◎ 陳 述 書
2017年2月2日
原告 河原井純子
原告 河原井純子
Ⅰ 命を育む「教育の営み」は、「だれの子どももころさせない」を決意する
私は厳しい「停職6ヶ月」を覚悟して「2003年10・23通達」に「職務命令」に服従しませんでした。
3年間の「障がい」児・者施設の職員生活で、35年間の教員生活で、子どもたちや青年たちと「憲法」や「子どもの権利条約」などと照らし合わせながら「命令しない-命令されない」「排除しない-排除されない」「差別しない-差別されない」という関係の模索を大切に大切にしてきました。その根底にしっかりと根付いていたのは誰にも手渡すことのできない「だれの子どももころさせない」という揺るぎない決意でした。その決意は今も「教育の営み」の核心だと信じています。
そのことを再確認する出来事がありました。
2015年7月「安保法案(戦争法案)」に強い危機感を持った子育て真っ最中の一人のママが「安保関連法案」に反対する「ママの会」を立ち上げました。そのママたちと国会前や集会や学習会の場で出会いました。
どのママも迫力に満ちていました。小冊子『だれの子どももころさせない』の中で根源的なことを主張しています。
「この時代に生きるひとりの人間として、この時代に子育てをするママとして、私は『安保関連法(戦争法)』に反対します。安保関連法を『本当に止める』のはどこかの誰かではなく、あなたでありわたしです」
と活動していました。
学校から教室から1年の半分もの長い間排除される「停職6ヶ月」は精神的にも経済的にも苦しく厳しいものでしたが、ひとりの人間として、ひとりの教員として「だれの子どももころさせない」という決意の「不服従」であり「不起立」でした。
Ⅱ 東京の破壊的教育改革 もうひとつの「だれの子どももころさせない」が立ち上がる
2003年、私は都立七生養護学校(現・都立七生特別支援学校)の教員でした。
「10・23通達」が強行された2003年に東京都教育委員会・3都議(古賀・土屋・田代)・産経新聞が一体となったもう一つの「教育内容」への介入事件がありました。
当時「性被害」「性加害」に苦しむ乎どもたちや青年たちの「先生たすけて!」の叫びに向き合った「命を育む学習」、小学部・中学部生の「こころとからだの学習」と高等部生の「保健・性教育」を問答無用で攻撃し破壊しました。
しかし、教職員・保護者達は屈せずに「だれの子どももころさせない」と立ち上がり提訴しました。
一審、二審、最高裁に七生養護学校の「教育の営み」が届き大きな勝利判決を引き出すことができました。ここで大きなことは判決の中で「教育は実践と論議を繰り返しながら積み重ねていくもの」と明示されたことでした。
そうです「教育の営み」は「教員と児童・生徒との人格的触れ合い」のなかから育まれていくもので「命令と服従」からは何も産み出すことができません。
私は2件の「教育破壊事件」の原告です。
Ⅲ 最後に憲法判断を訴えます。
破壊的教育改革の大本である「2003年10・23通達」の強行から何と14年目を迎えます。「教育現場の破壊」は日に日に深刻化しています。
連れ合いの母が、この違憲・違法以外のなにものでもない命令を「今の時代に本当なの?」と驚き「まるで戦中沙汰ね」と怒り、私の2冊の本『学校は雑木林』と『決してあきらめず 雑木林の決意』を知人たちに、「今の学校とはとても思えないわよ、ぜひ読んでみて」と拡げてくれました。
彼女は、この裁判の結果を気にしながら「私も純子さんのように生きたかった」という言葉を残して今年の1月1日に静かに亡くなりました。101歳でした。100歳を過ぎた人が「信じられない」ということが今、学校で社会で多発しています。
教室で学んだ「裁判所は人権の砦」「裁判所は憲法の番人」「三権分立」などは偽りだったのでしょうか。裁判で憲法判断の道がなかなか拓かれません。私たちは、思想良心の自由・教育の自由・裁量権の濫用の構成で裁判を進めてきました。主張・証拠を丁寧に審理してください。
清水裁判長、ぜひ憲法判断の道を拓き「だれの子どももころさせない」学校や社会を法の力で実現してください。私たちの責任は重大です。「教育の営み」と照らし合わせて「10・23通達」、それに基づく職務命令の違憲違法の憲法判断とすべての処分の取り消しをここに強く切望いたします。「だれの子どももころさせない」ために。
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