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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

全面敗訴して考えること

2011年10月26日 | 日の丸・君が代関連ニュース
 ★ 被解雇者の会報告集会 兼 解雇裁判の会総会
 10月29日(土)13:30~ 社会文化会館第2会議室

 (地下鉄永田町駅2番または3番出口、徒歩5分)


 『都高退教ニュース』から
 《「君が代」強制嘱託解雇裁判》
 ◎ 全面敗訴して考えること
相田堯夫(上告人・会員)

 1、こ支援ありがとうございました
 2004年4月1日、嘱託員の合格を取り消された「元」教員が弁護士事務所に集まり、提訴についての相談を始めた。
 「合格取消」を通告されたのは2日前で、赴任先・担当科目・担当クラス・校務分掌等すべて決まっていて、新学期の開始を待つだけとなっていた時期であった。3月の卒業式で「国歌斉唱」時に座っていただけでこの「仕打ち」である。
 この日の会合は、先行する「予防訴訟」の原告団・弁護団の事務局によってセットされ、「被解雇者」は、おそらく緊迫した複雑な思いを抱いて集合し、地裁への提訴について検討を始めた。私の頭は、まだ整理されず、検討を深める会議が設定されて安堵した。
 この時点で、合格取消者7名が判明していた。

 翌日、「被処分者」の集会のとき、合格取消がもう1名いることを聞いた。後日、講師の採用が取り消された1名がさらに判明する。
 都高教執行部への要請・弁護団との会議・本部委員会での訴え等々慌ただしく過ぎていく中で、都高教嘱託員対策会議の世話人の方々との会合が持たれたのは4月16日であった。退職者会の先輩も参加されていた。私たちの裁判を直接支援して下さる方々との交流は、このように早くからスタートしていたのであった。
 このスタートから判決まで、退職者会には一方ならぬご支援をいただいた。宮部元都労連委員長の証人としての紹介、各種集会の会場使用料・記録集作成費用等での財政的支援、裁判所宛要請署名や傍聴参加などの協力、その他数え上げればきりがない。この場を借りて、あらためて深く感謝申し上げたい。
 2、負けてすいません
 いま、敗訴によって、単なる悔しさではなく、このような判断をした司法のあり方について考えてみたり、今日の社会の状況・文化の成熟度・人権感覚の程度・法治主義の習熟度など様々な想念が去来する。しかし、この敗訴の与える影響が、まずは重大である。それは、ご支援をいただいた方々に失望を与えてしまったであろうことである。
 教育への管理統制が強化される中での事件であり、裁判の勝利が不当な支配への歯止めとなりうると期待されたはずである。「勝たねばならない裁判」、「解雇裁判は勝つだろう」と、自他共に認める裁判であった。敗訴に対する失望の念もまた多くの部分で共通する内容であろうと理解している。
 3月以来、大自然の威力を知って衝撃を受け、福島原発事故に対しては災害対策の拙劣さに驚き、事故処理・復興対策の進行状況からも人間の非力さ思い知らされ続けている中でのこのような内容の敗訴は、失望をさらに深めてしまうのに十分かも知れないと恐れる。本当に申し訳ないことだった。
 もう一つは、この敗訴、つまり都側の勝利が学校教育の現場に与える影響である。都教委の管理統制は自信を持って深められて行き、その動きは全国に波及するかという事態だろう。現職教員の方々は、かって経験したことのない支配管理を受けて苦脳されていると聞く。私は、この裁判の勝利が、管理統制の教育行政を考え直すための一材料となることを願っていたが、果たせなかった。「格好の見せしめ」とされた嘱託員解雇事件に憤りを感じて支援された先生方の落胆も大きいであろう。ご免なさいと謝るほかない。
 大風呂敷を広げてはみたが、私は、非力さを痛感して終わり、後に悪影響が残るというのでは、なんとも居たたまれない思いでいる。先生方にはどうか「萎縮」せず、本来の教育活動を発展させて欲しいと願う。
 3、「以下同文」判決
 さて、判決に即して、司法の状況を述べる。一審以来の全判決を通して、行政権力に癒着する裁判官達が抱いている「悪意」が透けて見える。
 一・二審では、「跳ねっ返り者」にはふさわしい処遇なのだという判断をしたことが見て取れて、行政側に立つ司法の問題を実感したのだが、最高裁では、ついに明瞭な悪意に接してしまったと考える。
 5月30日以後続いた「判決ラッシュ」とも言うべき「日の君」関連の最高裁小法廷判決は、同一の原文を三つの小法廷が共通して使用した。各裁判ごとにその上告理由に即して判断を示すのではなく、一括りにして処理できる文章となっている。これ自体悪意であろう。
 そのため、上告理由書で主張していない事柄に対する言及が行われている判決文も出現する(5月30日・第二小法廷判決など)。北九州ココロ裁判・広島高教組・神奈川こころの自由裁判もこのラッシュの中に放り込まれた。気の毒に思う。
 内容がまた粗末なものである。「ピアノ判決」の精神の自由に関する無理解を少々修正して、職務命令が「間接的な制約となる面」があるとまでは認め(このことの当否は措くとして)、「制約を許容し得る程度の必要性及び合理性が認められるか否かという観点」を提示して検証するポーズをとる。答えは初めから準備されている
 法体系から教員の立場を説き、職務命令は「慣例上の儀礼的な所作」を求めるもの、「秩序の確保」、「式典の円滑な進行」を図るものとして、必要性・合理性を認めるのである。憲法第19条違反はないと。
 大法廷は開かず、「ピアノ判決」が維持されているのである。行政権力による不当な支配の観点や「学習指導要領」の「大綱的基準」の逸脱などの問題には触れていない。この、薄っぺらな理論で済ましたこと自体が悪意の表れなのだ。
 思えば、都側は、06年「予防訴訟」の敗訴に対して控訴し、周到な準備をして、その12月21日に控訴理由書を提出した。
 その次の週27日に出された「解雇裁判」一審の被告東京都の最終準備書面は、そのコピーであった。22日には改悪教基法が成立するという、忘れられない悪い時期である。
 翌年2月の「ピアノ判決」を待ってから確定された我が解雇裁判の一審佐村判決は、6月20日、「ピアノ判決」と都側最終準備書面に見事に乗って書かれている。以後に続く敗訴判決は、皆これの踏襲である
 我が小法廷判決は、実質2ページ程度、結論だけの粗末なものだった。内容は、5月30日から6月21日までに各小法廷から出された四本の判決を参照せよということらしい。不親切が権威とでも言いたげに見える。「人権の砦」と言えるのか。
 4、相部屋判決
 7月14日の我が小法廷判決は、北九州ココロ裁判と相部屋となった。
 長年努力して取り組んできた本人訴訟の「ココロ」の上告人の方と相部屋で、どんな判決になるというのか。十把一絡げにする態度自体が「人権の砦」の資格を放棄している。
 すでに7月4日の第二小法廷判決は、再任用を求める本人訴訟のK氏と処分取消訴訟のN氏とが相部屋判決を受けている。このお二人も「以下同文」判決であった。
 最後まで抵抗を試みた。以前からセットしてあった7月6日の最高裁要請で問題を指摘し、判決時刻をずらし傍聴抽選を別にして混乱を避けるべきであると。代理人弁護士を通しても要請してもらい、書記官の方とやりとりしていただいた。「ココロ」の支援者の方と連絡も取ってみた。「ココロ」の上告人の方も別途要請していたことが分かったが、最高裁は動かず、39の傍聴席抽選に125人が並んだ。
 二つの判決は、読み上げ所要時問は、それぞれ20秒程度だろう。その前後の扉の開閉や書記官の発声はまるで演劇の上演のようだ。権威主義と言いたくなる演出ぶりである。
 5、さて、今後
 グチに近いことまで述べてしまったでしょうか。投稿の機会を与えていただき、ありがとうございます。まじめに考えたいと思います。
 ご支援いただいた皆様共々、失望・落胆の絶対値を「闘志」に転換して、なお、可能な限り、無理をせず、「私の目の黒いうちは」の気概を持ち続けて闘わなければならないのだろうと、今、考えます。
 今年ほど日本社会を根本から検証し直さなければならない、重要でやっかいな課題が明瞭に提示された年は、そうザラにあるものではないでしょう。人権と教育に関する一連の「日の君」関連判決の持つ欠陥と原発開発・震災処理の進め方などに通底するもの、人間や社会のあり方に関する詰め方の「曖昧さ」というか*「不徹底さ」が積み重なって今日があるのでしょう。
 教育を初め精神の領域に政治権力が簡単に踏み込んでくることを許さない人々は、まだ少数派だったということがはっきりした以上、地道に運動を広げるほかないでしょう。
 この闘いで私の得た貴重な宝は、10人の原告達は自らの思想信条は率直に語り合ったこと、批判はしても人格を傷つけることは意図的にはしていないこと、皆対等平等だと考えることができたこと等、在職中の教員生活のなかでは考えられない交友関係が築けたことで、個々の独立した人格の交流とはどうあるべきなのかについての答えに近づけたということなのです。これは「力」です。

『都高退教ニュース』(No.79 2011/9/5)

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