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夢をみたんだ の  訂正

2011-03-18 18:58:50 | 児言態 & たぬき先生との往復書簡
たぬきちから メールが届いた。

たぬきちの夢のお話の内容が、違っていた。ここに訂正させていただきます。それにしても、こんなにもはっきり言葉を覚えていられるのにはびっくりだな。

それから、ワタシがとっくにリタイヤ状態・幽霊部員になっている、児言態( 児童の言語生態研究会 )のことについても書いてありますからよろしければどうぞお読みください。

。。。地震の翌朝未明、まだ電気もついていない闇の中でみた夢で言われたセリフは正確には

「地震があろうが何があろうが児言態の研究はしっかりやらねばいかん!!!」
です。「子どもを救え」等々というのではなく「児言態の研究」と言われたことに夢の中で驚いていました。

そして、あれからの自分の体験、そしてテレビでの各地の様子や人々の様子をみると、まさに上原先生の被爆体験からきているであろう「時空の転換」「世界定め」「イメージの裁断と継続」等々というのが、まさにすべてこれからの復興に向けて人々の意識のベースになる得るかどうかだと思っています。

先日もHPに書きましたが、ズタズタにされた日常の感覚をどうやって修復するか・・・そして単に元通りに修復するだけではなくて、より深めるか・・・それがさらなる自分の中にある生命力を湧き上がらせることになる。

やはり児言態がやってきたことは人間の根源そのものについてだったんだと、こうした非常時にこそ感じられて、誇りに思えます。。。。
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夢をみたんだ

2011-03-18 11:27:00 | 上原輝男先生の てるてる ワールド
朝方 夢をみたんだ。
夢というのは奇妙で 何なんだ?みたいな感じなのだけれど・・・。
>>> たぬきちのこと >>>

茨城県で被災した、たぬきちとは固定電話が通じる。マンマミーヤの大学合格のお礼の電話をかけたのがついこの間。教育に関する見解の違いでケンカ別れみたいになったが、それ(お礼の電話)をきっかけに復活した。ワタシは酔っぱらったおっさんみたいに喧嘩っぱやいのだし、たぬきちは学者タイプで、喧嘩を好まない。そしてお互いに譲れないものがあるのだと思う。
たぬきちの家は被災して、あちこちめちゃくちゃになっているらしい。唯一あった石油ストーブもひっくり返り、暖をとるというより、危険物に変身したみたいだ。

そのたぬきちは、被災したその晩だったか?上ちゃん(ワタクシ達の恩師、上原輝男先生)の夢をみたらしい。たぬきちもよくは覚えていないらしいのだが、その上ちゃんに夢の中で言われたことは、
「 こんな時こそ 勉強をしなさい。」 だったらしい。誠に、先生らしいお言葉であると思う。
 。。。ところが。。。
今朝がたみた、ワタシの夢にも、上ちゃんがでてきたんだ。お亡くなりになって以来、ワタシは上ちゃんの夢をみたことがない。( と記憶している。)
ところが、今朝、夢に出てきたんだ。
夢は大体わけわからんものであることが多い。場所はどこだかわからないが、ワタシは上ちゃんに指示されて?やってくる方々のお接待をしている様子だった。それから ヒトを探して、何だか居酒屋みたいなところを尋ね歩く。

何だかんだしていると、なぜか、外国人に ナンパされる。( ここは若い時のワタシなのだろう )で、めちゃくちゃ片言の英語で、
「 あんな~ そんな暇 あるかいっ! こっちとら 平和の為に 闘っとんじゃあ。おとといきやがれ!!」
みたいなことを言ってる風だった。あまりの勢いに自分自身がびっくりして目がさめた。もちろん、そんな英語を喋れるわけもないのだが・・・。
なぜこのような夢をみたのだろう? 多分、ワタシはこころの奥底のどこかでは、ひたすら平和を願って生きているからなのだと思う。

原爆が落ちた、あの65年前のヒロシマの街の光景にも似た東北地方の状況を目の当たりにして、ワタシは再び恩師に叱られたような気がしたのだ。
『 君たちは 一体何をしているのだ。しっかりしなさい。』と。
+++  +++ 
 何かをしなくてはならないのはわかる。だけど 何をすればいいのだろう?平和とは 一体何なのだろう?戦争はなぜ起こるのだろう?

+++ ヒロシマ 『 慰霊碑 碑文 』のこと +++
碑文論争 [編集]原爆死没者慰霊碑の石室前面には、「 安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから 」と刻まれている。

この文章は、自身も被爆者である雑賀忠義広島大学教授(当時)が撰文・揮毫したもの。浜井信三広島市長が述べた「この碑の前にぬかずく1人1人が過失の責任の一端をにない、犠牲者にわび、再び過ちを繰返さぬように深く心に誓うことのみが、ただ1つの平和への道であり、犠牲者へのこよなき手向けとなる」に準じたものであった。

この「『過ち』は誰が犯したものであるか」については、建立以前から議論があった。1952年8月2日、広島市議会において浜井市長は「原爆慰霊碑文の『過ち』とは戦争という人類の破滅と文明の破壊を意味している」と答弁している。同年8月10日の中国新聞には「碑文は原爆投下の責任を明確にしていない」「原爆を投下したのは米国であるから、過ちは繰返させませんからとすべきだ」との投書が掲載された。これにはすぐに複数の反論の投書があり、「広く人類全体の誓い」であるとの意見が寄せられた。浜井市長も「誰のせいでこうなったかの詮索ではなく、こんなひどいことは人間の世界にふたたびあってはならない」と、主語は人類全体とする現在の広島市の見解に通じる主張がなされている。


ヒロシマの原爆の被爆者であった、恩師 上原輝男先生の言葉は厳しかった。「 過ちはくりかえしませぬから 」と書いてあるけれど、有史(恐らくこの字)以来、戦争のなかった時代などなかったではないか。( 即ち、過ちはくりかえすものであると。)
しかしながら、原爆のような悲惨な状況下においても生き残るものは必ずいる。君たちは その子供たちを育てなくてはならない。

当時まだ、若かったワタシは、この言葉は被爆をしたヒトが言うならばまだ、許されるとは思うが、そうでないものがこんな事を言うことは、許されるものではないだろうと思った。

今、このような東北の地震や福島の原発の様子をみると、誠に、その通りであると思わざるを得ない。自然の完膚なきまでのすざまじい勢いの前では、なすすべのない人間の非力を思う。

しかしながら、被災者の方々の老若男女を問わず、今を生きている姿を見る時、いろいろなことを教えられる時、ワタシはワタシで自分のできる精いっぱいのことをしなくてはならない。

小さな単位で考えると、60年ごとに歴史はくりかえしていく。戦後 65年 物質の豊かさを追い求めてきた時代は終わり、これからは、こころの豊かさを問う時代になっていくのだろう。本当の豊かさとは何なのか?自分に問いかけながら、今日を生きようと思う。


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