どーも こちらあやかし@ゆるゆるびと
母と昔話など延々とおしゃべりした。で、母が 幼い頃聞かされた?言葉がこれ!
” 親辛抱 子楽 孫ほいとう ”
つまり、こういう意味らしい。親がしんぼう強く働いて財をなしたとしよう。次の代は その財をいただいて ぶらぶらびとになる。で 孫に至っては ほいとう つまりお乞食さんになる。と言う意味らしいのだ。
「 ほいとう 」の意味がわからなかった。放蕩の言い間違いかな?と思ったが、どうやら お乞食さんを意味しているらしい。
ほい とう -たう [0] 【陪▽ 堂▽】〔「ほい」は唐音〕
①
㋐ 禅宗で,僧堂以外の場所でもてなし(陪食(ばいしよく))を受けること。 「相伴邏斎の僧,-,外僧堂の輩/庭訓往来」
㋑ 禅宗で,僧の食事の世話をすること。また,その僧や飯米。
② 他人に食事を施すこと。また,その食事や飯米。 「今夜一夜の-たべやつとよばはつて/幸若・烏帽子折」
③ 金品をもらって回ること。ものもらい。こじき。ほいと。 「さて此処彼処,-しけれども,呉れざりければ/仮名草子・仁勢物語」
今の世の中で このような言葉を使ったならば、やれ 差別用語だとかなんとかで 訴えられるのだろうか?
実は スピリチュアルを学んでいる時、フト、その言葉を投げつけられたんじゃあなかっただろうか?と思える場面を思いだしたんだ。
あの時、見ず知らずのおばさんが、私にきつい調子でその言葉を投げつけたような記憶が蘇ったのだ。
「 ほいとの子 」 確か?そう言われたような気がするのだ。
注)ほいとの子みたい?ほいとの子みたいなことはやめんさい? だったかも?
その時、「 ほいと 」の意味はわからなかったが、自分が侮蔑されたのだなということは小さいながらもなんとなくわかった。
( そうじゃあないんです。私は 私は・・・ただ・・・。)
みたいな感情が蘇った。
なんでまた 今?すっかり忘れ去っていたあの場面が思いだされたのだろう。その時のとても切ないような澱んだ感情が蘇って 自分でもびっくりだった。
今ならあのおばさんに
「 あッ 違うんですう~ これこれしかじか うんぬんかんぬん ・・・。」とまあ説明・釈明できるかもしれないが、子供だったので、自分の思いや感情を表現することが難しかったのだろうと思う。
そういったきつい・辛い経験をした時にそれを和らげてくれる人がいるか?いないかはその後の人生にもかなり大きな影響を与えるのだろう。
多分 そういった 幼き頃の経験と同じような経験を何度も何度も重ねて、何かに到達していくのだろう。
そしてそれを見つけて癒していけるのは、他でもない自分自身であるのだと思う。
綺麗ごとだけではいかない、ドロドロとした自分の見たくない嫌~~~な部分にも目をむけていかなくてはならない。
ふ~~ッ。大変だな~。自分自身ゆるきゃらじゃあないもの。
明日は自宅だ。 本当にゆっくりした。 どこを旅行するよりゆっくり出来たと思う。ま、短いといえば短い期間だったからそういえるのかも知れないけどね。