たぬきちのHPに恩師(上原輝男先生)と藤岡喜愛先生の会話(研究会内の会話か?)のテープ起こしが載っていたので、勝手に頂いてきた。
お二人ともあの世にお出かけになったけれど、今 ここにいらしたら聞きたいことが山のようにある。
平成3年4月6日
T 聞いてばかりいて申し訳ないんですけど2年前だったか・・・生命力と想像力・・・イメージの強い子が生命力が強いってやったでしょ。その時は我が身と考えずにやっていたんですけど、最近我が身を考えるにあたってイメージが貧困というか湧かないというか・・・それは生命力がないっていうことですか?
上原 それは押さえているからですよ。「私」が押さえているからですよ。私を潰してしまえばイメージなんて出るに決まっているんです。だから「私」という個人を捨てることですよ。そうしたらパーッと広がって出てくるんです。
藤岡 あのね、「私」っていうのは「一人きり」と思うからアカンのですよ。「私」っていうのは何層もあるんです。一番上の「私」なんていうのは気楽にどうかして(?)・・・なんぼでも下から私が出てくるから・・・安心して。
T 剥いたら何も出てこなかったりして・・・。
M タマネギからっきょうみたいに・・・
上原 いや、思い切ってむいてごらん。なかったらなかったでいいじゃない。
B もともとない。
T それがおそろしい。
藤岡 それは大丈夫。こうして生きているいじょうはね「私」っていうのは少々剥いてもまだあるの。遠慮無しにどんどん剥いていって。ありますから。
・・・普通に言っている「私」っていうのは、やっぱり「こうでこうしてこう」と常にみている「私」ですよね。それを捨てろと言っているわけです。ですけどね、まだあるんですよ。捨ててもまだあるんです。・・・最後にもし「魂」というのがあるとすればね、「私」っていうのを捨ててもまだ私を成り立たせている「魂」というのはあるんですね。騙されたと思うてやってみれば分かりますから。
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Q,生命力があるか? といえば・・・
このところヘタリまくりだからな~。年もとったわけで・・・。生命力なんては 殆どなくなっている。。。ような。。。?気がする。

いろいろな自分を見つけた。なんでもいいから まずは、大いなる存在にすがりつきたくなる自分がいた。
しかしながら、今回もわかったことは、最後に自分を救うことができるのは、霊能者でも、お医者様でもなく、家族でもなく、自分の中のもう一人、二人、三人・・・の自分でしかない。ということ。(← ここ おわかりとは思いますが、ワタシが入院していたわけではありません。)
自分の目の前に現れた人の なんだかんだの事情・対応・反応・意見・顔いろ・関係(順不同)・ などなどから 学ぶくん だよな。
いいかっこしたって、繕ったって、限界点がくると、ヒトってぼろが出るっていうか、本性が現れるっていうか・・・素の自分が出るっていうか・・・ そんな存在だと思うもの。
占いは 人を理解する上でかなり役立つ方法の一つであるト思う。
表だけじゃあない裏の姿を予測できる。
だけど、それだって、自分の目というフィルターを通すから、自分勝手な理解でしかない。
各々の人間の置かれた立場、思考、経験、それこそ元々持っている宿命などなどが織りなす彩なんていうのは わかりようもない。
生と死のはざまで、何を頂き、何を諦めるか(捨てるか)?
いろいろな患者さんを観たからな~。
>> 一つ 理解できたことは、ワタシは 『 いのち 』( 寿命・子供・未来・伝達 )とはなんだろう?と考える人間であること。そして、そこに人生の目的がある。
とうちゃんは、『 財産 』( お金・人も同じく財産・奉仕の心・現実 )とは なんであるか?ということを考える人間であるということ。そして、そこに人生の目的がある。
この違いは如何ともしがたいな~。
お金がなくちゃあ、病院にだって行けない。お金は大事だ。だけど、お金で 人のこころは買えないと思う。
ま、自分でお金を稼いでないんで、偉そうには言えないんだけどね。
>写真は特に意味はない。とうちゃんの産土神社のある街にある レトロな映画館の看板。