久々 ブログ。このところ、この数日間、ずっと占いの勉強をしていた。ちょこっとシンデレラ、あと、とうちゃんと、マンマミーヤと喧嘩にならない喧嘩。プチ(=ブチッ)外出。少し状況変化、よき方向へ。
今朝もいつものように父ちゃんたちのジャパン・ソウル・フードを作って、洗濯機を回してから、ららちゃんのお散歩。本日は大体10匹くらいのお犬様と出会う。ららちゃんは物怖じしない。よく遊んでいただく。
とはいえ、相手によっては飛びついて、じゃれたり、吠えたりするから、どこまでやらせればいいのかがさっぱりわからない。
相手の飼い主の方が「あそびたいのね~。」っておっしゃってくだされば、様子をみながらそのまんま、やらせる。
別れ際、忘れずに言う。「 ありがとうございました。」
大体、犬だって人間だって、幼いころに喧嘩をしっかりやらせるべきよね。
本能のまま生きているお犬さまたちを見ると時々羨ましく思うことがある。
昨日は占い学校。これまたさっぱりわからなくなっているのはいつものこと。校長先生はいままでお習いしたことが全部頭にはいっている前提で授業をするから、書き取ることだけで精いっぱい。復習をして行っても、何が何だかよくわからない。
本日は家事をやりつつ昨日の復習をする予定。できれば来年の6月に合格したいけれど、下手したら3割合格、多くて、半分の人が合格といわれている。ワタシはいつもは偉そうにしているけれど、珍しく、まったく自信がない。時間を切られるのが一番堪える。
ただいまは、残りの半分に入るであろうことはわかる。だけど、めげないところがワタシの良いところ。「とりゃ~。」(→気合いをいれている声。)
これは、珍しく、マンマミーヤが褒めてくれる。「 おかあさん、すごいね。」
占いに翻弄されているつもりはないし、またされてはいけないと思ってはいるけれど、自分の来し方や、家族たちの星々をみていると、あながち否定はできないと思う。きれいごとだけで家族の関係はつくることはできない。ひたすら我慢の連続だったりする。持ってうまれた★が微妙。(夫婦、お互い様だけど)
昨夕、いつものお勉強会に参加。UさんとHさんとワタシ。お二人とも子育ては終わっている。Uさんは旦那さまが亡くなられて、元気いっぱい。
元気いっぱい、って言うと不謹慎かもしれないけれど、やっぱり元気。
「え~おしんですか?」っていうくらいのすざまじい状況下におかれた長男の嫁。たぶんだけど、シベリア抑留帰りの旦那様のご両親に問題ありだよな。戦争の爪痕ってこういうところにもあるんじゃあないかと感じた。
親と嫁とどっちをとるか?なんていう、問題にすべきではない問題かも知れないけれど、やっぱり重要課題ではあるよね。
嫁・姑・舅の問題、親子の問題、夫婦の問題はやっぱり永遠の課題だと思う。
Uさん、ご両親の言いなりだった旦那さんと別れるつもりで、貯金をし始めて、そろそろ・・・なんていうときに旦那さまが亡くなったらしい。まあ そのことをどのようにとらえるかは、いろいろな考え方があるだろうから何とも言えないけれど。
一つ感じたのは夫婦の問題に家族や他人が入りこむべきじゃあないよな、ってこと。だって大人と大人の婚姻なわけですものね。絶対にわかりっこない世界だもの、夫婦の問題は。一日一日の積み重ねでしょ、これだって。
とはいえ、子供がまだ小さいうちは夫婦は離婚しないで頑張る方がいいと思う。だって「気」が半分になるからね。別れるのであれば、自分が二人分(男と女=父と母)以上のことをやる覚悟じゃあきゃあいけないんだろうなと思う。
どんなに頑張ったって、所詮女は男にはなれないんだし、男は女になれない。
子供が成人したら、そこからはそれぞれの人生だよな。民主主義をふりかざすのもどうかと思うけれど、だからといって封建的なのもほどほどにしないと時代においていかれそうだよね。
いずれにせよ、戦後の日本の国は財をおいかけ過ぎたと思う。
「 財 」つまりは現実(肉体)が豊かになると、精神をやられる。
本当の豊かさって何なんだろう?
結局のところ、人生って、いろいろなものを得、いろいろなものを失い、その中で自分を考えていくことなんじゃあないかな?と思う。努力だけじゃあ報われない、もっと根の深い、原罪っていうのかな?そのようなところからスタートしていると考えなくては、納得できないようなところがあると思う。
>写真は、うちからみた、ある日の 朝日。
今朝もいつものように父ちゃんたちのジャパン・ソウル・フードを作って、洗濯機を回してから、ららちゃんのお散歩。本日は大体10匹くらいのお犬様と出会う。ららちゃんは物怖じしない。よく遊んでいただく。
とはいえ、相手によっては飛びついて、じゃれたり、吠えたりするから、どこまでやらせればいいのかがさっぱりわからない。
相手の飼い主の方が「あそびたいのね~。」っておっしゃってくだされば、様子をみながらそのまんま、やらせる。
別れ際、忘れずに言う。「 ありがとうございました。」
大体、犬だって人間だって、幼いころに喧嘩をしっかりやらせるべきよね。
本能のまま生きているお犬さまたちを見ると時々羨ましく思うことがある。
昨日は占い学校。これまたさっぱりわからなくなっているのはいつものこと。校長先生はいままでお習いしたことが全部頭にはいっている前提で授業をするから、書き取ることだけで精いっぱい。復習をして行っても、何が何だかよくわからない。
本日は家事をやりつつ昨日の復習をする予定。できれば来年の6月に合格したいけれど、下手したら3割合格、多くて、半分の人が合格といわれている。ワタシはいつもは偉そうにしているけれど、珍しく、まったく自信がない。時間を切られるのが一番堪える。
ただいまは、残りの半分に入るであろうことはわかる。だけど、めげないところがワタシの良いところ。「とりゃ~。」(→気合いをいれている声。)
これは、珍しく、マンマミーヤが褒めてくれる。「 おかあさん、すごいね。」
占いに翻弄されているつもりはないし、またされてはいけないと思ってはいるけれど、自分の来し方や、家族たちの星々をみていると、あながち否定はできないと思う。きれいごとだけで家族の関係はつくることはできない。ひたすら我慢の連続だったりする。持ってうまれた★が微妙。(夫婦、お互い様だけど)
昨夕、いつものお勉強会に参加。UさんとHさんとワタシ。お二人とも子育ては終わっている。Uさんは旦那さまが亡くなられて、元気いっぱい。
元気いっぱい、って言うと不謹慎かもしれないけれど、やっぱり元気。
「え~おしんですか?」っていうくらいのすざまじい状況下におかれた長男の嫁。たぶんだけど、シベリア抑留帰りの旦那様のご両親に問題ありだよな。戦争の爪痕ってこういうところにもあるんじゃあないかと感じた。
親と嫁とどっちをとるか?なんていう、問題にすべきではない問題かも知れないけれど、やっぱり重要課題ではあるよね。
嫁・姑・舅の問題、親子の問題、夫婦の問題はやっぱり永遠の課題だと思う。
Uさん、ご両親の言いなりだった旦那さんと別れるつもりで、貯金をし始めて、そろそろ・・・なんていうときに旦那さまが亡くなったらしい。まあ そのことをどのようにとらえるかは、いろいろな考え方があるだろうから何とも言えないけれど。
一つ感じたのは夫婦の問題に家族や他人が入りこむべきじゃあないよな、ってこと。だって大人と大人の婚姻なわけですものね。絶対にわかりっこない世界だもの、夫婦の問題は。一日一日の積み重ねでしょ、これだって。
とはいえ、子供がまだ小さいうちは夫婦は離婚しないで頑張る方がいいと思う。だって「気」が半分になるからね。別れるのであれば、自分が二人分(男と女=父と母)以上のことをやる覚悟じゃあきゃあいけないんだろうなと思う。
どんなに頑張ったって、所詮女は男にはなれないんだし、男は女になれない。
子供が成人したら、そこからはそれぞれの人生だよな。民主主義をふりかざすのもどうかと思うけれど、だからといって封建的なのもほどほどにしないと時代においていかれそうだよね。
いずれにせよ、戦後の日本の国は財をおいかけ過ぎたと思う。
「 財 」つまりは現実(肉体)が豊かになると、精神をやられる。
本当の豊かさって何なんだろう?
結局のところ、人生って、いろいろなものを得、いろいろなものを失い、その中で自分を考えていくことなんじゃあないかな?と思う。努力だけじゃあ報われない、もっと根の深い、原罪っていうのかな?そのようなところからスタートしていると考えなくては、納得できないようなところがあると思う。
>写真は、うちからみた、ある日の 朝日。