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東京都の元「藤田先生を応援する会」有志によるブログ(2004年11月~2022年6月)のアーカイブ+αです。

指導主事の日本語理解能力のレベル!?

2006年02月23日 | 増田の部屋
こんばんは。犯罪都教委&3悪都議と、断固、闘う増田です!
 本日は、○○指導主事に、以下のように日本語の指導をしてあげることになりました。

06年2月22日(水)の研修日誌
「○○指導主事による、他人の言葉を捻じ曲げ歪曲し論難し、更に居直るやり方の研修」


 本日、○○指導主事は、昨日の「○○指導主事による、他人の言葉を捻じ曲げ、歪曲して論難するやり方研修」日誌文中のテープ起こし部分に『侵略』のビデオを「どうしても・・・見られない人は、見なくても、言葉だけでも(聴くだけで)かまわない」(注:「・・・」は聴取不能部分ではなく間合いである。通常聴取不能部分は「○○○○」とか「××××」などで表わされる)とあり、「(聴くだけで)」を補ってあるのを除けば、これは「見たくなければ見ずともよい」ということだ、と強弁し、居直りを決め込まれた。
 では、テープ起こしの発言部分だけに絞ってみよう。
 「どうしても、見られない人は、見なくても、言葉だけでもかまわない」と、私は発言している。この場合、「言葉だけでもかまわない」ということは、「残虐すぎて、とても画面を見ることができない人は、画面は見ないでもよいから、ナレーションの言葉だけは聴いてください」という日本語であることを、○○指導主事には理解不可能のようであるが、私の生徒達は、日本語理解能力があるため正確に理解した。当然、『侵略』ビデオを教材に使い出して20年にはなるが、生徒たちは、ただの一人も「教室を出て、授業に参加できない」という事実を作らなかった。

 「どうしても、見られない人は、見なくても、言葉だけでもかまわない」という日本語は、「見たくなければ見ずともよい」という日本語とは「全く異なっている」ものであるにもかかわらず、○○指導主事には全く理解できないらしい。さてこそ、他人の言葉を捻じ曲げ、歪曲して論難した上に、更に居直って平然たるの精神構造の所以なのであろう。しかし、○○指導主事の日本語コミュニュケーション能力には、非常に難があることは歴然としている。これは、教育公務員としては、甚だしい資質不足を表しているものと思量される。(○○指導主事には小学校全科の教員でいらしたそうで、中学校の体育科教員でいらしたものと勘違いして失礼をしてしまったが、いずれにしても日本語理解能力不足、コミュニケーション能力不足は、学校現場に限らず致命的ではなかろうか。)

 そこで、ここで、○○指導主事のために、二つの日本語の文章の意味するところの違いを分かりやすく説明してさし上げるものとする。

 「どうしても、見られない人は、見なくても、言葉だけでもかまわない」という日本語は、前記詳述したように「残虐すぎて、とても画面を見ることができない人は、画面は見ないでもよいから、ナレーションの言葉だけは聴いてください」という意味であり、デリケートな生徒、気の弱い生徒に配慮した上で、そういう生徒でもきちんと授業に参加できるように「構成」したものであって、「一部の生徒が教室を出て、授業に参加できないという授業構成」とは正反対のものであることを意味している。つまり「全ての生徒が、教室にいて、授業に参加できる授業構成」であることを意味しているのである。このことは、通常の日本語理解能力、通常の日本語コミュニケーション能力を持つ場合は、公務員、教育公務員を問わず、通常の人ならば理解可能である。

 それに対して、「見たくなければ見ずともよい」という日本語は、何とも投げやりで、冷たいもので、唾棄すべき態度であり、とても授業を行う教員の態度ではなく、このような言葉を発したのが「事実」であったのなら、これは「配慮」というには、もちろん、値しないものである。

 では、なぜ、○○指導主事&課題作成者には、このような信じられない日本語理解能力・コミュニケーション能力を発揮なされたのか? それは、このように、私の発言を捻じ曲げ、歪曲した上で、私の『侵略』の授業に対して、「一部の生徒が教室を出て、授業に参加できないという授業構成」である、というイチャモンを付ける必要のためであったものと推察される。つまり、私・増田が「見たくなければ見ずともよい」と、生徒に対して「何とも投げやりで、冷たい」「唾棄すべき態度であり、とても授業を行う教員の態度」とは思えないような発言をしたことに、何がなんでも捻じ曲げ、歪曲しなければならなかった、ということなのである。

 さて、ここまで説明してさし上げれば、いかに○○指導主事におかれても、自分が他人の言葉を捻じ曲げ、歪曲したことを明確に、ご理解いただけたのではないかと思量する。つまり、○○指導主事は、私の発言を、イチャモン付けのために捻じ曲げ、歪曲し、それを昨日、指摘されると、本日、さらにテープ録音という動かぬ証拠があるにもかかわらず、「同じ意味だ」などと強弁し、更に居直る、つまり、二重に居直るという、通常の判断力・モラルを身に付けていれば公務員・教育公務員を問わず通常の人ならば、考えられない態度を示された。つまり、○○指導主事には、いわゆる「恥の上塗り」という態度を暴露しながら、なお、平然として見せるという、素晴らしい「研修」を、身を以って践み行って見せていただいたわけである。

 しかして、もし○○指導主事が通常の判断力・モラルをお持ちであれば、私・増田に対して謝罪を必要とする、ということは理解可能であろうと思量されるのだが・・・(注:この場合の「・・・」は、自信がないことを表す)

 さて、最後に、是非、○○指導主事に教えていただきたい。あなたが小学校の先生時代、体育の授業をしておられた時、その運動について「不注意にやれば危険性もある」と説明すれば「私は危ないから、いやです」という生徒も出る可能性があったといえる。実際にはいなかったからといって「子どもの心の中を見ることはできないのだから、『いない』とは言えない」というのが○○指導主事の御持論であるから、この可能性を否定はできまい。その時「一部の生徒が体育館を出て、授業に参加できないという授業構成でよいのか。」と詰問されたら、どう答えられるか? ぜひ、後学のため、お答えいただくという「ご支援」を、いただきたい。

 なお、○○指導主事&研修担当者には「テープ録音の有効性」を、以後は否定なさらないだろう、ということを付言しておく。

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