本日(4/11)、「君が代」減給処分取消訴訟結審しました。法廷で、最後の意見陳述を行いました。お読みいただければ、嬉しいです。判決は、7月6日(水)13:10 大阪地裁809号法廷
裁判官をはじめみなさまへ、本法廷において最後の陳述の機会を与えていただき感謝します。
さて、本裁判のなかで、私が一番情けない思いがしたのは、被告の準備書面にあった次の下りです。
「‥原告は入学式式場である体育館に無断で入場し‥」、
「‥原告は座席指定により空席がないことを知って丸椅子を持って無断で式場内に入り‥」
いったい、教員が入学式や卒業式に参列することに、誰の許可を受ける必要があるのでしょうか。それとも「君が代」に異議を表明する教員が入学式や卒業式に参列することは許さなれないのでしょうか。
私はこれまでできる限り入学式や卒業式に参列して来ました。それは私の仕事だと思っています。だから、条例が施行され職務命令が出ても、私は、私の仕事をまっとうしようと考えました。
大阪府知事であった橋下徹氏は、メディアを通して「君が代」を歌わない教員はクビにすると何度も断言しました。それに対し当時の中西教育長は、やむなく通達を出しました。被告はこれを職務命令だと強弁します。
しかし、これまで、どこの都道府県や市町村において、「教育長通達」を職務命令とした教育委員会があったでしょうか。教育長が教員に職務命令を発出できると認めるならば、今後どのような事態を招くとも限りません。教育委員会制度が改変された今日では、なおさらです。
少し話は変わりますが、今から10年ほど前、教員評価の給与反映の問題について、ある卒業生から、「評価が給与に反映され、それで働き方が変わるとしたら、先生たちの職業倫理なんてその程度のものなの?」と聞かれたことがありました。
その時、これまであまり考えることのなかった「職業倫理」という言葉がとても印象に残りました。「君が代」条例が施行されたときも、その言葉が浮かびました。
「君が代」起立斉唱職務命令が出るまで、私は命令によって仕事をしたことは一度もありません。
校長は、条例が成立した以上、仕方がない、命令に従わなければ処分されると何度も言いました。
私は、不本意であっても処分を避けるため命令が出た以上それに従うか、それとも私がこれまで教員という仕事を行うなかでできた職業倫理を重んじるか、考えました。そして、私は、これまでと同じようにしよう、条例や命令より自分の本意にしたがおう、すなわち卒業式に参列しようと決心したのです。
そのために校長への説得をはじめあらゆることをやりました。私を参列させまいと座席指定がされた時、どうしてそこまで‥と思いましたが、それでも私の気持ちは変わりませんでした。
今、私は二つのことを危惧しています。
ひとつは日本の国全体の状況です。本年2月馳文部科学大臣が、国立大学として交付金をもらいながら「君が代」斉唱しないと言うのは自分の感覚からすれば恥ずかしいと言う趣旨の発言をしました。この発言ひとつを取ってみても、「日の丸」「君が代」の強制が、小中、高校ばかりではなく大学にまで及んで来たことが分かります。
そして、もうひとつは、「君が代」条例に即して出された職務命令に違反したとして、「君が代」不起立が、戒告処分にされ、次に減給処分にされることが認められたとしたら、、、、誰もが、職員基本条例にあるように、「君が代」不起立は免職すなわちクビもあり得ると恐怖します。
教員とて労働者であり生活者です。不本意だがしかたがない―、そう考える教員が増えることは予想されます。
入学式や卒業式で、すべての教員が「君が代」を斉唱する構図ができあがったなら、次は生徒が歌わされます。
戦中・戦後を生きた教員たちが痛恨の思いで残した戒めの言葉は今もあります。学校が戦争への道の片棒を担ぐことはあってはならないことです。
裁判長、全国で唯一教職員に「君が代」起立斉唱を命令し、不起立であれば免職まで規定する大阪府の条例はあまりにも危険です。どうか憲法に則った正しいご判断をお願いいたします。
『教育基本条例下の辻谷処分を撤回させるネットワーク』(2016-04-11)
http://blog.goo.ne.jp/tnet0924/e/dc23f7fb67d80f9058dc27fd06a213e6
◎ 「君が代」不起立減給処分取消訴訟:最終意見陳述書
裁判官をはじめみなさまへ、本法廷において最後の陳述の機会を与えていただき感謝します。
さて、本裁判のなかで、私が一番情けない思いがしたのは、被告の準備書面にあった次の下りです。
「‥原告は入学式式場である体育館に無断で入場し‥」、
「‥原告は座席指定により空席がないことを知って丸椅子を持って無断で式場内に入り‥」
いったい、教員が入学式や卒業式に参列することに、誰の許可を受ける必要があるのでしょうか。それとも「君が代」に異議を表明する教員が入学式や卒業式に参列することは許さなれないのでしょうか。
私はこれまでできる限り入学式や卒業式に参列して来ました。それは私の仕事だと思っています。だから、条例が施行され職務命令が出ても、私は、私の仕事をまっとうしようと考えました。
大阪府知事であった橋下徹氏は、メディアを通して「君が代」を歌わない教員はクビにすると何度も断言しました。それに対し当時の中西教育長は、やむなく通達を出しました。被告はこれを職務命令だと強弁します。
しかし、これまで、どこの都道府県や市町村において、「教育長通達」を職務命令とした教育委員会があったでしょうか。教育長が教員に職務命令を発出できると認めるならば、今後どのような事態を招くとも限りません。教育委員会制度が改変された今日では、なおさらです。
少し話は変わりますが、今から10年ほど前、教員評価の給与反映の問題について、ある卒業生から、「評価が給与に反映され、それで働き方が変わるとしたら、先生たちの職業倫理なんてその程度のものなの?」と聞かれたことがありました。
その時、これまであまり考えることのなかった「職業倫理」という言葉がとても印象に残りました。「君が代」条例が施行されたときも、その言葉が浮かびました。
「君が代」起立斉唱職務命令が出るまで、私は命令によって仕事をしたことは一度もありません。
校長は、条例が成立した以上、仕方がない、命令に従わなければ処分されると何度も言いました。
私は、不本意であっても処分を避けるため命令が出た以上それに従うか、それとも私がこれまで教員という仕事を行うなかでできた職業倫理を重んじるか、考えました。そして、私は、これまでと同じようにしよう、条例や命令より自分の本意にしたがおう、すなわち卒業式に参列しようと決心したのです。
そのために校長への説得をはじめあらゆることをやりました。私を参列させまいと座席指定がされた時、どうしてそこまで‥と思いましたが、それでも私の気持ちは変わりませんでした。
今、私は二つのことを危惧しています。
ひとつは日本の国全体の状況です。本年2月馳文部科学大臣が、国立大学として交付金をもらいながら「君が代」斉唱しないと言うのは自分の感覚からすれば恥ずかしいと言う趣旨の発言をしました。この発言ひとつを取ってみても、「日の丸」「君が代」の強制が、小中、高校ばかりではなく大学にまで及んで来たことが分かります。
そして、もうひとつは、「君が代」条例に即して出された職務命令に違反したとして、「君が代」不起立が、戒告処分にされ、次に減給処分にされることが認められたとしたら、、、、誰もが、職員基本条例にあるように、「君が代」不起立は免職すなわちクビもあり得ると恐怖します。
教員とて労働者であり生活者です。不本意だがしかたがない―、そう考える教員が増えることは予想されます。
入学式や卒業式で、すべての教員が「君が代」を斉唱する構図ができあがったなら、次は生徒が歌わされます。
戦中・戦後を生きた教員たちが痛恨の思いで残した戒めの言葉は今もあります。学校が戦争への道の片棒を担ぐことはあってはならないことです。
裁判長、全国で唯一教職員に「君が代」起立斉唱を命令し、不起立であれば免職まで規定する大阪府の条例はあまりにも危険です。どうか憲法に則った正しいご判断をお願いいたします。
『教育基本条例下の辻谷処分を撤回させるネットワーク』(2016-04-11)
http://blog.goo.ne.jp/tnet0924/e/dc23f7fb67d80f9058dc27fd06a213e6
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