=シリーズ「今、学校現場では」(『いまこそ』)=
◆ 都教委の理不尽さは「より良い教育の実現」ではなく、
権力を笠に着て教員を虐め抜くことにある。
私のように、思ったままを口にし、思ったまま行動し、思ったまま生きていると、処分ばかり受けて昇給も昇格も再任用ですら拒否される。
それを避けるには都教委からの抑圧に慣れ、批判力を奪われ、腑抜けになって都教委のやり方に順応し、身を守るしかない。守りに入った教員は、朝早くから夜遅くまで学校にいる。土日はクラブ指導や土曜講習の為に出勤し、授業準備や分掌業務、自己申告書に年間授業計画、学力スタンダード関係の書類も多く、次から次へと書かなきゃならない書類・書類・書類…、悉皆研修のeラーニングなんかもある。生徒指導上の問題は、誰にも相談出来ずに一人で抱え込み、ストレスを溜め込んでいると心がどんどん病んでいく。
更に人事考課制度による上からの評価を常に気にし、まともな意見に対しても、上から気に入られないと理不尽な扱いを受ける。
若い教員が不当処分を受け、裁判に訴え勝利しても司法判断無視の暴挙。校長だって気に入られなければ長期研修。こうやって教員人生が壊されると思えば、魂を売る者、諦める者、都教委路線に追随していく者が現れるのも当然なのか。
2003年通達以降、学校現場への恫喝は、教員のみならず、管理職や教育庁内の身内役人にまで浸透し、正当な抵抗をする者は極めて少数になってしまった。組合も組織率が下がり、職場会すら開けない分会も多い。
年間行事も授業計画も決まっているのに、後出しで突然「オリパラ教育年間35時間」が教育庁から連絡される。校長の教育課程編成権なんて完全無視。そこへ6千万円以上の予算。この金は都民の電気の為に被災し、今も苦しむ福島復興の為に使うべきではないのか!?
今学校がどういう状況か、全体像を見ようとしても見ることが出来ず、知らないところで知らない内に大切なことが決められて行く。何が組織人だ、何が組織的対応だ。
抵抗する私でさえ、どんどん歯車にされて行く。職員室で「手のかかる○○はもう退学すればいい」なんていう会話を聞くとがっかりする。都教委に管理された教員が、生徒達を管理して行く。管理の連鎖で、生活指導も進路指導も学習指導も、まるで調教の様相を呈している。
平和や民主主義や未来の真の幸福を求め、基本的人権を尊重し平和に資する民主的な社会人を育てる教育本来の目標は一体どこへ行ってしまったのか?
都教委の理不尽さは「より良い教育の実現」ではなく、権力を笠に着て教員を虐め抜くことにある。
都知事を含め、役人達の違法行為は無反省・無責任なのに対し、彼等が教員を扱う際の意地の悪さは超々一流だ。
それでも現場で出来ることはまだある。教員同士が助け合うこと。大変だけど、ひとりでも多くの迷える生徒を救い出す仕事をすること。一教員として孤立感や焦燥感を乗り越えて行くのは本当にしんどいことだけど、学校内に仲間が3人いれば何とかなる。見つけよう!
働きながら闘うのは本当にしんどい。今から「退職後はゆっくりしたい」と心底思う。でも、退職者やひきつぐ会の皆さんには、現場の外から、私達の後ろから、是非とも闘いの追い風を起こして欲しい。
先細りになって、残された現役教員が俯いて歩くのではなく、国会外の市民の力で国会議員を後押ししたように、そんなパワーが欲しい。
また、私達世代の知らない事実を、知識として情報を与えて欲しい。
私なんて、石原が出てこなければ、政治のセの字も知らない単なる数学野郎でしたから、ヒトラーがボランティアを奨励し、奉仕を義務付け、奉仕の一環として兵役を課していったことや、戦前の日本でも、奉仕の精神が戦争国家体制を作り上げて行った史実も、その詳細を知らないのです。
参院選に向け、マスコミは安倍の消費増税延期を巡る論議ばかりを振り撤き、肝心な憲法論議や戦争法案論議を押し潰している。
私は、自分が良ければそれで良いという訳じゃない。戦争放棄し、憲法9条を持つ国であったのに、子孫にそれを残せない祖先でありたくないのです。
殺したり殺されたりさせたくない。みんな幸福に生きて欲しい。そういう理想を語ることが、いけないはずはないでしょ!?
(井黒 豊)
『いまこそ No.10』(2016/6/16)
◆ 都教委の理不尽さは「より良い教育の実現」ではなく、
権力を笠に着て教員を虐め抜くことにある。
私のように、思ったままを口にし、思ったまま行動し、思ったまま生きていると、処分ばかり受けて昇給も昇格も再任用ですら拒否される。
それを避けるには都教委からの抑圧に慣れ、批判力を奪われ、腑抜けになって都教委のやり方に順応し、身を守るしかない。守りに入った教員は、朝早くから夜遅くまで学校にいる。土日はクラブ指導や土曜講習の為に出勤し、授業準備や分掌業務、自己申告書に年間授業計画、学力スタンダード関係の書類も多く、次から次へと書かなきゃならない書類・書類・書類…、悉皆研修のeラーニングなんかもある。生徒指導上の問題は、誰にも相談出来ずに一人で抱え込み、ストレスを溜め込んでいると心がどんどん病んでいく。
更に人事考課制度による上からの評価を常に気にし、まともな意見に対しても、上から気に入られないと理不尽な扱いを受ける。
若い教員が不当処分を受け、裁判に訴え勝利しても司法判断無視の暴挙。校長だって気に入られなければ長期研修。こうやって教員人生が壊されると思えば、魂を売る者、諦める者、都教委路線に追随していく者が現れるのも当然なのか。
2003年通達以降、学校現場への恫喝は、教員のみならず、管理職や教育庁内の身内役人にまで浸透し、正当な抵抗をする者は極めて少数になってしまった。組合も組織率が下がり、職場会すら開けない分会も多い。
年間行事も授業計画も決まっているのに、後出しで突然「オリパラ教育年間35時間」が教育庁から連絡される。校長の教育課程編成権なんて完全無視。そこへ6千万円以上の予算。この金は都民の電気の為に被災し、今も苦しむ福島復興の為に使うべきではないのか!?
今学校がどういう状況か、全体像を見ようとしても見ることが出来ず、知らないところで知らない内に大切なことが決められて行く。何が組織人だ、何が組織的対応だ。
抵抗する私でさえ、どんどん歯車にされて行く。職員室で「手のかかる○○はもう退学すればいい」なんていう会話を聞くとがっかりする。都教委に管理された教員が、生徒達を管理して行く。管理の連鎖で、生活指導も進路指導も学習指導も、まるで調教の様相を呈している。
平和や民主主義や未来の真の幸福を求め、基本的人権を尊重し平和に資する民主的な社会人を育てる教育本来の目標は一体どこへ行ってしまったのか?
都教委の理不尽さは「より良い教育の実現」ではなく、権力を笠に着て教員を虐め抜くことにある。
都知事を含め、役人達の違法行為は無反省・無責任なのに対し、彼等が教員を扱う際の意地の悪さは超々一流だ。
それでも現場で出来ることはまだある。教員同士が助け合うこと。大変だけど、ひとりでも多くの迷える生徒を救い出す仕事をすること。一教員として孤立感や焦燥感を乗り越えて行くのは本当にしんどいことだけど、学校内に仲間が3人いれば何とかなる。見つけよう!
働きながら闘うのは本当にしんどい。今から「退職後はゆっくりしたい」と心底思う。でも、退職者やひきつぐ会の皆さんには、現場の外から、私達の後ろから、是非とも闘いの追い風を起こして欲しい。
先細りになって、残された現役教員が俯いて歩くのではなく、国会外の市民の力で国会議員を後押ししたように、そんなパワーが欲しい。
また、私達世代の知らない事実を、知識として情報を与えて欲しい。
私なんて、石原が出てこなければ、政治のセの字も知らない単なる数学野郎でしたから、ヒトラーがボランティアを奨励し、奉仕を義務付け、奉仕の一環として兵役を課していったことや、戦前の日本でも、奉仕の精神が戦争国家体制を作り上げて行った史実も、その詳細を知らないのです。
参院選に向け、マスコミは安倍の消費増税延期を巡る論議ばかりを振り撤き、肝心な憲法論議や戦争法案論議を押し潰している。
私は、自分が良ければそれで良いという訳じゃない。戦争放棄し、憲法9条を持つ国であったのに、子孫にそれを残せない祖先でありたくないのです。
殺したり殺されたりさせたくない。みんな幸福に生きて欲しい。そういう理想を語ることが、いけないはずはないでしょ!?
(井黒 豊)
『いまこそ No.10』(2016/6/16)
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