと思いました。藤田先生には、是非元気いっぱいに頑張って頂きたく、心より応援していきたいと思います。弁護団の皆さんの信念に満ちた発言に感動しました。(H・I)
◆職務命令発令のための10・23通達以降、校長・教頭が人間性を失くし、又、本日判決を出した村瀬裁判官も指導者の時とは変わった人間となる方向に時代は動いていると思いました。弁護士の皆様、藤田先生、次の控訴審に向けて、しばらく身体を休めて又がんばって下さい。
◆裁判制度そのものへの危惧を感じさせる不当判決であった。憲法、特に人権・個人の尊厳・言論に対する反動的なものとなった。実に不当だ。(T・S)
◆不当な判決である。君が代・日の丸を押しつける都教委・検察の言うままだ。裁判はまだ続く。その間、この無茶な方向を世の中に知らせ続けることが逆にできる。(早大同窓:S・N)
◆公判の中でもそうでした。検察側証人の証言がはからずも事実をボロボロ暴露していました。今日の裁判長の事実認定も都合よく事実を使っている為に、その虚構が露わになっていました。政治的陰謀にめげず、引き続きがんばりましょう。(H・T)
◆有罪は絶対に許せない。これが教育現場に与える影響は重大であり、都教委はますます弾圧に出るだろう。従って無罪を勝ちとるようたたかいを構築せねばならない。(S・S)
◆本来このようなことが事件になるはずもないのに刑事訴追され、それでも裁判所では真実が明らかにされれば無罪判決と信じていたのに。この国の未来は決して明るい自由な国家ではないのだろうと他の様々なことからも暗くなるばかりです。でもこれからも、藤田さん、弁護団の皆様、頑張って下さい。(自由の風ネット:K・I)
◆「ゲンシュク」なるものに表現の自由が制限されるということなら、表現の自由に対する威力業務妨害だ。「地裁の裁判官なんてこの程度!」と感じる判決でした。高裁でくつがえしましょう!イギリス国歌(慣習)には、同名のすさまじい替え歌があることをご存知か?1977年実質ヒットチャート№1(英国)この勢いで、ファイト!(H/Y)
◆意図的な事実誤認による不当判決。よくもぬけぬけと恥じらいもなくこのような判決を下したなと腹わたが煮えくり返る。民主主義とか人権とか何も感じられない。司法は権力の手先であることがまた示された。これも戦争への一里塚か。私達は総力を結集して闘わなければならない。(都教高OB・予防訴訟の会:Y・T)
◆この裁判は、東京都教育委員会の強引な国旗国歌の指導に対してはなんのコメントもなく、2分遅れの卒業式に威力妨害罪をかぶせるなど、こわい世の中の動きそのものを表わしていると思います。これからも共にがんばりましょう。
◆本日の不当判決は許しがたい。検察の求刑は常軌を逸していたが、村瀬裁判長等の権威(保持)主義が判決にもあらわれた。控訴審では田中教頭の制止がなかった事実を論理的に立証して下さい。時系列で明確にできると思うのです。藤田さんはじめ大変ですが、最後まで頑張りましょう。(K・I)
◆権力の言うがままに、司法は不当判決を連発している。裁判長のか細い声が、自らに正当性が無いことを雄弁に語っていた。厳しい状況にはあるけれども、藤田さんとともに私達教職員はねばり強く闘っていきます。藤田さんいつか勝利のうまい酒をみんなで飲みましょう。(被処分者の会:M・T)
◆日頃の権力的な訴訟指揮(最初からのあのものものしいボディチェックは何だ!)から、無罪はないかも知れないと思っていたが、やっぱり。何で、有罪にできるんだ、という感は弁護士さんの話を聞いてもなお拭い切れない。高裁はなお質が悪そうで、苦しいかもしれないけれど、へこたれずにやっていきましょう。(K・S)
◆報告集会に参加し勇気づけられました。弁護士さんの正しいことに立ち向かう姿勢に感動しました。最後まで頑張りたいと強く思いました。
◆この判決は納得できない。今後共に少しのことしかできないが、協力していくつもりです。藤田さんがんばれ!!(H・T)
◆言論弾圧の包囲網が今日また強く迫って来た。教育の何たるか、学ぶとはどういうことなのか、誰もがそれぞれの想いを紡ぎ出そうとしている。その行為を避けるどころか、暴力的に封殺しようとしている。教育の死、裁判の死を宣言した今日の判決を悲しく想う。(Y・S)
◆国民の権利を侵害する勢力に加担する裁判所の危うさ、恐ろしさを今更ながら感じた。(H・H)
◆「ウソをつくことの罪」ということを考えさせられます。そして、人が生きるとき最も重要な「想像力」ということを考えさせられます。「想像力」は、ほうっておいても育つものではありません。「想像力」には自分の頭を研ぎ澄まし、「自己否定できる勇気」が必要です。「自己否定できる勇気」なんて、そんじょそこらの「勇気」ではありません。野田正彰氏の著書にあるように「戦争の罪責」を告白して亡くなっていった方々と自らの行為を断罪することなく、加藤周一氏がいみじくも言っている「戦後、好々爺のうちに、亡くなっていった」人とどちらが、人間として立派なのでしょう。全ての根源は「自己否定できる勇気」を自らが持てるかどうかにかかっています。(Z・N)
◆「本日集まったのは特別な人たち」とう大迫弁護士のことばは、残念ながら事実だと思います。息の長い闘いですが、地域で、憲法の保障している表現の自由とはどういうことかを広げていく、並々ならぬ努力を一人一人がしていくことの重要さを感じます。そしてこのように結集することで、お互いが自らの正しさを確かめあってまた周囲の人々へ働きかけていく力にしたいと思いました。藤田先生には、是非元気いっぱいに頑張って頂きたく、心より応援していきたいと思います。弁護団の皆さんの信念に満ちた発言に感動しました。(H・I)
◆職務命令発令のための10・23通達以降、校長・教頭が人間性を失くし、又、本日判決を出した村瀬裁判官も指導者の時とは変わった人間となる方向に時代は動いていると思いました。弁護士の皆様、藤田先生、次の控訴審に向けて、しばらく身体を休めて又がんばって下さい。
◆裁判制度そのものへの危惧を感じさせる不当判決であった。憲法、特に人権・個人の尊厳・言論に対する反動的なものとなった。実に不当だ。(T・S)
◆不当な判決である。君が代・日の丸を押しつける都教委・検察の言うままだ。裁判はまだ続く。その間、この無茶な方向を世の中に知らせ続けることが逆にできる。(早大同窓:S・N)
◆公判の中でもそうでした。検察側証人の証言がはからずも事実をボロボロ暴露していました。今日の裁判長の事実認定も都合よく事実を使っている為に、その虚構が露わになっていました。政治的陰謀にめげず、引き続きがんばりましょう。(H・T)
◆有罪は絶対に許せない。これが教育現場に与える影響は重大であり、都教委はますます弾圧に出るだろう。従って無罪を勝ちとるようたたかいを構築せねばならない。(S・S)
◆本来このようなことが事件になるはずもないのに刑事訴追され、それでも裁判所では真実が明らかにされれば無罪判決と信じていたのに。この国の未来は決して明るい自由な国家ではないのだろうと他の様々なことからも暗くなるばかりです。でもこれからも、藤田さん、弁護団の皆様、頑張って下さい。(自由の風ネット:K・I)
◆「ゲンシュク」なるものに表現の自由が制限されるということなら、表現の自由に対する威力業務妨害だ。「地裁の裁判官なんてこの程度!」と感じる判決でした。高裁でくつがえしましょう!イギリス国歌(慣習)には、同名のすさまじい替え歌があることをご存知か?1977年実質ヒットチャート№1(英国)この勢いで、ファイト!(H/Y)
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