お詫び・・・
一般の読者のみなさま、わざわざのおこしくださいましてありがとうございます。
実は、この先、このブログにて、元所属していた教育関係の研究会( =児童の言語生態研究会 )の資料起こしをする予定でございます。よって 折角おこしくださいましても なんじゃこれ?状態になることが予想されます。何卒ご理解いただきますようお願い申し上げます。
ごめんなっし~。なっし~。
どのような状況下におかれても結局、最終的には人間関係であって、その中で奮闘努力( この言葉は好きじゃアなくなったけれど )をするしかないのだろう。
何で今更?なんだけれど、たぬきちと で喋っているうちに話がそっちの方向へ行ったのだから( 仕方がない? )やってみようではないか?ト思い直した。
只今とんでもない( 精神的にも、肉体的にも大変な )状況下にあるたぬきちが、あと少しで去年の年末に行われた授業記録のテープ起こしが終わりそうだと言うのだから、こっちだって頑張らなくてはならないと思ったんだ。
それに約束は守るべきだよね。
二回目なんだし。
但し
気は重い。
だが切り替えよう。気は想い。( いくぜィ ぶいぶい )
ワタシは、
1、とりあえず、只今、元気である。
2、とりあえず、生活( 主として金銭的なこと )には困っていない。
3、とりあえず、娘に「 ヒマでいいわね~。」と言われている 専業主婦(= 千行主婦 )である。
故に時間の確保が可能。
何より 会員の先生方の老齢化に伴って 過去何年だ?わからないけれど積み上げてきた 児言態の知的財産がこのままなくなってしまうのがもったいないということなのだ。私のもっている資料が決して素晴らしいものであるというわけではないが、たたき台にすることは可能だ。ということをたぬきちが教えてくれたので 勇気をだして進むことにしたんだ。
<<< 過去 に ワープする! <<<
一体いつの話になるのだろうか?児言態の研究授業に挑戦してみようと考え始めたのが 多分 昭和 57年の夏頃。
当時、力量もないのに、独身 子供いない、体自由 というだけで 五・六年生の担任になった。非組(組合に入っていない)であったことも関係しているのかも知れない。
その学年は、一度 三年生の時受け持ったことのある子供たちの学年で 絶対に担任するのは嫌だったんだ。
つまり ここ逃げたわけです。だけど、またご縁を頂いた。と 子供によっては 3・5・6の三年間 同じ教師に当たったということになる。
1982年 ( 壬 戌 ) 楽に読めるように 字を少し大きくしてみよう!
六年生担任当時 いろいろと問題を起こしていたクラスを何とかしたいとしたいと考えて、児言態による研究授業をやらせていただこうと考えた。
いろいろな教材を持って出かけたのが夏ごろ、
1、「 こだわりからの脱出 」 これが夏合宿に持って行った内容だろう。ここで上原先生にこっぴどく叩かれ へこみまくった。 ☓ 10 =
最後のにこちゃんは やっと児言態の仲間にいれてもらえた感あり!っていうこと。
2、「 素直な心を育てる。」 これが主題か? 1982年(S 57) 11月 23日
3、「 あとかくしの雪 」 教材は最終的にはこれを遣う事に決定した。これは 上原先生が選択した。
授業は 1982年 12月 17日 行われた。
壬戌年 ・ 壬子月 ・ 甲戌日
ちょっと よりによって・・・感あり!だな。
+++ 愚痴 ・・・
今日もBさまとトラブった。おみくじでは心を広くして、孤立をさけるように言われたが 孤立するほうがナンボかましだと思った。
言う事がころころかわるのは我慢ができない。どれかにきっちり決めてくれぃ。
いずれにせよ もうお友達と遊ぶのはやめた。そのことでなんだかんだ言われるのが嫌だし、時間のやりくりをして家事にぬかりがないようにしたって、心配りをしたって、その事( お友達と遊ぶこと )自体が気に入らないんだから。
当日に、自分の決めた家事だけをやる。あとはおこもりして作業をする。もしくは疲れるけれど外に出かける。それなら文句もないだろう。。。楽しんではいけないのだ。
Aさまに二人とも病気だと烙印を押されるのも情けない。病気って一体なんなのさ?と思う。
一般の読者のみなさま、わざわざのおこしくださいましてありがとうございます。
実は、この先、このブログにて、元所属していた教育関係の研究会( =児童の言語生態研究会 )の資料起こしをする予定でございます。よって 折角おこしくださいましても なんじゃこれ?状態になることが予想されます。何卒ご理解いただきますようお願い申し上げます。
ごめんなっし~。なっし~。
どのような状況下におかれても結局、最終的には人間関係であって、その中で奮闘努力( この言葉は好きじゃアなくなったけれど )をするしかないのだろう。
何で今更?なんだけれど、たぬきちと で喋っているうちに話がそっちの方向へ行ったのだから( 仕方がない? )やってみようではないか?ト思い直した。
只今とんでもない( 精神的にも、肉体的にも大変な )状況下にあるたぬきちが、あと少しで去年の年末に行われた授業記録のテープ起こしが終わりそうだと言うのだから、こっちだって頑張らなくてはならないと思ったんだ。
それに約束は守るべきだよね。
二回目なんだし。
但し
気は重い。
だが切り替えよう。気は想い。( いくぜィ ぶいぶい )
ワタシは、
1、とりあえず、只今、元気である。
2、とりあえず、生活( 主として金銭的なこと )には困っていない。
3、とりあえず、娘に「 ヒマでいいわね~。」と言われている 専業主婦(= 千行主婦 )である。
故に時間の確保が可能。
何より 会員の先生方の老齢化に伴って 過去何年だ?わからないけれど積み上げてきた 児言態の知的財産がこのままなくなってしまうのがもったいないということなのだ。私のもっている資料が決して素晴らしいものであるというわけではないが、たたき台にすることは可能だ。ということをたぬきちが教えてくれたので 勇気をだして進むことにしたんだ。
<<< 過去 に ワープする! <<<
一体いつの話になるのだろうか?児言態の研究授業に挑戦してみようと考え始めたのが 多分 昭和 57年の夏頃。
当時、力量もないのに、独身 子供いない、体自由 というだけで 五・六年生の担任になった。非組(組合に入っていない)であったことも関係しているのかも知れない。
その学年は、一度 三年生の時受け持ったことのある子供たちの学年で 絶対に担任するのは嫌だったんだ。
つまり ここ逃げたわけです。だけど、またご縁を頂いた。と 子供によっては 3・5・6の三年間 同じ教師に当たったということになる。
1982年 ( 壬 戌 ) 楽に読めるように 字を少し大きくしてみよう!
六年生担任当時 いろいろと問題を起こしていたクラスを何とかしたいとしたいと考えて、児言態による研究授業をやらせていただこうと考えた。
いろいろな教材を持って出かけたのが夏ごろ、
1、「 こだわりからの脱出 」 これが夏合宿に持って行った内容だろう。ここで上原先生にこっぴどく叩かれ へこみまくった。 ☓ 10 =
最後のにこちゃんは やっと児言態の仲間にいれてもらえた感あり!っていうこと。
2、「 素直な心を育てる。」 これが主題か? 1982年(S 57) 11月 23日
3、「 あとかくしの雪 」 教材は最終的にはこれを遣う事に決定した。これは 上原先生が選択した。
授業は 1982年 12月 17日 行われた。
壬戌年 ・ 壬子月 ・ 甲戌日
ちょっと よりによって・・・感あり!だな。
+++ 愚痴 ・・・
今日もBさまとトラブった。おみくじでは心を広くして、孤立をさけるように言われたが 孤立するほうがナンボかましだと思った。
言う事がころころかわるのは我慢ができない。どれかにきっちり決めてくれぃ。
いずれにせよ もうお友達と遊ぶのはやめた。そのことでなんだかんだ言われるのが嫌だし、時間のやりくりをして家事にぬかりがないようにしたって、心配りをしたって、その事( お友達と遊ぶこと )自体が気に入らないんだから。
当日に、自分の決めた家事だけをやる。あとはおこもりして作業をする。もしくは疲れるけれど外に出かける。それなら文句もないだろう。。。楽しんではいけないのだ。
Aさまに二人とも病気だと烙印を押されるのも情けない。病気って一体なんなのさ?と思う。