《再雇用拒否撤回第2次訴訟第8回口頭弁論(2011/6/20)代理人陳述》<1>
◎ 公務員であることが、思想・良心の自由を制約する正当な根拠とはなりえない
これから,準備書面(9)と準備書面(10)の要旨を順に話します。
第1準備書面(9)
1 (1)準備書面(9)は,被告が答弁書などで主張している理由は,思想・良心の自由を制約する根拠になりえないということが記載されています。具体的に話していきます。
被告は,自由な意思で公立学校教職員という特別な法律関係に入ったことが思想・良心の自由を制約する根拠になるという主張をしています。
しかし,これは,特別権力関係理論を持ち出すことに他なりません。これでは,公務員に対する人権は,実質的に保障されないことになります。このような制約根拠が不当であることは明らかです。
また,「教育公務員の法律関係の存立目的」という抽象的な根拠を被告は持ち出しますが,これも人権を制約する正当な根拠になり得ません。一般的な法令遵守義務,職務命令遵守義務,服務宣誓義務などは,根拠になりません。
そもそも,人権を制約する根拠として,憲法よりも下位の法規範を持ち出すことは,法律で決められた範囲で人権が保障されるという,いわゆる法律の留保型人権保障論にほかならず,およそ,日本国憲法下では許されません。被告の主張がまかり通れば,原告らの思想・良心が蹂躙されてしまい,不当なことは明らかです。
(2)仮に,公務員の職務に関連して,人権が制約される場合があるとしても,それは,公務員の人権が,結局のところ,他の者の人権と衝突する場面でなければなりません。
より具体的に話しますと,公務員の人権の制約が正当化されるかどうかは,
①その人権が精神的自由権なのか,精神的自由権のなかで,どのような人権なのか,その内容・性質を考慮したうえで,
②その公務員の職務の内容・性質,
③これを突き詰めれば,その公務員が職務を遂行することによって保障される他の者の基本的人権の内容・性質を考慮し,
④個別・具体的に制約の正当化根拠があるかどうか
という枠組みで判断しなければなりません。
憲法15条が「全て公務員は,全体の奉仕者であって,一部の奉仕者ではない」と規定しているのも,このような文脈で理解する必要があります。
2 また,被告は,「公共の福祉」によって,原告らの人権が,職務の公共性に由来する内在的制約を受けるとも主張します。
公共の福祉とは,人権と人権との間の矛盾・衝突を調整する原理であると理解されています。このような理解からすれば,被告は,原告らの不起立等によって,他者のいかなる人権が具体的に侵害されるのかを明らかにしなければなりません。「職務の公共性」は,人権ではありません。
そして,原告らの不起立等によって,現実に,生徒の教育を受ける権利が侵害されないことは,これまでに縷々主張してきたとおりです。
3 ところで,被告は,原告らが公務員であることを強調しますが,原告らは,「教育」公務員であり,その職務の性質上,自由・独立が保障されていることを重視する必要があります。
教育公務員の職務は,その性質上,自由・独立が保障されていることは,旭川学力テスト判決や「不当な支配」の禁止条項から明らかです。この自由・独立性は他の法制度にも表れています。例えば,教育基本法9条2項の「身分の尊重」規定,教育公務員特例法の存在が挙げられます。
教育公務員の自由・独立性は,教育が,
①生徒の多様な個性に応じ,教師が全人格をかけて行う必要があること,
②過去の反省から権力による思想統制を排除する必要があることから認められるものです。
③教育現場において,生徒が,多様な価値観に出会わなければ,自分の頭で考えたり,考え方の違う人を受け入れたりすることができなくなります。その結果,言われたことしかできない人間や,多様な考え方を理解できない人間,考え方の違う他人を排除する人間が育成されていきます。生徒たちが思想・良心を形成するにあたって大きな問題が生じることになるのです。
教育公務員は,このような事態が生じないように全人格をかけて職務に全うする必要があり,上意下達の指揮命令系統は教育公務員には及ばないのです。
被告は,このような教育公務員の職務の自由・独立性を全く考慮することなく,原告らの思想・良心の自由の制約を正当化しようとするもので,被告の主張が不当なことは明らかです。
◎ 公務員であることが、思想・良心の自由を制約する正当な根拠とはなりえない
代理人弁護士 村田良介
これから,準備書面(9)と準備書面(10)の要旨を順に話します。
第1準備書面(9)
1 (1)準備書面(9)は,被告が答弁書などで主張している理由は,思想・良心の自由を制約する根拠になりえないということが記載されています。具体的に話していきます。
被告は,自由な意思で公立学校教職員という特別な法律関係に入ったことが思想・良心の自由を制約する根拠になるという主張をしています。
しかし,これは,特別権力関係理論を持ち出すことに他なりません。これでは,公務員に対する人権は,実質的に保障されないことになります。このような制約根拠が不当であることは明らかです。
また,「教育公務員の法律関係の存立目的」という抽象的な根拠を被告は持ち出しますが,これも人権を制約する正当な根拠になり得ません。一般的な法令遵守義務,職務命令遵守義務,服務宣誓義務などは,根拠になりません。
そもそも,人権を制約する根拠として,憲法よりも下位の法規範を持ち出すことは,法律で決められた範囲で人権が保障されるという,いわゆる法律の留保型人権保障論にほかならず,およそ,日本国憲法下では許されません。被告の主張がまかり通れば,原告らの思想・良心が蹂躙されてしまい,不当なことは明らかです。
(2)仮に,公務員の職務に関連して,人権が制約される場合があるとしても,それは,公務員の人権が,結局のところ,他の者の人権と衝突する場面でなければなりません。
より具体的に話しますと,公務員の人権の制約が正当化されるかどうかは,
①その人権が精神的自由権なのか,精神的自由権のなかで,どのような人権なのか,その内容・性質を考慮したうえで,
②その公務員の職務の内容・性質,
③これを突き詰めれば,その公務員が職務を遂行することによって保障される他の者の基本的人権の内容・性質を考慮し,
④個別・具体的に制約の正当化根拠があるかどうか
という枠組みで判断しなければなりません。
憲法15条が「全て公務員は,全体の奉仕者であって,一部の奉仕者ではない」と規定しているのも,このような文脈で理解する必要があります。
2 また,被告は,「公共の福祉」によって,原告らの人権が,職務の公共性に由来する内在的制約を受けるとも主張します。
公共の福祉とは,人権と人権との間の矛盾・衝突を調整する原理であると理解されています。このような理解からすれば,被告は,原告らの不起立等によって,他者のいかなる人権が具体的に侵害されるのかを明らかにしなければなりません。「職務の公共性」は,人権ではありません。
そして,原告らの不起立等によって,現実に,生徒の教育を受ける権利が侵害されないことは,これまでに縷々主張してきたとおりです。
3 ところで,被告は,原告らが公務員であることを強調しますが,原告らは,「教育」公務員であり,その職務の性質上,自由・独立が保障されていることを重視する必要があります。
教育公務員の職務は,その性質上,自由・独立が保障されていることは,旭川学力テスト判決や「不当な支配」の禁止条項から明らかです。この自由・独立性は他の法制度にも表れています。例えば,教育基本法9条2項の「身分の尊重」規定,教育公務員特例法の存在が挙げられます。
教育公務員の自由・独立性は,教育が,
①生徒の多様な個性に応じ,教師が全人格をかけて行う必要があること,
②過去の反省から権力による思想統制を排除する必要があることから認められるものです。
③教育現場において,生徒が,多様な価値観に出会わなければ,自分の頭で考えたり,考え方の違う人を受け入れたりすることができなくなります。その結果,言われたことしかできない人間や,多様な考え方を理解できない人間,考え方の違う他人を排除する人間が育成されていきます。生徒たちが思想・良心を形成するにあたって大きな問題が生じることになるのです。
教育公務員は,このような事態が生じないように全人格をかけて職務に全うする必要があり,上意下達の指揮命令系統は教育公務員には及ばないのです。
被告は,このような教育公務員の職務の自由・独立性を全く考慮することなく,原告らの思想・良心の自由の制約を正当化しようとするもので,被告の主張が不当なことは明らかです。
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