パワー・トゥ・ザ・ピープル!!アーカイブ

東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

自由権規約を武器に―日の丸・君が代強制批判

2012年01月27日 | 日の丸・君が代関連ニュース
 『法と民主主義』2009年2・3月号から
 ◎ 自由権規約を武器に ― 日の丸・君が代強制批判
弁護士 彦坂敏之

 一 事案の概要

 東京都立の高等学校等、都立学校の卒業式等の行事において、教職員に対し、国歌としての君が代を斉唱する際に国旗としての日の丸に正対して起立することが強制されているという問題である。
 「強制」といえるのは、次の点からである。東京都は、2003年10月23日に都立学校長に宛てて通達を発出(以下10・23通達という)した。その内容は、卒業式において国歌を斉唱すること、壇上正面に国旗を都旗とともに掲げ、国歌斉唱時には教職員はこれに正対して起立すること、また音楽科の教員はピアノにより伴奏すること、を実施するよう求めるものであった。
 東京都は、「10・23通達」発出に関して、全校長を集めて説明会を行い、通達は校長に対する職務命令であること、校長はこれを受けてその学校の教職員に対して命令を発すること、その職務命令違反に対しては処分が伴うことを校長に説明し、命令の担保を徹底した。
 都立学校の校長は、全員、職務命令を発した。職務命令を受けた教員は命令に従わなければ処分を受けることを予告されたことになる。このような命令の構造だけでも「強制」と言えるが、それだけではなく、それまで日の丸・君が代の取り扱いについて職員会議で議論をしてきたことが全く否定され、校長になぜかと問うても命令だからという答えしかなくなり、東京都の「10・23通達」に示されたやり方だけが絶対に実施しなければならないものとして、厳然と示されたのである。
 そもそも、教育とは、教師と子どもとの人間的接触を通じて、子供の成長段階に最適な指導を教師が創意工夫をする文化的な営なみなのだから、教師に対する強制があれば教育が教育で亡くなるものであるところ、これほどに強固なしかも一律な内容の強制が行われれば教育の破壊は決定的である。
 「10・23通達」の教育破壊は、養護学校において特に顕著なかたちで具体化した。養護学校においては、「フロア形式」と称する卒業式が行われていて卒業生と在校生が向かい合って着席し、お互いの顔を見ながら卒業を祝うことができていた。卒業生は卒業証書を(壇上に登らなくてもよいので)自力で受け取りに行けていた。壁には卒業記念の作品が飾られた。民が歌いたいと思う歌、演奏したいと思う曲を演奏した。「10・23通達」はそれら一切を許さない内容であった
 二 事案の法的問題
 教育問題として、「不当な支配」を禁じた教育基本法に抵触することがまず指摘される。最高裁学テ判決も認めた教師の教育の自由も否定されることになる。
 教師個人の人権としてみれば、国旗・国歌、その象徴するものについての価値観が否定されることになるのだから、憲法19条の保障する、精神的自由権の中核、人間性そのものともいうべき良心の自由、そして、その宗教的な側面である信仰の自由が否定されることになる。
 そこで、命令を受けた教師、特に、起立できず処分を受けた教師たちが訴訟を提起することになった。
 起立する義務のないことの確認を求める訴訟(いわゆる「予防訴訟」であり、これには起立できなかった教師のみならずやむを得ず起立した教師も当事者となった。)、起立しなかったために受けた処分を取り消すよう求めた訴訟(いわゆる「抗告訴訟」)、不起立がゆえに処分を受けたことを理由として嘱託採用を取り消された教師が損害賠償を求めた訴訟「いわゆる「採用拒否事件」」と筆者が代理人としてかかわっているものだけでも数件があり、数百人の当事者が「10・23通達」の違憲・違法を争っている。筆者のかかわっていない訴訟も数多く提起された。
 三 「10・23通達」と国際規約
 (1)自由権規約

 訴訟では、自由権規約18条違反を主張した。国際条約違反を主張する前提は、国際条約が特に国内法化の手続きを経なくても、条約の内容が自動執行力があると認められるかぎり国内法的効力を有する、という一元的解釈(これは通説だと言える)である。
 自由権規約18条は、思想、良心及び宗教の自由を保証する内容であり、それは人類普遍の人権思想に基づくものであるから、一元的解釈にもとづき、かつ、条約の国内法に対する優越の解釈により「10・23通達」及びこれに基づく各職務命令が自由権規約18条に違反することが主張できる。そして重要かつ重大な点として、次の点が指摘できる。
 自由権規約委員会の2008年10月30日の最終見解公表があったが10年前の1998年、市民的及び政治的権利に関する国際規約の政府報告審査における最終所見において、次のような懸念と勧告が出されていた。
 「委員会は、規約上の人権についての、裁判官、検察官および行政官に対する研修を定めた規定が存在しないことに懸念を持っている。裁判官に関しては規約の規定に習熟させるため、裁判官協議会およびセミナーが開催されるべきである。委員会の一般的意見、及び第一選択議定書による通報に関して委員会が表明した見解が裁判官に配布されるべきである。」
 しかしながら、1998年の公表から10年間、日本の法曹は、司法において国際条約がいかされた経験を持てないままでいる。
 (2)子どもの権利条約
 訴訟では教師が当事者であるので、子どもの権利条約違反を直接主張することは困難であるが、「10・23通達」が子どもの権利条約に違反する実質を有することを指摘する意義は小さくない。
 まず、「10・23通達」は、生徒が自らの卒業式をどのように執り行うかについての意見表明を封じた点において条約12条1項に抵触する。
 次に、同様に表現の自由を保障した13条1項に抵触する。そして、教師の良心の自由、信教の自由を侵害するのと同様に生徒の思想・良心の自由、宗教の自由を保障した14条1項に抵触する。
 子どもの権利条約に関しては重大な問題点として、次のことが指摘される。
 自由権規約委員会の2008年10月30日の最終見解公表があったが、子どもの権利条約に関しては1998年6月に児童の権利委員会が最終所見において、次のように表明しているのである。
 「こどもの権利に関する条約が国内法に有意しかつ国内の裁判所で援用できるとはいえ、実際には、裁判所が国際人権条約一般およびこどもの権利条約を判決の中で直接適応しないのが通例であることに、懸念と共に留意する。」
 日本の裁判の世界水準からの遅れに対する痛切な指摘である。

 追記
 本件については、地裁段階で勝訴判決と敗訴判決があり、また依然地裁に係属中のものもある。現在、地裁において、また高裁において、攻防が続いている。
 同種事件に関して出された2007年2月27日の最高裁第3小法廷判決の悪影響は小さくない。原告団と弁護団の最終勝訴に向けてのなお一層の奮闘が続く。
以上

 ※彦坂 敏之(ひこさか としゆき)
 1999年弁護士登録 (51期)。横浜弁護士会。横浜リベルテ法律事務所所属。※法の支配・立憲主義への憧れから、フランスのリベルテ、イギャリテ、フラテルニテの標語からリベルテの名を事務所名に冠した。


 『法と民主主義』2009年2・3月号【436号】
http://www.jicl.jp/now/ronbun/backnumber/20090413_02.html
『今 言論・表現の自由があぶない!』(2012/1/2)
http://blogs.yahoo.co.jp/jrfs20040729/22298382.html

コメント    この記事についてブログを書く
« 冤罪!小林卓之さん仮釈放 | トップ | 東京「君が代」裁判 第3次... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日の丸・君が代関連ニュース」カテゴリの最新記事